過去のTop Mail←Top

back  2008/10  next

2008/10/02

しあわせのとんぼ

清原選手引退・・・。
特に野球には興味ないけど、清原も桑田も同世代。
高校生の時に甲子園球児だったのをテレビで観ていた。
清原が1歳年下。桑田は2歳下。
最強のPL学園が負けた伊野商業戦・・・。
今でも覚えてる。
同世代が引退・・・。
なんかこう、感慨深いものがあります。
幸い、俺の仕事は定年制すらない。体と頭だけしっかりしてれば
何歳まででもできる。

ということで、「とんぼ」
俺が大学4年生の時にヒットした曲です。
軽音楽部に身を置いていた俺は、卒業生追い出しコンサートで、
この曲をフォークギター一本で唄ったものです。
「死にたいぐらいに憧れた 花の都 大東京
   薄っぺらのボストンバッグ 北へ北へ向かった・・・。」

この曲を聴くと、20年以上前の、東京での青春が蘇ります。
知り合いもいない、一緒に東京に進学した同級生もいない。
田舎者がビクビクしながら、裸一貫で出て行った。
死に物狂いで学費を稼いで、家賃を払って、
背伸びして彼女と高級レストランでデートして、
単車に乗って、湾岸を走って、
ドヤ街のオヤヂたちと飲みに出かけて、
西新宿のションベン横丁で焼き鳥食って、
仲間と真夜中の新宿のガード下で大声で歌った、
ギターケースに小銭を放り込んでもらう。
隣のサックスのお兄さんが、合わせてくれる。
大都会が眠りにつく薄ら明かりの中、
始発の地下鉄で銀嶺荘に帰る。→茗荷谷通信

俺のしあわせのとんぼは今、舌を出して笑っています。
どうにか家族をつくり、どうにか食って、
どうにか毎日不安なく暮らしています。
俺の引退は、まだまだ先だ。

2008/10/03

Tarouインターネット歌手デビュー(@π@)

削除

マイクにも、アンプにもつながず、鼻歌。右下二番目のボタンで最大化。ウヒョ。
恥ずかしいから逆光です。安物の被写体とカメラ。
キーも、自分の声の高さに変えちゃってます。
ま、実験ということで^^;
見る時間帯によっては、非常に不安定になります。御了承〜。
ついでに茗荷谷通信、更新しました。
今日はT2号の13歳の誕生日です。
にくったらしいけど、毎日頑張ってます。

2008/10/04

大(?)運動会

明日の日曜日は在所の運動会。
去年に引き続き体育推進委員長。すべてを用意せなあかん。

昔の運動会は楽しかった。子供がたくさんいたから。
24軒しかない村で3組に分かれて競い合う。
俺達若年層なんか、最初から最後まで競技に出っぱなし。
ヨ〜イドン!のピストルを撃ってから自分も走る。
ゴールして、自分の1位のピストルを撃つ。

「日本酒一気飲み競争」・・・コースを半周走って、
ワンカップ大関をストローで一気飲み。また半周走ってゴールイン。
これは、毎回俺が優勝してた。

んで、クラクラしてるのに「何人乗れるかな?」という競技。
ビールケースに何人乗れるかという競技。
俺達、体格のいいのが背中合わせで黄色いプラスチックに乗る。
互いに腕をからめると5人ぐらい乗れる。
今度はその絡めた腕で、組の子供たちを抱き上げる。
その子らは、俺たちをよじ登って肩とか頭に乗る。
後続は腰につかまる。ふとももにしがみつく。
最後は余った俺達の両腕に4人ぐらいがぶら下がる。

すると、あの黄色いビールケースに40人ぐらい乗れるのです。
俺達1組は、毎回優勝。

今は昔・・・。子供がいない。
子供がいなけりゃこんな競技できない。
オバサンを抱きかかえるのはイヤだ。

んで、ここ数年はグランドゴルフ大会が運動会。
景品も用意したし、
ノートパソコンにデータも入れた。
明日、個人の打数をエクセルに打ち込むだけで順位も、組み別も、
総合も、ピシャッと計算できるようにした。嫁さんが・・・。

