イスラマバードの風 NO.20      2008年9月12日発行

 みなさん、こんにちは。石原郁子です。
 イスラマバードは2〜3日からの雷雨でめっきり涼しくなりました。今日(9/7)午前10時現在、室温25℃湿度28%です。長く暑かった夏(4月〜9月)もやっと、ホントにやっと終わりそうで、肌にまとわりつくような熱気もなくなりました。小鳥の鳴き声も心なしか爽やかにひびきます。
 イスラマバードは福岡県と同緯度ですが、内陸性気候のためブーゲンビリアやハイビスカスなどの熱帯性植物が多くみられます。「こんな美しい花々を水彩で描けたらいいな!」6月末に再度パキスタンに来てくれた友人のOさんが参考本を持参してくれました。それからずっと自己流絵筆のビギナー生活を嬉々として送っています。

 ☆ K大使送別会
 2年3ヶ月の任期を終えられ、大使夫妻が9/8に離任されました。日本人会のメンバーでアフタヌーン・ティーの会があり、私もひとりイスラマバード・ホテルに行きました。私はパキスタンに来てから女性コーラス部に入れて貰っています。これも全くのビギナーですが、口をパクパクさせているだけでもストレス解消になります。
 今日の送別の歌は「夢を捨てないで」・「カントリーロード」
・「この星に生まれて」の3曲です。アンコールは大使の好きな「えんどうの花」。
 ♪♪えんどうの花の咲く頃は 幼い時を思い出す
    うちの軒端に巣を作って 暮れ方帰ったあのツバメ♪♪

 コーラスの仲間はみんな若く美しく、きれいな声の持ち主です。アニメの主題歌もすぐに歌えます。私はどの歌も知りません。はやりの歌などすっかり無縁になってしまいました。こういう時に本当に「老い」を感じてしまいます。物事を受け入れる心の器が小さくなり、拒絶反応だけが早くなっています。
 一人ならば決して歌うことのなかった(歌えなかった)歌が歌えるようになり、おそろいのドレスを着て、舞台に立ちはなやかな「コーラス」の一時を過ごしました。

 ☆ ラマダン
 9月2日からラマダンが始まりました。この1ヶ月イスラム教徒は日の出から日の入りまですべての飲食をしません。断食をしなくてもいい人は子どもや病人、妊娠中や授乳中の人、旅行中の人や戦場にいる兵士などです。
 ウチのチョキダール(門番)の2人もモスリムなので断食をしています。二人とも若いのに何となく元気がありませんが一生懸命コーランの教えを守っています。
 貧しい者も富める者も、皆等しく教えを守るところにモスリムとしての一体感が生まれます。自分は決して一人ではないのだという・・・。宗教上の強い仲間意識がちょっぴり怖くもあり、羨ましくもあります。
 イスラム歴は月の満ち欠けによって決められる太陰暦です。新月の次の日から次の新月までが1ヶ月で、29日か30日になり1年は12ヶ月354日となります。365ー354=11で、私たちの太陽暦からみるとイスラムの行事は毎年11日ずつ早くなっていきます。昨年のラマダンは9月13日から、10年前の1998年は12月21日からでした。同じモスリムの国でも、また、同じ国内でもラマダンの始まる日が違っています。それはイスラム教指導者が月を観察して「月が見えたかどうか」で決めるためです。科学が発達した今も、昔ながらの「人間の目」で月を観察しています

 ☆ 修了式
 8月30日に石原が勤めるNISTE(ニステ)で修了式がありました。ニステは各州の物理、化学、生物、数学の先生を指導する人達(マスター・トレーナー)の研修機関です。約150名の先生たちは、約4週間の研修を終え、各自の出身州に帰り、その研修成果を現地の先生たちに伝えます。
 さて今回、その修了式に石原がD,G(director General)の代理で出席することになりました。私も呼ばれたので、HPに載せようと写真を撮っていたのですが、突如プレゼンターに指名され、約20名の先生たちに修了証書を渡すことになりました。
 ”Congratulations!”、大いに戸惑いながら一人一人に「おめでとう!」を言いました。”Thank you”の声。にっこりパチリの写真が出来上がりました。

 ☆ 歯のはなし
 このところずっと冷たいものが歯にしみるようになりました。
ヤレヤレ。叉、外国で歯医者さんのお世話にならねばなりません。ザンビアでは中国人の女医さんのところに、バヌアツではベルギー人の歯科医のところに行きました。
 ベルギー人のDr.コラードはとてもユニークな人でした。いつもはベトナム人の夫人が電話にでるのですが、ある時、当のドクターがでました。私が「Dr,コラード」と言ったのが気に入らなかったのか、 「コラードなどという医者はいない!」と言います。でも、声はまぎれもなく当人です。どうもベルギー人はDを発音しないようです。「私はコラードではなく、コラーだ。コラー!」と、どなっていました。
 彼は面と向かうと機嫌良く話をし、「自分は5カ国語が堪能なんだ!」と自慢していました。私の診察中は何時も夫人が入ってきて、二人はフランス語でどなりあいのけんか(?)をしていました。そんなDrも私と同じ高脂血症だとわかり、同じ薬を飲んでいるのがわかって、私たちは「リピトール・フレンド」になりました。「あそこの薬局よりこっちの方が薬が安いよ」と親切に教えてくれました。「趣味は'歯を抜くこと」と言っていたおもしろい?おじさんでした。そして私は大切な歯を1本失いました。
 イスラマバードの歯科医は颯爽とした40代のDr.カワード。ファイサラバード生まれの大学の先生兼開業歯科医です。日本語の話せるパキ人のスタッフがいてホッとしました。設備も日本と変わりません。できるだけ痛い思いをしないで早く終わってほしいとひたすら願っています。
 
  ☆ イスラマバードの近況
 暗殺された故ベナジール・ブット女史の夫、アシフ・アリ・ザルダリ氏(53才)がパキスタンの新しい大統領になりました。彼は8年間収賄により拘束されていた人です。その後アメリカに亡命していましたが、ブット女史の暗殺後帰国しました。
 また、つい最近イスラマバード空港でギラニ首相が暗殺未遂にあいました。この国は昔からこういう事の繰り返しなので、市井の人達はそんなに驚いてなどいませんが、他国者の私にはびっくりです。平和で安全な国になるにはまだまだ時間がかかるようです。
 さて、9月の中旬になって突如停電がなくなりました。長いときには一日合計8時間もの停電があったのです。お陰で電気が何時も点くということがとても「ありがたいこと」なのだと思えるようになりました。不自由を常とする生活や、身の丈にあった清楚な生活を旨とするようなことは、したくはなかったけれど、強いられた結果たどりつきました。

 足(た)ることを知らば
    貧(ひん)といえども富(ふ)と名づくべし
 財ありとも 
     欲多ければ これを貧と名づく

  往生要集の一節です。
  パキスタン生活の不自由さの中で、しみじみと身にしみる
  文言です。  
                             それではまた

むくげ


凌霄花


中央の大使夫人もコーラス部員


記念撮影


アンサー・マリック(昼担当)


アシフ・ラジャ(夜間担当)


演説をする石原


修了式の受講生


修了証書授与


慣れない手つきで授与しました


Dr.カワードの歯科医院で


ハイビスカス(ニステにて)