イスラマバードの風 NO.36     2011年6月4日発行

 アッサラーム・アレイコム! ご無沙汰しています。 石原武司です。
 5月15日に帰国しました。今回は3週間という短い滞在でしたが、滞在中の5月1日、イスラマバードからほんのひと山越えたところ(距離で60km)にあるアボタバードで歴史的な大事件が起こりました。それは、アメリカ軍によるオサマ・ビン・ラーディンの殺害事件です。

■ 家族宛メール(5月6日)より
 先週の最大のニュースは、何と言ってもアメリカ軍の攻撃によるオサマ・ビン・ラーディン殺害事件でしょう。アボタバードはイスラマの北約60km、ここからひと山越えたところにあります。彼はここに2003年から8年間も住んでいたのです。私がボランティアで来た2007年にはすでに彼はここにいたし、アボタバードはフンザに行く通り道なので、私は2回も彼の潜伏場所の近くを通って行ったことになります。
 
この事件に対するパキスタン人の反応は意外と冷静で、冷ややかです。大多数のパキスタン人は、アルカイダやタリバンには批判的で、彼らは本当のモスリムではないと言っています。でも、アメリカに対しても彼らは批判的です。
 先日、ラホールで2人のパキスタン人が米兵
に銃殺されるという事件が起き、その米兵はパキスタン警察に逮捕されましたが、アメリカはその犯人の引き渡しをパキスタン政府に要求しています。これに対して大多数のパキスタン人は憤慨しています。ちょうど日本の沖縄と同じことがパキスタンでも起こっているという感じです。また、ビン・ラーディンをかくまっているとして、米軍はアフガニスタンやパキスタン国内のタリバン派の拠点を攻撃していますが、このときたくさんの一般市民が巻き添えになり死んでいます。
 
アメリカはビン・ラーディンに復讐するために、アルカイダを擁護するアフガニスタンのタリバン政権に攻撃を仕掛けましたが、その攻撃で、あるいは攻撃に対抗する自爆テロによって、9・11の何倍もの人間が死んでいます。ビン・ラーデンに復讐するだけなら、戦争ではなくCAIのような秘密警察(刺殺団)を送り込めばよいのです。そうすれば死ななくてもよい多くの命が救われたと思うと残念でなりません。何より残念なのは、この戦争をテロとの戦いと位置づけ、日本も支持していることです。我々はベトナム戦争と同じ愚を再び起こしているように思います。

■ 9・11は何だったのか?
 2001年9月11日、ハイジャックされた2機の飛行機が相次いで世界貿易センタービルに突入、この自爆テロで二千数百人の命が奪われた。このときの映像が目に焼き付いて離れないのは私だけではないだろう。”一体なぜこんなことが起こったのか?”、私には理解ができなかった。私がシニア海外ボランティアとしてイスラム圏に行ってみようと思った理由のひとつは、イスラム圏に行けばその疑問が解けるのではないかと思ったからだ。
 私とパキスタン・イスラム共和国とのつきあいも4年を越え、たくさんのパキスタン人モスリムと知り合ったが、いまだにその疑問は解けない。やっぱりその疑問は、普通のパキスタン人と話をするだけでは解けないのかもしれない。
 私が一番親しく付き合っているMr. イムランは言う。
「イスラム教はとても平和な宗教で、爆弾テロや自爆テロをする連中は本当のモスリムではない」と。私は彼の言に半分同意、半分不同意だ。私が付き合っているパキスタン人はみんな敬虔なモスリムだが、彼らといわゆるイスラム過激派といわれる人たちは全く別人なのか?それとも、普通のモスリムも何らかの契機でイスラム過激派に変身するのか?私はどうも後者のような気がする。
 イスラム教の教典コーランの中には、ジハードという教えがある。ジハードのもともとの意味は、「努力・奮闘すること」だが、転じて「イスラム世界を防衛・拡大すること」「神のために戦うこと」(聖戦)という意味で使われるようになった。ジハードを行う者は天国に迎えられ、神から褒美がもらえるということがコーランに書かれている(そうだ)。少なくともイスラム教の勃興時、イスラム教は非暴力・平和の宗教ではなかった。イスラム教をつぶそうとする勢力と戦う必要があった。ジハードの教えは、イスラム教の防衛・拡大のために持ち込まれた教えだと思う。その教えは、十字軍との戦いにおいてモスリムの精神的支えとなった。近年では、ソ連のアフガン侵攻に対するイスラム義勇兵の合い言葉となった。
 私はイスラム教の最大の問題点は、「ジハード」の拡大解釈・恣意的解釈にあると考える。ジハードはイラン・イラク戦争の中でも使われたし、イスラム教内宗派であるスンニ派とシーア派の抗争の中でも使われ、毎年沢山の犠牲者を出している。敬虔なモスリムは死を恐れない、自分の死を恐れないだけでなく他人の死も恐れないから厄介だ。自爆テロで多くの民間人が巻き添えをくうことに対し、実行犯は無頓着である。世界貿易センタービルでの自爆テロはその最たるものだ。
 また、イスラム教には牧師・司祭に相当する人間がいないし、ローマ法王に相当するような最高指導者もいない。すべての信者は神の下で平等である。これはとても素晴らしいことであるが、同時に宗派間抗争も止められない、過激派の暴走を止められないという欠陥にもつながっている。
 9・11はなぜ起こったのか? 納得のいく答えはまだ得られていない。

  
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