イスラマバードの風 NO.26 2009年2月21日発行
みなさん、こんにちは。石原郁子です。 早いもので、石原の任期もあとひと月になりました。2月に入ってから、停電もなくなりやっと不自由な生活から抜け出ることができました。 しかし、パキスタンの北部辺境州では相変わらず政府軍とタリバン派の戦闘が続いています。イスラマバードは今のところ平穏ですが、厳しい警戒網が敷かれています。 そんな中、こちらは日増しに暖かくなりました。2/21、11時30分現在室温20.2度、湿度20%です(ここの湿度計は、20%以下はみんな20%と表示)。寒いのが苦手な私でも薄いセーター一枚で十分です。イスラマバードは冬でも気温が10度以下になることはないので、冬はとても過ごしやすいです。でも寒がり屋のパキ人は頭から布をかぶり首に巻き付けて、いかにも寒そうに歩いています。が、彼らの足にソックスが履かれていることはありません。 ☆ もちつき大会 日本人会主催のもちつき大会が、1/25、日本人学校の広場で行われました。昔ながらの杵と臼を使って、蒸した餅をつくのです。婦人たちは餅を丸め、きなこやあんこをつけます。久しぶりにおすましのお雑煮をいただきました。 当日はとても寒く、雨混じりの北風が一日中吹いていて、すっかり風邪を引き込み、次の日は20時間も寝てしまいました。 でもあんこのおもちは、甘いものが食べたい!食べたい!っていうストレスを抱える私を、十分満たしてくれました。 ☆ イムラン家訪問 一昨年結婚をした石原のカウンターパート、Mr.イムラン・カーンは29才。彼の出身地はパキスタン中部の都市、ムルタンです。ここは古くから青色の陶器で有名です。イムラン夫妻は一度我が家に遊びに来ているので、その答礼として私たちを招いてくれました。こじんまりした家の二階を借りています。奥さんは心理学者ですが、今は働いていません。この3月にbabyが誕生するのです。彼女の作るパキスタンの手料理は、どれもおいしく、他のゲスト(Msサバ、Msショエバ)と一緒にたっぷりいただきました。 食べたあとは 彼らの結婚式のビデオをみました。彼らはこの国の上流階級層の出身です。3日にわたり約300人の客を招待しています。絢爛豪華な式典の一部始終を見ただけで、すっかり疲れてしまいました。 この国の上流階級では男性女性とも本人の意志は問われず、血縁関係の強化や農地の統合と言った問題を考え、長老の意向・家族の利害が優先されて、婿選び・嫁探しが行われます。イムランも結婚するまで奥さんの顔を見たことがありません。彼女の写真一枚を、大切に持っていて誰にも見せません。彼がこの結婚を決めた理由は、彼女の家の家庭環境が気に入ったからです。ムスリムの結婚は契約書に両者が署名することで成立します。その際花婿は花嫁に対してマハル(結婚贈与金)の額を呈示し、その半額を支払います。将来不幸にして妻と離婚する場合は、残りのマハルを支払うことになります。こういうことまで七世紀の人であるムハンマドが、ちゃんときめていたのですね。 ☆ジャパンディ 2/13(金)に新しい大学(SEECS大学)の開校式がありました。ジャパンデイと銘打ったこの開校式は日本大使夫妻と約40人の招待客が呼ばれ、雨の中、3時から始まりました。金曜日なので、何よりもまずお祈りが優先されるため、3時からの開催になったのです。 一昨年、ふとしたことから私は日本語クラスの助手を務めたことがあります。当時この大学はNUSTといわれていました。公立大学ですが授業料は相当高いようです。この国の大学進学率は5%を切っていますから、学生たちは相当裕福な家の子女です。当時この大学で教えていたSVのアムジャドさんを介してコーラスの要請がありました。私たちはコーラスだけではなく、折り紙や日本文化紹介、生け花、浴衣の着付け、ボランテァ活動(グリーティングカードやコサージュなどを作って売り、その収益をパキスタンの貧しい人、団体に寄付する。)の出展、販売をも担当しました。 このジャパンディの開催に際しては、日にちや時間の変更が3度もあり、始まりの時間が3時と遅くなったこともあり、子もちグループのコーラス部員は四苦八苦です。当日は朝から晩までの長雨にたたられ、あたらしい校舎には渡り廊下もないため歌うところ(講義室)と展示場との行き来に困りました。 私は2時に現地に着き、まず受け付け担当の大学職員に石原と私の浴衣を着付けました。