イスラマバードの風 NO.25      2009年1月25日発行

 アッサラーム・アレイコム!石原武司です。
 (あなたの上に平安あれ!)
 イスラマバードは、年明けと共に春がやってきた感じです。文字通り”新春”です。冬至からまだ10日しか経っていないのに、日増しに夜明けが早くなるし、ひと雨ごとに春の雰囲気が増してゆきます。これはイスラマバードが内陸性気候だからです。
 さて、小生の任期もあと2ヶ月と残り少なくなり、そろそろ店じまいを始める時期となりました。仕事の方はまずまず順調で、科学実験ビデオ50本制作、という目標もほぼ達成できそうです。ただ、私のパキスタンでのもうひとつの目標、”イスラム社会についての理解を深める”ということについては、あまり前進がありません。”9.11はなぜ起こったのか?””何が彼らを自爆テロに駆り立てるのか?”については、依然として、納得できる答が見つかりません。
 あと2ヶ月、パキスタン人が何を考えているのか、もっと知る努力をしなければと思っています。

◆ インシャラ(神の御心のままに)
 パキスタンに赴任して間もない頃、カウンターパートのMr.イムランと「××時から○○をしよう」と約束をすると、彼はいつも「ティー・ケー・ティー・ケー(OKのこと)」と調子の良い返事をしますが、そのあとに必ず「インシャラ」をつけます。そして、いつも遅れてきたり、すっかり忘れたりします。何回かそんなことがあったので、私は彼に「インシャラ」はやめてくれ、without fail(必ず)と言ってくれと言うのですが、彼はいっこうに改めようとしません。
 ところが、最近読んだ本(「イスラームの日常世界」片倉ともこ著、岩波新書)にこんなことが書いてありました。モスリムは西洋人(日本人も含む)を、「彼らは傲慢にも、自分の命が永遠であるかの如く考えている。明日どうなるかは神にしかわからないことなのに・・」と批判します。
 それを読んで、「そうか、インシャラにはそんな深遠な意味があったのか」と、ちょっと私は「目から鱗」でした。でも、Mr.イムランの「インシャラ」にはそんな意味がこもっているとはとても思えませんが・・・。

◆ パキスタンのクリスチャン
 パキスタンでも12月25日は祝日です。「キリスト教の国ではないのになぜ休みなのか」とMs.タヒラに聞くと、「パキスタンでは、掃除夫はたいていクリスチャンで、12月25日はそういった下積みの仕事をしている人達に感謝する日です」と答えました。
 パキスタンではクリスチャンはマイノリティーですが、モスリムとクリスチャンの間に上下関係があるとは知りませんでした。そういえば、私の家の近くにかなり大きなスラムがあって、そのスラムは「クリスチャン・コロニー」と呼ばれています。コロニーに住む人達に多い仕事は、掃除夫・くず拾い・タクシー運転手です。パキスタンは貧富の差の大きい国で、大多数のパキスタン人は貧しい生活をしていますが、その最下層にクリスチャンがいるということです。
 ただ、パキスタンでもマイノリティーのための施策があり、国会議員の3%はクリスチャン等マイノリティーから選ぶようになっています。
 また、この国でもっとも尊敬されるのは医者と技術者です。Ms.タヒラもそうですが、NISTEで働いている女性はみんな裕福な家庭の出身で、親兄弟が医者や技術者という家庭が多いのです。

◆建国の父、ジンナー
 後で知ったのですが、Ms.タヒラの説明は間違いで、12月25日はジンナーの誕生日なのです。ジンナーはパキスタン建国の父ともいわれる人で、パキスタンのすべての紙幣に、この人の肖像が描かれています(他に偉人はいないのか!!)。
 ジンナーはインドのガンジーと同時代の人で、一緒に活動していた時期もあったようです。インドの独立に関して、ガンジーは一貫してヒンドゥー・イスラム融和による単一独立国を目指していたようですが、ジンナーは途中から宗教別分離独立を目指すようになりました。最終的には、分離独立派が勝って、ヒンドゥー教国のインドとイスラム教国の東西パキスタンになりました。しかし、インドにはパキスタンの人口を超える、1億5千万以上のイスラム教徒がいます。
 歴史に「・・だったら」は禁物ですが、もし、単一独立国が出来ていたら、カシミールをめぐる印・パ戦争は起こらなかっただろうし、パレスチナ問題も解決のヒントが得られたかもしれません。