俺は、これは苦手。ビスタになってからは尚更。
むちゃくちゃ操作性悪いやんけ!!逆切れしてます。
大まかをこのビスタで作って、メモリスティックで移動して裏のXPで嫁さんが加工。
明日の大会に今日、全部の資料が整ったゼイ。
ハイテク田舎の運動会。

2008/10/10

自転車を磨いた

俺が今、運転できる乗り物は自転車だけ。原チャリすら乗れない。
免許がないから。。。。
んで、スポ少に行く時も郵便局も銀行も全部自転車。

去年の暮に購入。総走行距離が681Kmになった。
チェーンが錆びてきたのでオイルを注油してやった。
大切なフルオープンのMy自家用車。

っていうか、昨日が結婚記念日だったのに忘れていた。
俺の甲斐性で行けるお店といったら、セブンイレブンだけ。
プレゼントになりそうなもの何かないかな?と、
磨いた自転車でショッピング・・セブンイレブンで・・・
・・・なんにもない。
しょうがないから、ソイジョイっていうお菓子を食うか食わんかわからないけど、
全種類買ってきた。家にあった包装紙で包んで「いつもありがとう」と書いた。

・・・・以前は嫁さん、今日は何の日か知ってる?とか聞いてきたけど・・・。
・・・嫁さんも忘れてるんちゃうやろか?
T1号が14歳だから、約14〜15回目の結婚記念日。

だいたいやなぁ、体育の日の前の日が結婚記念日と思ってればよかったのに、
いつからか体育の日が10日前後を行ったり来たりするようになってしまった。
それが悪い!

ネックレスとかカバンも欲しがらないし、化粧もしないし・・・。
金のかからない女です。「いつもありがとう^^」

2008/10/12

初めてのおつかい

子供は日曜日だけど強化練習会・・・。
が、T1号は手が折れてるから置いてけぼり。
学校が休みの日に部活がないなんて・・・。もう背中に羽が生えてる。
部活のない友達と連絡して近江八幡に遊びに行くことにしたらしい。

他の子は、8Kmある最寄りの国鉄(まだまだJRじゃなかった)駅、「稲枝駅」に自転車で走る。
T1号はハンドルが握れないから、嫁さんがその駅まで送った。
自分の財布を尻のポケットに入れて・・・。駅の自動券売機で自分でキップを買って。

おそらく初めてだと思う。
子供だけで電車なんて・・・。田舎は、こんなものです。俺は今でも緊張する。
久しぶりに9時頃まで寝て、10時に駅に送ってもらって、半日遊んで4時頃、
借りて行った俺の携帯電話から、「今、電車に乗るから、駅に迎えに来ておいて・・。」
イイ身分だ。

「昼は何を食った?」・・・・と聞くと、「この右手じゃマックぐらいしか食えへんかった。」
とのたまう。手が無事だったらサロインステーキでも食ったってか?

俺が中学2年の時、今のT1号と同じ歳の頃、
初めて「マクド」がこの湖東地区にやってきた。
彦根の駅前の平和堂の1階。
みんな騒然。小遣いを残して、みんなで計画を立てる。
ここからは 15Kmと、中学生には山の彼方の空遠くだ。
休みの日は絶対部活だから、テスト期間中に、出発。
マクドの広告に載ってる地図を頼りに自転車で走る。
この日のためにチェーンもオイルたっぷりぬってある。空気圧も万全。

北の方に走れば行ける計算だ。
まだ歩道なんてものがなく、走る車も砂利道を暴走してくる。
砂埃にまみれて、国道8号線では排気ガスにまみれて、
JRの長く高い陸橋を立ち漕ぎして・・・。

おお!見えた。鳩のマークの平和堂!!あそこや!あそこや!

