イスラマバードの風 NO.24      2008年12月28日発行

 みなさん、こんにちは。石原郁子です。
 イスラマバードも寒くなりました。昨日からの雨が上がり、今日(28日)はどんよりとしたお昼になりました。室温16,4℃、湿度46%です。木々は紅葉の盛りを過ぎ早朝の落ち葉を掃く音がすがすがしく聞こえてきます。

 ☆ タイの休日
 仕事ばっかりしている石原を休ませたくて、こちらの祝日(第2イード、犠牲祭)にあわせて、9日〜15日の一週間、タイに行ってきました。タイはそれまで空港閉鎖が続き、9日早朝の出発が危ぶまれましたが、急転直下解除され、5日から通常どおりの運行となりました。ラッキーでした。
 私たちはオンボロのタクシーに乗り、6時AMに家を出ました。約30分後、首都から南へ約15キロの所にあるラーワルピンディのイスラマバード国際空港に到着しました。朝早い時刻なので暇なのでしょうか?、発券係のお姉様たちは、右手でパソコンを操作しながら左の手のひらにヘナで模様を描いてもらっています。他の従業員たちも、別にとがめる様子もなく、描き上がるのを楽しんでいるようです。じっと見ていると彼女たちは私にもしてくれました。ちょっとこそばゆい感じですが、すぐに出来上がりました。これは一週間ほどで消えてしまいましたが・・・。
 4時間半の空の旅は、思いがけずパキ人の女性と話をすることから始まりました。彼女はグレード9。13才です。日本では中学2年生の年令です。日本の中学生は、キャピキャピとして、まだまだ少女って云う感じですが、こちらの女性はもう一人前!っといった感じがします。それはシャルワール・カミーズと言う民族服のせいかもしれませんが・・・。いっしょにいた彼女のお母さんは35才、そして父親はパキスタン航空のアテンダントです。制服のよく似合う恰幅の良い乗務員です。実はこの父親が「私の妻と娘があなたと話がしたいと言っているがいいですか?」と話しかけてきたのです。話をしたのは30分ぐらいですが、若い夫婦と一人娘(アイシャ)は、一週間の休日をバンコクで過ごすようです。日本のこともよく知っていて「いつか必ず行きたい!」って云ってくれました。
 私たちはアユタヤ、バンコク、パタヤーを訪ねる一週間の旅です。アユタヤもパタヤーもバンコクから車で約2時間です。
バンコクのホテルで「アユタヤを訪ねる一日ツアー」を申し込みました。往きは大型バス、帰りはシャオプラヤ(メナム川)を南下するクルーズで、川風が心地よく、半袖のシャルカミで十分の気候でした。バンコクではお寺参りや、孫へのおみやげを買いにスカイトレイン(BTS)に乗ってデパートにいったり、日本食を食べたりと、あわただしい毎日でした。

 ☆パキスタン編、ジジとババのはなし
 日本の幼い子どもが「祖父」のことを「ジージ叉はジィー」と言いますが、全くそのままの発音でこちらでは「OK]と言う意味です。「ジージ」があるなら「バーバ」があるのでは?と考えるところが私のヘンなところなのですが、聞いてみるとやっぱりありました。「ババ」というのは「貧しい男の子」のことを云う言葉だそうです。そういえば昔読んだ「アリババと40人の盗賊」のアリババは男の子の名前だとばかり思っていましたが、そうではなく「アリという名のまずしい男の子と40人の盗賊」という意味でした。
 また、「OK」という意味には「ジジ」以外に「アッチャー」と言うのがあります。日本語の「アッチャー」は「あっ しまった!」とか「とんでもない」と言う意味に使われる大阪弁(?)ですが・・・。何となくおもしろいウルドー語なので、こういうのはすぐに覚えてしまいました。春蘭(ラン科の植物で比較的シンプルな花形をもつ)は別名を「ジジババ」と云いますが・・・。

 ところで私たちが訪ねたタイのパタヤーのホテルはすぐそばに海があり、敷地が広く南国の植物が多くて、プールも部屋も清潔で料金もリーズナブルでした。このパタヤーという土地は1960年ベトナム戦争の帰休兵のための休養、娯楽地として開かれて以来、主に欧米人のアジアにおける代表的なバカンス地として発展してきました。夕方砂浜を歩いていると白人系のおじいちゃんと若い(と云っても30代位の)短パン・ノースリーブ姿のタイ女性とのカップルがあちこちにみられます。最初は「年の離れたカップルかな?」と思っていましたが・・・。でもチョッとヘン・・・。
  
