イスラマバードの風 NO.27      2009年3月16日発行

 アッサラーム・アレイコム!石原武司です。
 (あなたの上に平安あれ!)
 イスラマバードは、3月に入ると日中は25度を越える陽気で、人々の服装も半袖が普通になりました。また、街のあちこちにある杏の花もいっせいに咲き出しました。
 日本だったら、今日当たり絶好のお花見日和りなのですが、今日3月16日はJICA事務所から外出禁止令が出ています。それは、2つの抗議団体が16日到着を目標に、全国各地からイスラマバードに向かって行進(ロング・マーチ)しているからです。ひとつは、最大野党の党首であるシャリフ元首相とその弟に対し、過去の汚職を理由に議員資格剥奪の判決が出たことに対する抗議です。大統領のザルダリだって同じ傷を持っているのに、彼らだけ議員資格を剥奪されたのは、与党の圧力によるものだというのが彼らの主張です。もうひとつは、元最高裁判所長官のチョードリの復職問題です。チョードリは政権に不利な判決を出すということで、前大統領のムシャラフによって更迭されましたが、大統領が替わった今も復職していません。復職を妨害しているのはやはり政権与党だというのがチョードリ支援団体の主張です。両団体は12日から行進を始めましたが、各地で警官隊と衝突、1000人規模の逮捕者が出ています。
 このような抗議行動が可能であるのはこの国にとってよいことですが、我々外国人はケガをしないように、ただただ傍観するのみです。

◆ GCET
(Government College for Elementary Teachers)での授業
 イスラマバードにはGCET(教員養成短大)が3つありますが、2月中旬、そのうちの1つから、授業をして欲しいという要請を受けました。ちょうど58本のビデオを完成したところだったので、ビデオに対する反応を確かめるのによい機会だと考え、快く引き受けました。
 当日、大学から迎えの車(といっても軽四ワゴン車)がNISTEに来て、大学のある隣のH9ブロックまで行きました。向かえてくれたのは、私がNISTEで教えたことのある女性の先生でした。学長室でこの大学について話を伺いましたが、この大学は高校前期(Year10)を終えた学生が入学、小学校課程は1年間、中学校課程は2年間の教育を受ける。学生数は約1000人で、95%は女性。この国でも、教員は給料が安く、男はなりたがらないとのことでした。
 そのあと、講堂で約200人の学生を対象に物・化・生・数のビデオを各1本見せましたが、1本終わる毎に盛大な拍手をしてくれました。ビデオを見せたあと、学長から科学専攻の学生を対象にもう一度、実験を伴う授業をしてやって欲しいと頼まれました。
 一週間後、私は実験器具を持って再びこの大学を訪れました。このあと実施予定のムルタンでの科学イベントを考慮して、マグデブルグの真空実験2種類(真空ポンプを使うタイプとアルコールを燃やすタイプ)を見せ、2種類の浮沈子づくり(お魚の醤油入れを使うタイプとストローを使うタイプ)をやってもらうことにしました。ビデオを併用したので、授業はとてもスムースに進みました。学生たちは初めての実験に大喜びで、授業の後女子学生から、いっしょに写真を撮りたいという申し込みをいっぱい受け(中にとびっきりの美人学生もいて)、久しぶりに胸をときめかせた1日でした。

◆ ムルタンでの理科部会と科学イベント
 パキスタンには理科教育関係のSVが8人来ています。私以外の7人は、ラホールが3人、ファイサラバードが2人、ムルタンが2人です。その8人で理科教育部会を作り、職場相互訪問、情報交換、教材の共同開発、科学イベントの開催などの活動を行っています。8人の中で私が一番の古株なので、今年は私が会長を務めています。
 今年度3回目の理科部会は焼きものとマンゴで有名なムルタン(私のカウンターパートのイムランの故郷でもある)で実施しました。ムルタンはパキスタンで一番暑いことでも有名で、6月は40度を越える日が毎日のように続きます。だからここのマンゴはとても甘いのです。
 このムルタンにもGCETが2つあり、それぞれにSVが赴任しています。ただ、GCETも地方へ行くほど施設・設備が未整備で、それ以上に教員の意識・意欲が低く、赴任したSVが活動し難いという傾向があります。そこで、科学イベントと日本文化紹介を行い、GCETに新風を吹き込み、SVが活動し易い状況を作ろうというのがムルタンでの理科部会開催のねらいです。今回の催しには、ラホールの青年協力隊員の女性2人も応援に駆けつけてくれました。
 会場校のSVから、出しものは中学生レベルのものがよいという注文だったので、私は「ヘロンの噴水」のデモンストレーションと前にもやった「浮沈子づくり」にしました。また、開会の挨拶では、マグデブルグの真空実験を見せました。イスラマバードのGCETでやったことがちょうどよい予行演習になって、すべてうまく事が運びました。
 他のSVの出しものも日本文化紹介もうまくいって、両会場ともとても盛り上がり、会場校のSVからとても感謝されました。このイベントの後、両SV共とても仕事がし易くなったと言ってもらえました。