緊張しながら店内に入る。店員が0円スマイルで注文を聞く。
握りしめた千円札は、じっとりと汗で濡れている。
「ビ、ビグマックとと、しぇシェイクマクシェのバニラ味・・・、とっと、このジャガイモン・・・。」
メニューを指でズンズン押しながらうろたえる。
「お持ち帰りですか^^?」
「こ、ここに食いにきたんぞ!」
坊主頭が口々に叫ぶ。

自転車に乗りながらみんなで予行練習してきたのに、シドロモドロ。
そしたら高い。値段が思ってたより高い。
ビ、ビグマックが400円ぐらい。しぇ、シェイクが200円。ジャガイモンが200円ぐらい。
かろうじて持ってた、湿った千円札で足りた。
ハッピーセットなんてなかったですからね。100円マックも・・。

それをT1号、「この右手じゃマックぐらいしか食えへんかった。」

まぁいい。俺はマックが大好き。旅先でもマックがあればそこに入っちゃう。
マックで腹いっぱいになると、もの凄く自分が豊かになったように感じる。
3品食うのに、計画立てて、死に物狂いで千円持って走ってた頃を思うと・・・。

俺の弟はが大嫌い。近くにマクドもないのに、
あれがテレビCMに出てくると、火がついたように泣きだして、
長椅子の後ろに隠れた。今でもマクドは嫌いらしい。

ビ、ビグマックだけは、紙じゃなくて発泡スチロールに梱包されてた。
食い終わった後、容器を潰れないようにリュックに入れてお持ち帰り。
次の日のお弁当は、母さんに、それにご飯を詰めてもらう。
もう、学校でお昼の英雄。いつもはアルミの四角い弁当箱。

食い終わって、潰してゴミ箱に捨てる快感、優越感・・・。
一緒に行った奴は、ビ、ビグマックの箱に、おかずを入れてきてた。
ジャガイモンの赤い入れ物は、底に重りを入れて筆建てに使ってた。

約30年ぐらい前の話・・・。

2008/10/12

リニューアル

ホームページを改装してみた。
「ん?どこが変わった?」ってなもんですけど、凄いんです。
開設当初の数日間はフレーム無しの一枚板。
頑張った甲斐があって左右二分割のフレームができた。
今回は三分割に成功したのです。ただそれだけです。
T字型に三分割。Tarou's Homepageのロゴが常時てっぺんにある。
ただそれだけです。

内容はともかくとして、アクシビリティの良さというか、見易さは、
これはこれで、かなり高得点ではないかと自負しとる。
内容はともかくとして・・・。

とても業者が作るような洒落た演出もないけど、この青い空間が好きです。
背景が変わることは、恐らくないでしょう。
チョイ、文字を読みにくくしていますけど、イメージは茗荷谷の高台から見た、新宿の夕暮れ。
意地でも田園風景にはしない。

2008/10/17

二十数年の時を越え・・・茗荷谷・・・銀嶺荘・・・

左の写真は、二十年ぐらい前に撮った俺が住んでいた、当時すでに傾いてたアパート。
その名も 第一銀嶺荘 ・・・右の写真がなんと!
Googleの地図でストリートモードという機能で見た現在の第一銀嶺荘。

・・・まだ残っていた・・・。なんか、緑の網をかぶされて改装中みたい・・・。
まだまだ生き残るつもりなんだな。

その地図の機能で、この建物に最接近して、この細い路地を指定して、
ストリートモードにすると、今、自分がそこに立ってるような画像になるんだ。
もちろん、大都市圏だけだけど・・・。

どういう仕組みになってるのか分からないけど、この路地に立って、
360度回転できるのよ。
んで、昔の写真に一番近いアングルまで歩いて行って、角度を決めて撮影。

もっと接近して、銀嶺荘に正面向かう・・・。
下のテナントだった どさんこラーメン が違う店になっていた。
あの白い長靴のオヤヂは、今どうしているんだろう。
管理人のオバチャンはまだ生きてるのだろうか?
背中を向けると、反対側の駅ビルは華やかになっていた。
当時はコンクリート打ちっぱなしだったのに。