 石原「この近くに老人ホームがあるんやろなぁ。そこのおじ     いちゃんの面倒をみているヘルパーさんたちが、夕方     散歩に連れてきてあげてるんやろう。やさしいね。」
  私 「違うと思うよ。ヘルパーさんは、ミニスカートなんかは      かないよ。胸も半分出したりしないし・・・。」
  石原「ここは暑いからなぁ。それは仕方ないやろ。」
  私 「(思いっきり大阪弁で) アッチャー!!!」

 私はタイから帰ってすぐ身体をこわし、咳が止まらず、目が充血し鼻もぐずぐずの状態になりました。熱はなかったのですが、身体がだるく寝たり起きたりの10日間を過ごしてしまいました。寒いパキスタンから夏のバンコクという急な変化に適応する能力が、衰えてきているのだと思います。石原は私より2才上ですが、何処へ行ってもよく食べよく寝て、その上あちこち行きたがる人です。順応力は私よりずっと上ですが、今回のパタヤーの一件は、持ち前の鈍感力がモノを言ったのだとつくづくと思いしらされました。

 ☆クリスチャンコロニーを訪ねて
 日本人会のコーラス部は、時々外部に発表の場をもらって、歌っています。12月4日、F7/4にあるクリスチャンコロニーを訪ねました。、日本の歌を3曲と「アブラハムと7人の子」を歌って踊ってきました。低学年用の振り付けで、誰でもすぐに歌って踊れます。歌詞は日本語です。
 ♪アブラハムには7人の子
   ひとりはのっぽで あとはちび
   みんな仲良く 暮らしてる さあ 踊りましょ
   右手 左手 右足 左足 頭 お尻 まわって おしまい♪ 
 キリスト教徒の家族が集まって暮らしている地域があり、コロニーと呼ばれています。ここパキスタンでは、国民の97%がムスリムです。あとの3%がキリスト教、ヒンズー教、仏教、ゾロアスター教徒です。このコロニーからはたくさんの女性が掃除婦として働きに出ています。それゆえスイーパーコロニーともいわれています。このコロニーの中に小さな学校があって、その中の一教室で歌いました。子どもたちから、歓迎の言葉やダンスの披露があり、私たちはお菓子や文具のプレゼントをして楽しい一時を過ごしました。

 ☆イスラマバードの現状
 マリオットホテルの炎上から今に至るまで、イスラマバードでは大小のテロが次々におこっています。決して安全な所ではありません。でもテロリストが狙うところは、軍や政府関連、アメリカ系企業、宗教関連施設などで我々一般人を標的にすることはないようです。ムンバイの同時テロでのインドとの関係悪化。両国とも平和的解決を願ってはいるモノの、一触即発の恐れがあります。その上停電の再開、物価の約20%上昇など、庶民の暮らしは苦しくなる一方です。パキスタンのあちこち(特に北西辺境州)が行ってはいけない所に指定されてしまいました。せっかくの大自然が目の前にたくさんありながら、世界一古い文明の遺跡がすぐそこにありながら(モヘンジョダロなど)観光客を誘致することができません。もったいないかぎりです。

 ところで今年もあと2日、早いものです。100年に一度と言われる世界同時経済危機のまっただ中、日本も大変なようですね。8万人余りの職を失った人達の支援が連日テレビで映されています。そのほとんどが20,30代の若者です。これからの日本を支えていくべき人達が、路頭に迷うような国になってしまった・・・。申し訳ないような気分です。やる気も若さもある人達が、将来に望みを持てないほど追いつめられていく・・・。大切な人材という宝物を持ちながら、全くもったいない限りです。

 来る年がいい年でありますよう。それではまた。

前の家の紅葉


ヘナで書いてもらいました


ワット・ポーにて


リクライニング仏陀


108の盆にお賽銭を入れていく


アユタヤの廃墟


木の根にとりこまれた仏陀の頭部


ホテルのプールで泳ぐ石原


パラセイリングを楽しむ石原


クリスチャンコロニーで歌いました


コロニーの子どもたち


いろはモミジ(水彩)


からすうり(水彩)