イスラマバードの風 NO.37(最終号)    2011年9月4日発行

 アッサラーム・アレイコム! 石原武司です。
7月中旬、パキスタンより帰国しました。実は今回が最後のパキスタン滞在でした。
この通信、もっと早く出さねばと思っていたのですが、これを出せばいよいよパキスタンともお別れ、まだまだ未練があって、なかなかその気になりませんでした。でも、もう9月、第三の人生に一歩踏み出すためにも、最終号を書かねばと、やっと踏ん切りをつけました。

■ プロジェクトの計画変更
 私が参画していたプロジェクトの目標は、パキスタン教育省が2006年に発表した、生徒中心・探求過程重視の新しい理科教育カリキュラムをパキスタン全土に広め、現場の先生たちの中に定着させることでした。そのために、4年生〜8年生の教師用指導書を作成し、それをもとに各州のマスター・トレーナーたちを訓練し、各州の現場教員の研修プランを確立することでした。プロジェクトでの私の仕事は、教師用指導書を各州から集まった約40人の指導書作成委員と共に作成することでした。そして、その仕事は少なくとも今年12月まではかかる予定でした。
 その計画が縮小され8年生の指導書は作らないことになったのは、ひとつには昨年の大洪水で財政が逼迫し、プロジェクトのパキスタン側分担金を負担できなくなったこと、もうひとつは地方分権化が進み、連邦教育省自体がなくなってしまったからです。教育省がなくなるといっても、日本だったら3年後とか5年後とかになるのですが、パキスタンでは、昨年末に決まって今年4月から即実施です。いかにもパキスタンらしいことです。そんなことで私の仕事は本年7月で終了してしまいました。

 I love Pakistan.
 パキスタンを発つ前日、プロジェクト事務所があるNISTEの職員が送別会を開いてくれました。2年前、私がボランティアだった時の職場もNISTEでしたから、同じ場所での2回目の送別会でした。
 私は2007年4月から2009年3月まで、シニア海外ボランティアとして、このNISTEで仕事をしていました。それが終わって、5月からこのプロジェクトに加わりましたが、その事務所はNISTEにあり、プロジェクトの担い手はNISTEメンバーで、結局、NISTEともNISTE職員とも4年半のつきあいになりました。
                                          [NISTEでの送別会]
 パキスタンでの生活は予想以上に厳しいものでした。
第1の理由は夏の暑さです。6月のイスラマバードは、日中は40度を超え、焼けた屋根のため夜も35度以下にはなりません。その上、停電が1日6回、延べ6時間もあります。クーラーも扇風機も回らない夜の停電は地獄そのものでした。
 第2は治安問題です。レッドモスク銃撃戦、マリオットホテル爆破事件、ブット暗殺事件の後、イスラマバードの厳戒態勢は常態化、私がいた4年半、私たちは外出禁止等、何らかの行動制限をいつも受けていました。
 第3はイスラム教徒の生活習慣。アルコールが飲めない、豚肉が食えないのも長期になるとつらいものがありました。       [送別会記念写真」

 そんなパキスタンでの生活でしたが、パキスタンは私が滞在した3つの国の中で一番思い出深い国になりました。それはきっとパキスタン人と気持ちが通じ合ったからだと思います。気持ちが通じ合うのは、パキスタン人と日本人の気質が似ているからです。彼らは一般に恥ずかしがり屋で、謙虚です。ただ、彼らは日本人のようにガムシャラに仕事はしません。どんなに忙しくても、お祈りの時間がくると、仕事をやめてお祈りに行きます。また、彼らは奢ったり人を招待するのが好きで、一緒に食堂に行くと、自分が奢るといって聞きません。また、パキスタン最後の週は、毎晩のように夕食に招待されました。
    [Mr.イルファン・私・Mr.ジア]

 インドとパキスタンは元はひとつの国(英国の植民地)だったので、よく比較されます。私は、昔はどちらかというとインドびいきでしたが、今はすっかりパキスタンびいきです。でも、現在、インドは目覚ましい発展を遂げていますが、パキスタンは貧富の格差と物価高と高い失業率に苦しんでいます。この違いはいったいどこから来ているのでしょうか? 
 その違いは教育の普及度の違いから来ています。パキスタンの識字率は55%、小学校就学率は70%、中学校就学率は35%ですが、インドはパキスタンの約10倍の人口を持つのに、識字率は65%、小中学校就学率もパキスタンよりよいのです。     [Dr.グルと私]


 パキスタンの教育の普及度が低いのは、ひとつは膨大な軍事費のためです。インドに対抗するため、そして国内イスラム過激派を撲滅するため、国家予算の70%が軍事費に使われ、教育にまでお金が回ってこないのです。もうひとつは、イスラム原理主義者の女子教育に対する無理解のためです。

 郡部の貧しい親は、子どもを学費の要らない宗教学校(マドラサ)に入れます。マドラサの指導者はその子どもを自爆テロの要員に育てる、なんてことも起こります。公教育の普及こそ、パキスタンが抱える問題を解決する近道だと思います。
1日も早くパキスタンが平和で豊かな国になることを願っています。   [Mr.イムランと私]

■ とうとう終わってしまった
 2002年4月、定年まで1年を残して退職、私はJICAシニア海外ボランティアとしてアフリカのザンビア共和国に赴任しました。私の第二の人生の始まりです。ザンビアですっかりシニア海外ボランティアの魅力に取り憑かれた私は、その後、バヌアツ、パキスタンと3カ国で活動、計6年間も海外で活動することになりました。
 2009年3月、パキスタンでの仕事が終わったとき、幸運にもその年の5月から始まるパキスタン国初等理科教育改善プロジェクトから誘いを受け、仕事を手伝うことになりました。
 そして、2011年7月、その仕事も終わってしまいました。当初は「アフリカの水を飲んだ者はもう一度アフリカに戻ってくる」ということわざの通り、最後にもう一度アフリカで活動したいと思っていましたが、東日本大震災が起こって、「もう海外に出るのはやめよう」という気になりました。
 私の第二の人生は終わってしまいましたが、充実したいい第二の人生だったと思っています。

■ 第三の人生  
 第二の人生が終わってしまったので、第三の人生の設計をしなければなりませんが、まだその設計図が出来ていません。とりあえず、日本に帰ってきた挨拶がわりに、妻と二人で、青少年のための科学の祭典の北はりま大会(8月7日)と東はりま大会(8月27・28日)に出展しました。10年ぶりの出展でしたが、昔の仲間にも会えてよかったです。
 さて、「これから何をするか」ですが、いくつかやってみたいことがあります。
@ 物理サークルの森本先生が私財を投じて作られた「かがく教育研究所」のお手伝いをすること                   [科学の祭典東はりま大会]
A 自宅の近所に土地を借りて野菜作りをすること
B メタボ解消のため市の卓球サークルに入ること
C 頭の老化防止のため、大学の物理をもう一度復習すること
さて、どんな第三の人生になりますか、軌道に乗りましたら、またHPを作りたいと思っています。

この号をもって、「イスラマバードの風 最終号」とさせていただきます。
永らくのご支援、ご愛読ありがとうございました。
 


  
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