茗荷谷第一銀嶺荘の赤ちょうちん

あの頃 Tarou のアパートは
裸電球眩しくて
丸ノ内線が通ると揺れた
二人に似合いの部屋でした

覚えてますか? 寒い夜
赤ちょうちんに誘われて
味噌クッパ腹いっぱい食ったわね

月に一度の贅沢だけど
隣の寿司屋にも行ったわね

雨が続いても アルバイトばかり
下の店で 餃子ばかりかじってた
意外に裕福な暮らしが おかしくて
あなたの 作業服洗ってた

あなたと別れた 雨の夜
公衆電話の 箱の中
膝を抱えて 泣きました

生きてることは ただそれだけで
哀しいことだと 知りました

今でも時々 雨の夜
赤ちょうちんも なくなっちゃったけど

どさんこに 貴方が
いるような 気がします

背中丸めて サンダル履いて
ビビンバ食ってるよな気がします・・・

よくこの歌を色々な替え歌で唄って遊んでいました。
月に一度の贅沢が、道路向かいの居酒屋だったり、
ステーキ屋だったり・・・。
素敵にステーキ食ったわね・・・とか。

と、このGoogleの機能を教えてくれた人のおかげで、
20年のタイムトリップができました。
この機能で、歌舞伎町でも歩いてみようかしらん。

2008/10/22

実用新案出願中

妻に捧げるバラードがあまりにも酷かったので、
こんなアイテムを開発してみた。
ダイソーの「ザ・オモチャ」でマイクを買ってきた。
その名も「エコーマイク」
仕掛けは分からないけど、これで喋ると声にエコーがかかる。電池もいらない。
それをハーモニカホルダーに固定して完成。
これを首にかけて、このエコーマイクをうまく口元にセッティングすると、
普通に歌っていても声にエコーがかかっちゃうのである。
作成費用105円+自前のハーモニカホルダー。

ハーモニカホルダーってのは、ギターを弾きながらハーモニカを吹くためのアイテムです。
上の部分にハーモニカを固定して使う。
ちなみに俺のは長淵 剛モデルです。

ってか42歳のオヤヂがこんなものを首にぶら下げて歌を唄う。
我ながらお笑いです。
105円エコーマイクの性能は、いずれ発表したいと思います。
吹いたハーモニカにもエコーがかかる設計。
実用新案出願中^^
エコーがかかると下手な唄もマシになるかな?

2008/10/24

相棒ガイコツ君

今日、保育園から連れてこられた肘の脱臼の子・・・。
相棒ガイコツ君を見るなり、よけいに火がついたように泣きだした。
んで、ガイコツ君を微笑ませてみた。

人間の表情ってのは瞳で変わりますね。
こんな皮も肉もないガイコツでも、目玉を入れ替えるだけで
怒ったり泣いたりもさせられる。

仕事柄「視診」というのが必要である。
患者さんの瞳を見ると、だいたいの性格がわかるようになりました。
猜疑心が強そうだとか、ものすごく楽天家じゃないかとか・・・。
それによって対応も考える。

潔癖症みたいな人には、いちいちその人が見てる前で、
ベッドのシーツを交換したりマクラカバーを換えてみたり。
どうでもいいような人には枕カバーの代わりに新聞の広告を使ってみたり。

んなこたぁどうでもいい。この前のマイクを改造してみた。
ハーモニカに対してマイクの角度調整機能を追加して、
高級マイクみたいに塗装してやった。

これがあれば、敬老の日に公民館でアンプもプラグコード無しで、
こいつと、ギター一本で老人に演歌を歌えるな。
今年は母さんが「そのふれあいサロン」とかいう事業の責任者。

もう完全に俺に任せるつもりらしい。
前半は腰痛体操とかを講釈させて、後半は歌謡ショーらしい。
あと、手品も数種類用意しておけと言われた。

2008/10/26

なんてこった!

あんなに苦労して加工したマイクが・・・。
角度を調節しょうとしたら千切れてしまった。
エコーマイク作戦失敗でした。

って・・敬老の日なんてもう終わってるやん!
ふれあいサロンってなんぞや!?