女性職員は若くメリハリのきいたボディをしているので、かえって浴衣が着せにくく、下駄も履きずらそうでした。男性職員はお相撲さんのような大きな若者で、石原の浴衣が窮屈そうです。帯も1重がやっとで小さな蝶結びになってしまいました。 折り紙は思いがけず大変な人気を集めました。学生に混じって招待客の年配の男性たちが鶴を折ったり、剣玉などに夢中 です。女学生は生け花に関心があるようです。 いろいろありましたが、終わってみれば無事終了したことへの安堵感で一杯です。展示物を見て回られた大使夫妻を、全員笑顔で迎えることが出来て良かったと思っています。15〜6人の女性が一日ボランティアとして協力してくれました。感謝です。 そして、以前日本語の助手を務めた時の学生さんが「Mrs石原。ボクを覚えていますか?」と声をかけてくれました。彼はとても熱心な学生でよく質問を受けました。「日本語上手になった?」と聞くと「NO」と言って笑っていましたが・・・。 SEECS大学の学長が日本大使に「これは日本の折り紙です」なんて説明されていたのが笑えました。大使も「ああそうですか」と答えておられました。 雨の中「あぁ 終ったなぁ〜」とつぶやきながら、あたらしい大学群ができるH12地域を見渡しました。西部劇に出てきそうな広大な岩だらけの荒れ地が、急速に姿を変えつつあるのを見渡しながら大学をあとにしました。 ☆藤沢周平の世界 こちらに来てから夢中になって読んだ本の中に周平さんのシリーズがたくさんありました。周五郎に似て非なるものながら、両者とも私の大好きな作家です。 男と男の友情。男と女の抑制された慕情の美しさ、けなげさ。 はかない恋心を胸に秘めたまま、墓場まで黙って持って行く・・・。わずか200年ほど前の日本には、確かにあったものが、今は失われてしまっています。 「悪を切って捨てる!」という ”目には目を”の早い解決も私には好ましい限りです。 この間、司馬遼太郎の「梟の森」を読んだとき、面白い一文が書かれていました。伊賀忍者の人相見の伝承の中に「年をとってからの童顔には、まれに大悪人を生む・・・。」 私の知り合いの中に、ぴったりの人がいます。もう長い間お会いしていませんが・・・。「大悪人かぁ〜」おかしくって笑ってしまいました。 ☆ 犬の話 ウチでは、約20年前にシェットランドシェルティという種の犬を飼っていました。生まれたての血統書付きの犬で、トライと言われる三色の雄犬でした。雄犬なのにしゃがみこんでおしっこをするのです。何度か「こうするのよ」と言って私が片足を上げて教えたことがありますが、クロード(犬の名)は教え甲斐もなく相変わらずしゃがみこんでいました。また、人間の私が犬に教える というのも何だかヘンなのでそのままになっていました。彼はとうとう足を上げることはありませんでした。 ここパキスタンにも犬がたくさんいます。この間初めて、片足を上げて用を足している犬を見つけビックリしました。というのはパキスタンの男性は「道路横にしゃがみ込んで用を足す」 と聞いていたからです。人間の男性でもしゃがみ込むのですから、犬はもちろんそうするものだと思いこんでいたのです。さすが首都イスラマバードでは、しゃがみ込む男性はいませんが、それでも今までに1、2度見かけたことがあります。困ったことです。 なんとも品性のない話になってしまいました。 犬は単に快、不快で行動しているだけなので、遺伝子や環境、教育の賜ということではないようですね。 ☆ イスラマバードの風 私の母が”風”になってからもう2年が過ぎました。97才の天寿を全うした母は、父や妹のいる光り輝く世界に遊んでいることでしょう。この頃の生暖かい、まとわりつくような風を追いかけているとフッと母を思い出しました。 「やっと来てくれたんだ!」。 もうすぐ帰る頃になって、風になった老齢の母がやっとイスラマバードにたどり着いたようです。 そして、ささやかな一瞬の渦巻きを残して、私の側から去っていきました。 私ももうすぐここから去っていきます。 長い間拙文にお付き合いいただき ありがとうございました。 石原郁子 |
日本庭園にて。入場料6Rs(10円) 杵と臼の世界 イムラン夫妻 私、サバ、ショエバ 結婚式のビデオを観る 王子様のようなイムラン ジャパンデイの開校式 JOCVのYさんとMさんが着付けを手伝ってくれました。 生け花のデモンストレーション 日本の新聞で作った兜 できたぁ〜 ボランテァ活動の展示販売 コーラスの仲間 SEECS大学からいただいた楯 ネコヤナギ(水彩) |