イスラマバードの風 NO.4   2007年6月15日発行

  みなさんこんにちは。石原郁子です。
 
 日本ではもう梅雨の時期なのでしょう。テレビのNHkワールドで、鹿児島の豪雨を伝えていました。こちらでは先日カラチで52℃を記録し、数人が熱中症で亡くなりました。。 
 それ以降「生きているか?」というメールをたくさんいただきました。何とか生きています。でもとても暑いです。ウチは一軒家の二階部分を借りているのでただ今(6/24 10時AM)室温34.8℃湿度20%です。

 次の7月・8月は雨期になり、土砂降りの雨が降るそうです。「とても蒸し暑いんだ」とゲストハウスのマネジャーが顔をしかめて言っていたのを思い出しました。 私は午前中は何とか天井の扇風機だけですましていますが、午後からはずっと次の日の明け方まで冷房をかけています。こちらは水道とガス(天然ガス。パキスタンの中部、バロチスタン州のスイという地域からパイプラインを通って運ばれる)は安いのですが、電気代は日本並みでとても高いのです。請求書を見ると少しは寒くなるかもしれませんが・・・。

 ☆シャルワール・カミーズ
 パキスタンの民族衣装です。故ブット首相が「普段着を正装に」と呼びかけて以来普及しました。1981年には公務員も役所や公の席でその着用を義務づけられました。
 ズボンを「シャルワール」といい上着を「カミーズ」といいます。日本人はシャルカミと短くして言っています。特に女性用は、カラフルな布がたくさんあります。JOCVの若い女性隊員たちはオーダーして、とても華やかで美しいシャルカミを着ています。
 そこで私も一着作ってみました。
シャルワーズ2m、カミーズ2m、ドゥバタ(ショール)2mがひとぞろえになって売っています。モノによって値段が違うのですが、500ルピ(1000円)ぐらいからあります。ちょっと気に入ったのを買うと6000ルピぐらいします。

 私は以前からずっと、黒地ですっぽりと全身を覆うモスリムの服を所望していました。目だけでているのやら、斜になって目を隠してるのやらを・・。先日サンデーマーケットでその既製服を見つけました。大喜びでそれを買おうとしましたが、値段を聞くと1000ルピ。「メヘンガ!」(高いよ)と言うと「800ルピ」にまけてくれました。

 これを着てニセの占い師になり口から出任せの答えを言ってみたい・・・と、よからぬことをずっと希望していたのです。鏡に映った黒装束の私は,まあまあだったけど、目が小さすぎることに気づきました。やはりこの服は、ぱっちりした目と長いまつげのパキスタン女性にこそ似合うんだと・・・がっかりして脱ぎました。
 今年の9月に私の友達がパキスタンに遊びにきてくれます。インドに行くのが彼女の主な目的ですが、デリーからラホール経由でイスラマバードまで行くと言ってくれました。彼女は目がパッチリしています。
      「来たら着せよう!」  今から楽しみにしています。
 
 ☆ジンナーマーケット
 私の家から徒歩約10分、F7の中心にある大きなマーケットです。写真屋、コピー屋、たくさんの宝石屋さん、ハンディクラフトや布地屋さんなどいろいろな店があります。高級品を売るお店が多く、その多くは午後からの開店です。
 私は午前中に買い物を済ませたいので、一人で日傘をさしてあちこち見歩き買い物をしています。魚屋も肉屋も,こぎれいな八百屋もそうして見つけました。
でも何処の店にいっても、店員は男ばかり・・・。モスリムのこの国では、女性はいつも男性にリードされて庇護されているそうです。日常の買い物も女性の下着やシャルカミを作る生地を見立てるのも男性です。通りを歩いていていつも思うことは
      「この国の女性はどこにいるのだろう?」
 一人で出歩くことが許されないなんて・・・。これは大切にされているという意味とはちょっと違うように思います。レストランなどで大家族が食事をしているのをよく見かけますが、、おじいちゃんと父親、その兄弟たちと小さな子供たち(女の子を含む)だけで、お婆さんやお母さんの姿はありません。一緒ならばさぞ楽しいのに!と思ってしまいます。
 