◆ブッシュとオバマ
 パキスタンはアメリカの”テロとの戦い”の最前線ということで、アメリカから多額の援助を得ていますが、一般のパキスタン人は親米と言うより反米です。ブッシュが最後にイラクを訪問したとき、記者席から靴が投げられましたが、カウンターパートのMr.イムランはテレビでそれを見て喝采を送ったと言いました。彼はいつも「アメリカはセルフィッシュだから嫌いだ」と言っています。私は”I agree with you”といつも相づちをうっています。
 そんな彼も、オバマには好意を持っています。本当かどうかわかりませんが、Barack H Obama のHはフセインの頭文字で、彼の親族にはモスリムがいるのだと言っています。
 彼はこれまであまり熱心なモスリムではありませんでしたが、イスラエルによるガザ空爆のあと、職場のプレイルームに昼のお祈りにも行くし、急に熱心なモスリムに変身しました。
 イスラム教徒に国境はありません。世界中のモスリムはパレスチナ人に同情し、空爆をしたイスラエルとそれを支持するアメリカに対して怒っています。私の周囲のパキスタン人はみんな穏健なイスラム教徒で、自爆テロやイスラム過激派を批判しています。しかし、ガザ空爆のようなことが起こると、「穏健派が一夜にして過激派に変身する」というのはあり得ることだと思うようになりました。

◆ムシャラフとサルダリ
 2007年の暮れにブットが暗殺され、2008年1月の選挙では、ブットが率いていたPPP(パキスタン人民党)が圧勝、ムシャラフは大統領を辞任、代わってブットの夫であったザルダリが大統領に就任しました。しかし、ブットにはカリスマ性がありましたが、この人には全くそれがなく、いまいち国民の人気がありません。
 私がよく乗るタクシーの運転手であるシャビールが教えてくれたのですが、ザルダリがブット内閣で大臣をしていたとき、10%の賄賂を要求するので「10%の男」と呼ばれていました。そのため、軍事政権がブット内閣を倒したとき、ブットと共に政界から追放されたのだそうです。
 パキスタンでは、民政の内閣が汚職で腐敗し、クーデターで軍事政権に取って代わられる。何年かして軍政が倒され、民政が復活しますが、汚職事件でまた軍政に戻るといったことが繰り返されています。
 パキスタン人は、独裁か民主主義か、軍政か民政か、といった問題の立て方はしません。衣食住と信仰生活が保証されれば、どちらでもいいのです。実際、ムシャラフ政権も最初のうちは国民の大きな支持がありました。しかし、”テロとの戦い”が長びくにつれ、支持を失っていきました。大統領辞任後、ムシャラフはメッカに巡礼、そのあとはアメリカに亡命しているといわれています。
 人々はいま、パキスタンのオバマの出現を待望しています。

◆ 科学実験ビデオ
 ビデオ制作はパキスタン人との共同作業なので、なかなか計画通り進まず、ストレスのたまる作業でした。何事も「インシャラ」のパキスタン人に歩調を合わせてやっていたら、50本はおろか10本のビデオの完成も難しかったことでしょう。「日本人は目標を決めたら、何としてもその目標を達成する」ということをわからせたくて、意地になって仕事をしていました。そして、いつも「切れたらアカン」と自分に言い聞かせていました。でも、目標を達成した今、日本人のこんな仕事の仕方が本当にいいのかどうか、ちょっと懐疑的になっています。
 制作したビデオは、JICAパキスタン理科教育のHPにアップロードしました。(URLは 
http://www.nistepkscience.com/
 このHPは、パキスタンの理科教師だけでなく、英語圏の発展途上国に派遣されているJOCV理数科教師にも使ってもらえたらと考え、制作しています。みなさんもぜひ一度覗いて見てください。

公園のアオバズク


すっかり春のマルガラ山公園


道ばたの焼き砂トウモロコシ屋


Mr.イムラン


Ms.タヒラ


クリスチャンコロニー












上から10, 20, 50, 100, 500, 1000ルピー札


福寿草





桜草