もう出し物は手品だけでいいや・・。マイクも折れちゃったし。

親指が千切れる手品をマスターした。
婆さんと、嫁さん、T1号、2号を前にして披露したら、
3人が仰け反って驚いた。
T2号だけは、動体視力がいいらしく、カラクリを見破られた。
んで、しらけた雰囲気で千切れた親指をつないだ・・・。

2008/10/27

参加賞

そろそろ、ウチのスポ少主催の大会がある。
毎年11月に。
道場では場外が狭いからその日のためだけに、
140牧ぐらいある畳を、隣の体育館に運ぶ。
父兄と、高学年が手伝って、3階の道場から運び出す。
蟻の行列みたいになって狭い階段を降りて運び出す。

畳にも個性があって、上手に並べないと段差ができたり、
隙間ができたりする。百枚を超えるとなおさらだ。

んで、上手に並んでる道場の畳には全部裏側に通し番号がマジックで書いてある。
一番東側の南側の1番目の畳の名前は「ES01」

大勢でひっぺがしてランダムに運んでも、父兄の中に畳屋さんがいる。
その番号をもとに、上手に並べる指図を出してくれる。
バラバラに運ばれてくる畳を、
図面を見ながら、WN6はその辺に置いてとか・・・。

一時間もすると、道場にあった時と同じ用に、
広い体育館のど真ん中に試合会場2面が再現されてしまう。
これで、ギャラリーが何人来てくれても試合を見てもらえる。

大会が終わると、逆の手順で道場に戻される畳。
むき出しになった板の間にはちゃんと、ES01とか書かれている。
ジグソーパズルみたいに、その場所に置いていくと、
段差も隙間もない道場が出来上がる仕組み。
ちゃんと、赤タタミと緑タタミの配置も完璧。

こんな作業は力持ちばかりだから楽な作業。

俺の仕事が大変なのだ。参加賞の準備・・・。

どこの大会に行っても爪切りとかタオルとか手ぬぐいとか、
それぞれの主催者が低い予算で用意してくれたものをもらってくる。
その、今回のってか毎回、ウチの大会の参加賞を用意するのが俺。

それらしい商品ばかりが載っているカタログを取り寄せる。
道場で、他の指導者とか父兄とかとあれこれ選ぶ。
去年は。単価が74円。

今回は第二十五回だから、100円まで出そうかとか
慎重に選ぶ。
結局今年はペンケース入りの、ちょっと高級感のある、
ボールペンとシャープペンのセットに決まった。単価95円。

これに、「第25回○○至誠館少年少女柔道大会」と、
名入れを頼むと版代に4500円。そして一個につき35円上乗せされる。
240個注文だから、12900円かかる。名前を入れるだけに・・・。
計算すると35700円になってしまう。
今回会計さんから許しが出てのは総額で25000円。
その名入れの仕事がいつも俺の役目。
ラベル用紙にズラ〜と「第25回○○至誠館少年少女柔道大会」を印字して
プリントアウト。それを細かく切る。夕べ作ったのが下の写真。
辛い仕事である。
でも、22800円で、予算内に収まる。

数日後には参加賞が240個届く。その1個づつに貼り付けなければならん。
辛い仕事である。
ま、これは頭を使わないからチクチクやっていればそのうち終わる作業。

次にはもっと辛い仕事が待っている。
数日中に各道場から参加者名簿が送られてくる。
その名簿を元に個人戦、団体戦のトーナメント表を作らなければならない。
幼年の部、1年生男子の部〜6年生女子の部まで・・・。
13個のトーナメント。
同じ道場の子が一回戦で当たらない様にとか、
あまりにも体重に差がある子を一回戦で当たらせないようにとか、
去年の一位、二位、三位の子はシード選手としてトーナメントの両端にとか。
・・・誰もやってくれない作業。
表紙は違う色の紙で。去年はピンクだったから今年は黄緑にしようとか。

ひな型ができたらスポーツセンターに行ってコピー機を借りる。
用紙は、会計さんからもらって買ったA4用紙700枚。
表に幼年の部のトーナメント、裏に1年男子のトーナメント・・・と、
コピーを繰り返す。辛い仕事である。大勢で手分けなんかしたら間違いが多発する。

黄緑の表紙の後ろに順番に並べて積み上げる。
ここまでが俺の仕事。
出来上がったプログラムを道場に持って行って、
手先の器用そうな父兄にホッチキスで製本させる。
と、50部の大会プログラムが出来上がる。