◆ Dr.シャミのこと
 先週の土曜日、Dr.シャミがもうすぐ帰国する私たち夫婦を夕食に招待してくれました。彼の家庭は、高等教育局に勤める奥さんと娘1人、息子1人の4人家族ですが、娘さんは今、アメリカの大学に留学していて、その代わりに奥さんのお姉さんが同居しています。彼の家は私たちの隣のブロックのF8にあり、私たちと同じく、2階借りの質素な生活をしています。彼の自慢はお嬢さんで、いたるところに彼女の写真が飾ってありました。彼女は南アジアを対象とするコンピュータ・ソフトのコンテストで入賞し、アメリカ留学を勝ち取ったのだそうです。また、息子さんはOレベルの私立高校のYear10で、数学と物理が得意です。私のofficeにも遊びに来たことがあり、私が制作したビデオの大のファンでもあります。私たちは奥さんのお姉さんが作ってくれた料理に舌鼓をうち、彼の自慢のお嬢さんと息子さんを話題にして、楽しい2時間を過ごしました。
 Dr,シャミはNISTEの副所長ですが、所内では完全に孤立していて、NISTEの仕事をさせてもらえず、もっぱら外部の学生の学位論文指導をしています。彼はイギリスで生物学のDrを取り、現在は科学教育を専門とし、パキスタンの理科教育を何とか改善したいと考えている人です。彼はタバコもワインもやる不熱心なモスリムですが、私はそういう彼に親近感を感じ、週に何回か副所長室にチャイ(紅茶)をよばれに行きます。私たちは互いにとてもよい理解者だと思います。
 彼の現在の不遇は、軍人出身で熱心なモスリムだった前所長の誤解からきています。彼の不遇は、彼にとってだけでなく、パキスタンの理科教育にとっても大きな不幸だと私は思います。
 彼は毎年、教育調査を実施し、パキスタンの教育白書を編集していますが、それについて前所長は「彼の教育白書は日付を変えただけで、毎年ほとんど同じ内容である。この者は学者として信用ならない。」という文書を作り、教育省内にばらまいたのです。これに対してDr.シャミは、「教育調査は毎年同じ調査項目で行わないといけないし、パキスタンの教育は大きく改善されないから毎年ほぼ同じ結果にならざるを得ない」と云います。
 パキスタンではこういうケースはままあることらしいのですが、私は彼がもう一度前線に復帰し、パキスタン理科教育の改善のために働いてくれることを心から願っています。


◆ パキスタンはインドになれるか?
 近年のインドの躍進にはめざましいものがあります。私のパキスタン赴任が決まったとき、「パキスタンもインドと同じようにめざましい発展をとげられるか?」という命題を掲げ、その答を見つけることを自分に課しました。
 そして、2年間パキスタンで過ごして得た結論は”NO!”です。インドの躍進は工業化・情報化によるものですが、工業化・情報化は政教分離ができるかどうかで決まります。ヒンズー教のインドはそれが出来ましたが、イスラム教のパキスタンはどう考えてもそれが出来そうにありません。だから結論はNOです。
 多くのパキスタン人は、経済発展か信仰生活かの二者択一を迫られたら、きっと信仰生活を選ぶでしょう。(実際には二者択一を迫られることはないから、両方手に入れたいと思うでしょうが)
「貧しくとも平穏な毎日を過ごしたい」「経済発展より信仰生活を大切にしたい」、それはひとつの見識であり、いいことだと思います。問題は国民全体がそういう見識を持てるかどうかです。
 私は二年間パキスタンにいて、イスラム教についてずいぶん理解が深まり、好意的な見方をするようになりましたが、どうしても認められないのは自爆テロです。イスラム教徒はイスラム教は平和な宗教だと言いますが、自爆テロを正当化するようでは平和な宗教とは言えません。イスラム教の宗教指導者は自爆テロを容認しない姿勢を明確にすべきです。
 さて、私たちの帰国の日まであと2週間となりました。この通信をイスラマバードからお送りするのはこれが最後です。永らくのご愛読ありがとうございました。(最終号は日本からです)

いっせいに咲き出した杏の花


杏の花は桜のよう


GCETでのビデオ上映


学生による浮沈子製作


GCETの学生たちと


開会式で挨拶する私


ヘロンの噴水を説明する私


GCETムルタン女子校で


GCETムルタン男子校で


Dr.シャミの家族


Dr.シャミ宅にて


私の製作物の展示(1)


私の製作物の展示(2)


私の製作物の展示(3)