 イスラマバードにいるSVは石原のみ。それ故私はいつもひとりぼっちです。
最近カラチ在住のSVの奥さんと知り合いになりました。彼女も家から一歩も出られないと言っていました。ちょっと外へ出ると、門番がついてくるそうです。買い物はすべて車かタクシーを使うとのこと・・・。私のように、女ひとりで通りを歩くなんてカラチでは考えられないそうです。「イスラマバードは、女の人が一人で出歩けるからいいわね!」と羨ましがられました。

 ☆ムハンマド・アリ・ジンナー
 ジンナーはインド・イスラム連合の代表者であり、活動的なイスラム教指導者でもありました。また政治家でもあり、自由主義運動家でもありました。彼はパキスタン史上すべてにおいて卓越した存在であったことから カイディアザム(偉大なる指導者)とも「パキスタン建国の父」とも呼ばれています
。現在国内で使用されている紙幣のすべてにジンナーの肖像が印刷されています。ジンナーマーケットも彼の名前に由来しています。
 ジンナーは1876年カラチの裕福な商家の長男として生まれ16歳の時イギリスに渡り19歳で弁護士資格を取得しました。カラチに戻ってから弁護士をしながらインド独立のための政治活動をしました。その後ウルドゥ詩人のアラーマ・イクバルやトルコ独立の父と言われるムスターファ・ケマルの影響を受け、イスラム教徒のくに(パキスタン)をつくろうとしました。そして1947年8月14日ジンナーはパキスタンの独立を宣言しました。でもその翌年、71才でなくなりました。パキスタンの建国に一生をささげた彼の墓は生まれ故郷のカラチにあり、カイディアザム廟と呼ばれ、今も訪れる人が絶えません。
 9月11日はジンナー逝去日(ジンナー追悼記念日)としてパキスタンの祝祭日のひとつになっています。

 ☆ガンダーラ(タキシラ)を訪ねて。
 ガンダーラ・・・・・・。この名はもう50年ほど前から私の中に憧れの地として残ってきました。インド、イラン、ギリシャの3大文化の融合した何とも自然な姿のままの人物の像・・・。写真ではなくじかに見る仏陀の表情には、深い静寂の中に永遠の安らぎがみえます。

 紀元前6世紀末から紀元6世紀までの長期にわたって多くの支配者がタキシラの土地を治めました。その間に3つの都市遺跡と数多くの仏教遺跡がつくられました。私たちは第2都市遺跡のシルカップとガンダーラが最も繁栄した時代(紀元前2〜3世紀。仏教を保護したアショーカ王の時代です。)の第3都市遺跡シルスフを訪ねました。ダルマラージカ(ガンダーラ最大最古の寺院)には直径45mの巨大円形ストゥーパ(仏塔)がありました。

 2200年の時が流れています。世界の文化遺産たちはタキシラバレイーに囲まれた、この広大な廃墟の中に静かに埋もれていきたいと叫んでいる様に思えました。でも世界の宝物になってしまったので、埋もれていくことを許されません。

 さて私たち一行6名はシニアボランティア4人、夫人2名です。この暑い中(42〜43℃)、タクシーを2台チャーターして、イスラマバードから日帰りでやってきたのです。でも暑さもなんのその「次はどこや?」「ハイ次!」とシニアたちは元気そのもので、すべての遺跡を見て回り、しっかりノルマ(?)をこなしていました。現地人の運転手二人は「過剰労働や!」「やりきれん!」とぼやきあっていました。
 パキスタン人の97%はモスリムです。後の3%はキリスト教、ヒンドゥ教、ゾロアスター教、仏教です。日本からの観光客が多いのでしょう、それぞれの案内板には立派な日本語が書かれていました。
         
                          それではまた

 

34,8℃


これ頂戴!


ニセ占い師


シャルカミをつくりました。


ジンナーマーケットの一部


夜のジンナーマーケット


パキスタンの紙幣


タキシラミュージアム


仏陀像


ダルマラージカの巨大仏塔


シルカップの廃墟


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