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このページは、想い出のページなので、時間的概念がありません。時代を行ったり来たりします。

<二十年目の悪夢>  

2009/12/14

寝汗びっしょり

集落の役員会。
来年の総寄りで使う資料とかの作成。
区長と、副区長、評議委員3人の、5人だけの集まり。
朝から・・・
他の4人はみんな60過ぎの人ばかり。
誠につまらない集まり。これが夕方まで続く。

んで、今年一年後苦労さまということで、恒例の役員だけの忘年会。
料理屋からマイクロバスが迎えに来て5人を店まで運ぶ。
酒の持ち込みOKだから、日本酒やら、ビール、字の行事で残った酒などを、
ダンボール箱に入れて、バスに積み込む。
こんなんは、下っ端の俺の仕事。

店ではもう、熱燗奉行。
機械の横に座って酒を温めて徳利に移してお酌係り。

俺が酒を覚えた関東では基本的に酒は手酌だったように思う。
自分のグラスに自分で注いで、自分のペースで飲んでりゃよかった。
・・・ここは違う。
自分の杯に自分で注ぐなどということは良しとしない。

誰かが注いでくれるのを待つ。
待っても忘れられてると、自分の杯を空にして、
それを他の人に渡して注いでやる。
それをもらったら、飲み干して返杯しなきゃならない。

杯が空なのも寂しいが、一休みしてるとこに、杯が何個も周ってくる。
それを飲み干して、飲み口を袖でキュキュッと拭いて返杯する。
しかも熱燗奉行。
機械と宴卓の間でバタバタしてる。
わしゃ、ビールがいいというと、ビールを抜く。
「アサヒしかわしゃ飲まん」とか、「酒が熱すぎる」とか、じじぃたちが文句を言いだす。
こういう集まりの酒は一番嫌い。
せっかくの料理も旨くない。

やっと解放されて長い長い日曜日の一日の終わり。
疲れ果てて風呂にも入らずに寝てしまった。

見る夢もろくでもない。

東京から電話よぉ〜!と起こされる。
受話器を受け取り出ると、なんと学生時代のアパート、
第一銀嶺荘の管理人のオバチャンからだ。

「あんたねぇ〜。まだアンタの残した荷物預かってるんだけど、何年経つと思ってんの!?」
「今年中には取りに来てよ。トラック一台分ぐらいあるからね!」
ガチャン!
夢の中だから、展開もトントン進む。
どういうわけか嫁さんと子供は実家に遊びに行ってるし、ちょうどそこに弟が遊びに来てる。

誰が俺に受話器を渡したのか・・・細かいことはわからない。

東京に荷物を取りに行くから手伝え!
と、しかも俺は酔ってるらお前が運転だ!と、
裏から2人でハイラックス用のルーフラックを運んできて車に装着。
「こんな大きい車、運転したことない。」という弟に、
「なあに、東京インターまで運転してくれりゃ、あとは俺が首都高と、降りて、茗荷谷の狭いトコ運転するから。」

次の場面はもう茗荷谷の駅前の細い路地で荷物運び。
車に積んでると、後ろからタクシーが来てクラクションを鳴らす。
一方通行をグルーッと周ってまた、元に戻る。
通勤ラッシュで、行き交うサラリーマンがジロジロ見る。
その間に弟が道端に荷物を集めておいてくれる。
積んでると又後ろからタクシー。
真夜中なのに非常ににぎやか。
場面ごとに、昼になったり真夜中になったりするが不思議に思わない。
後部座席まで畳むとかなりの広さになるが、半分ぐらい積んだ時にオバチャンが、
「これも持っていっておくれ」と、
指差した先に、125tのオフロードバイクまである。
工具を出して、ハンドルをはずして、
前輪と後輪を外して、2人がかりで積み込む。
積みきれない荷物はルーフラックに積み上げて全部積んだ。

その荷物というのが電気スタンドだったり、壊れた14インチのテレビだったり、
動かないエアコン、やたら大きいスピーカー、冷蔵庫、布団一式、
夢だから、なんの疑問も持たずに死に物狂いで積み込んだ。

オバチャンに別れを告げ、タクシーに追われながら一方通行を大回りして、
春日通りに出て、護国寺のインターに向かう。なぜかパトカーが3台護衛に付いてる。
ETCだから、安くていいなぁ〜。
海老名のS・Aで2人でラーメン食ってたら、目覚ましが鳴って目が覚めた。
富士川のラーメンはもっと美味いのに・・・。

もう寝汗でビッショリ。
恐るおそるサーフを見に出たら、ルーフラックは付いていなかった。
もちろん、弟はいなかった。
24時間、起きてても、寝ててもたいそう疲れる日曜日だった。

銀嶺荘 四半世紀の時を超え いまだ偉そう 管理人

<さらば我が青春の銀嶺荘>

2015/04/28(火)

嗚呼さらば青春の日々・・・

久しぶりに暇つぶしでグーグルマップで遊んでみた。
ふと、東京文京区茗荷谷の・・・そう、
あの第一銀嶺荘を見てみよう・・・と、
10年ぐらい前だったろうか・・・やはりこうしてグーグルのストリートビューで・・・
ということは、東京を離れて20年位の頃か・・・いまだに現存している銀嶺荘を確認して、
感動したことを書いたのを思い出して探したら「茗荷谷通信」の27ページ目)にかいてあった。

今度はどんな風に改装されてるかな?
あるいは新築されたかな?
と、記憶を頼りに、わざわざ東京駅から茗荷谷目指して、よくバイク走った道をたどって。
見覚えのある風景の中を進む。
「あぁ、あの店はなくなっちゃったな。」とか、「おぁ!こんな立派なビルが建ったんだ。」
「ここはまるで変ってないな・・・。」とか・・・・

いよいよ春日通り(川越街道)に入って池袋方面に向かう。
後楽園球場ならぬ東京ドームを左手に見ながら更に進む。
いよいよ茗荷谷の駅だ!
営団地下鉄がいつの間にか東京メトロなどと名前が変わっているやんけ。
ここだ。
この角を曲がって・・・と、思ったら、何としても入れない。

駅横の路地が、ストリートビューの対象から外れていた。
今度は航空写真モードにして上空から拡大していったら、
銀嶺荘があるはずの場所が大きなビルになっていた。
「銀嶺ビル」と記されている。マンションにでもなったのだろうか?

そりゃ、俺が住んでいた30年前でも戦争の焼け残りみたいな建物だったのだもの。
残ってる方が不思議だ。

でも、なんか、第二の故郷を失ったような気がする。

自動ドアやエレベーターなんかもあるのかな?何階建てなのかな?
航空写真だからわからない。
機会があれば、行って実際に見てみたいな。

雨露をしのげば幸い銀嶺荘 ビルの谷間に夢の跡
     我が想い出のみに 威風を留めん

1980年代の銀嶺荘 2008年にGoogleの地図でストリートモードで発見。
手前に何か立っている。

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