試合当日に各道場に3部、役員に1部づつ配布させられる計算。

町バスの手配とか、各道場への参加案内のお知らせはフクシマさんの仕事。
これはこれで大変。
大会結果を集計して各道場に送るのはモリさんの仕事。これも大変。
ナエムラさんは、表彰状作り。文房具屋で金の縁取りの用紙を52枚買ってきて、
全部に「幼年の部優勝」とか、「3年生男子の部第三位」とか、
受賞者の名前の部分だけ空白にして52枚の賞状を作る。これも大変。
あと、金銀銅のメダルの調達。
この他に団体戦、低学年用と高学年用と、参加団体×8個の作業が増える。

当日は、試合結果が出た途端にその賞状に名前を書き込まなければならない。
会場にノートパソコンとプリンターを持ち込めば空白部分に名前を印字できるけど、
どうせなら手書きがいい。
年配で、えらく字が上手なモリさんが次々と52枚に筆で書き込む。これも大変。

子供達は「なんや!今回はボールペンだ!」と言うに違いないが、
表彰状だって、もらった途端に丸めてリュックに入れちゃうかもだが、
裏方みんなで動き始めました。

当日は審判もしなきゃだし、当然救護係。

6年生の潤は、開会式の宣誓の練習を始めた。
「宣誓!僕たちスポーツ少年団選手一同は、スポーツマンシップにのっとり、
日頃の鍛錬の結果を出せるように正々堂々と戦うことを誓います!
平成20年11月○○日、至誠館選手代表○○潤!」
これも緊張する嫌な仕事だ。

2008/10/28

窒息

もし死に方を選べと言われたらどうだろう。
首つりはその後がみじめだし、焼身は熱いだろうし、ガスも身体がブヨブヨになるし、
飛び降りは高いところが怖いし・・・でも一番嫌なのは溺死だな。
首つりは苦しそうだけど、一瞬で頚椎が脱臼するから即死みたいなものらしい。

試しに2分間息を止めてみる。苦しいのなんのって・・・。
それが死ぬまで続くのだ。

で、こんにゃくゼリーとかパンを喉に詰まらせて死んじゃった子の事件が相次いでいる。
さぞかし苦しかったことだと思う。
俺が小学生の頃は早食い競争なんか日常でした。
1分でも早く食い終わって校庭に遊びにいかなきゃでした。
遅れると登り棒のてっぺんが占拠されてしまう。
お楽しみ献立の時に出るババロアなんか、
鼻の穴で誰が一番速く飲めるかとか競争した。

何かが喉に詰まったら、自分で柱に体当たりして吐き出したものです。

その事故の時、そこに俺がいたならば、ほぼ100パーセント助けてあげられたと思う。
今までに4回、そういう場面に出くわしたことがある。
2回はT1号。大きな飴玉を詰まらせた。
T2号が「お兄ちゃんがなんか変・・・。」と教えに来てくれた。
行ってみると白目をむいてピクピクしてる。
飴の包み紙を握ってたから、喉詰まりだと決める。

両足の足首を持ってさかさまに吊し上げる。
肋骨の一番下の部分に蹴りを入れて胸郭をつぶす。
肺から押しだされた空気で「ポン」と飴は飛び出した。
三度目は柔道で、絞め技で落とされた奴が痙攣して、
舌がまるまって喉の奥に入ってしまった。

うつぶせにして、背中をどかんとふんずけたら生き返った。
四度目は、うちの大婆さん。
お約束のように正月のおもちを詰まらせた。
デブだったから逆さまに吊るすのは困難だから、
戦場で戦士が傷ついた戦友を運ぶみたいに担ぎあげて背中を殴った。
餅がポンと飛びだした。

これだけでいいんです。救急車を呼んで、来るまで先生が
背中をさすっていたなんて、あまりにも危機管理がなっていない。
多少乱暴でも、先生がその子供の背中を思い切りけっ飛ばしてやれば、
その子は死なないですんだのです。
みぞおちに掌底突きをくらわせてあげられれば助かったのです。

もし、そんな状況に出くわしてしまったら、思い切って背中を蹴ってあげましょう。
靴は脱いだほうがいいです。

back  2008/10  next

過去のTop Mail←Top

Copyright (C) 2001 Tarou's Homepage. All Rights Reserved.