イスラマバードの風 NO.2   2007年5月12日発行

  みなさんこんにちは。石原郁子です。
 
 ザンビアのルサカ、バヌアツのポートビラ、パキスタンのイスラマバードと、ここ数年流れ流れて、また暑いところにやってきました。今日現在の室温は35度です。でも居間は二重天井で結構高く、プロペラ型の扇風機の風と、からっとした大気のせいで、そんなに暑いとは思いません。

 パキスタンは日本の国土の2.2倍。.南部の方は亜熱帯に属しています。カラチは今42度です。私のいる首都イスラマバードは緯度でいえば、福岡県と同じですが、内陸性のため(熱しやすく冷めやすい)夏は40度、冬は0度にもなるようです。
 南国特有のブーゲンビリア、ハイビスカスはもとよりジャカランダも今が満開です。その薄紫の小さな花々が散って重なり合い、家々の前庭に落ちています。日本人ならばその落ちている風情をこそ愛でるのですが、各家の門番たち(チョキダールといいます)は、さっさと掃き清めてしまいます。とても残念です。
 また、色あざやかな朱色の花をつけたデイゴの高木も今が盛りです。デイゴの花の蜜を吸う鳥たちも集まって青空の下,にぎやかにさえずっています。私は思わず極彩色のオウムを探していました。バヌアツで見たレインボーロリキットです。でもここにはいませんでした。黄色いくちばしのインディアン・マイナ(椋鳥)ばかりです。
 
 日本の3月はそれまでの暖冬から一変し、ぐっと寒くなりました。「桜を見てからパキスタンへ・・・。」という私の願いは叶えられませんでした。桜を見ることもなく、日本をあとにしたのです。
 私たちがイスラマバードに着いたのは3月末です、小さなゲストハウスのレストランから私がみたのは、満開のあんずの花でした。薄紅色と白の杏の大木です。「桜?」と一瞬思いましたが、全く散らないので、桜ではないと気づきました。でもとてもよく似ています。私はすぐにこの花が好きになりました。ここに滞在した3週間の間、遠くに咲くこの花を見飽きることなく眺め暮らしました。
  
 ☆家探しから入居まで
 一週間のJICA研修の後、石原はすぐにNISTE(ニステ,国立科学技術教育学院)に勤務になりました。ゲストハウスからタクシーで15分(60〜70Rs、ルピー。約120円〜140円)です。ここのタクシーのマナーの悪さはおおよそ大阪の運転手そのものです。我先に前に行く!という点で・・・。クラクションは鳴り放題!キズのないタクシーを探すのは苦労ものです。タクシーには、スズキの小型車が使われています。車体を黄色もしくは黄色と黒に塗っています。
 
 私はこちらに来てすぐ運転免許を取りました。その時写した写真です。パキスタンでは女性はいつも髪を隠さねばなりません。私も昔の真智子巻き(ふるいなぁ〜)にしてにっこり(?)パチリ。
 その時、目の検査というのがあって、ひとりづつ、ドクターの前に座るのです。大きな目のそのドクターがグッと近づき私の目をジィーーーーと見ます。何事かさっぱりわからなかったけど、私も負けずに小さな目でグッとにらんでやりました。ドクターは紙にブラウンと書きました。なんのことはない、私のアイカラーを見ていたのです。その時つくづくここは、多民族国家なのだと思いました。免許所得にかかった費用は約600Rs。1200円です。
 日本と同じ左側通行、右ハンドルなので、「楽々!」と思ったのもつかの間、周囲のあまりのサーカス運転に、身が縮むおもいです。タクシーに乗っていると、思わず「うわっ!あたるよ!キャー!」と叫ぶことがあります。石原はいつも運転手の隣に座っていたのですが身の危険を感じ、後部座席に座るようになりました。私はなるべく周りをみないようにしています。何事も「インシャラー」(アラーの神の御心のままに・・)。自然体でいってます。

 さて、約2週間かかってあちこちの借家をみてまわりました。最初の意気込みはどこへやら、最後は疲れ果てて、「もう、ここにしょう」「ここでいい」「どこでもいい」ということになりました。その結果、1戸建ての2階部分を借りることになりました。一階部分の借家人は、ノルウエイ人の夫(小説家)とアメリカ人の妻(建築家)の若い夫婦です。私は小説家をなりわいにしている人をはじめてみました。私の持っていた物書きのイメージ、(細くって不健康タイプのやさ男)はその時ことごとく消え去りました。そのノルウェイ人は格闘技をやっていそうなタイプです。時代が私を追い越したのだとつくづくさとりました。
 さて その家の大家さんはシャージャド・ラジャさん、41歳です。彼はパキスタン人ですが、アメリカに住み2つの会社を経営しています。今回の帰国は、結婚と持ち家の借り手を見つけるためでした。彼はつい2ヶ月前、インターネットで知り合ったカラチに住む31歳の女性と結婚しました。その時の写真をみせてもらいましたが、彼ら上流階級の結婚式は豪華絢爛です。花嫁の指には植物染料のヘナで染めた紅いいれずみのような模様がありました。少女の頃に絵本で見た、ペルシャのお姫様のように美しい夫人です。彼らは4月20日の私たちの入居を見届けて、アメリカへ帰って行きました。私たちはコップやバスタオルなど、細々としたものをととのえはじめました。
 
 ☆入居5日目のハプニング
 水が出なくなりました。ここパキスタンは時々停電があるのですが、10分〜1時間もすると元に戻ります。断水になってもすぐに復興するだろうとタカをくくっていましたが、次の日になっても水の出る気配はありません。
 「お隣は?」とみると工事人が煉瓦を積んでいます。家の一部を改修しているのです。煉瓦に水をかけています。思い切って彼らに「水出るの?」と聞きました。パキスタンの母国語はウルドゥ語です。識字率53%といわれるこの国では英語を話せる人はとても少ないのです。ワーカーさん達に代わって私と同年配のマダムが出てきてくれました。彼女は英語が達者です。
 「水が出ないの?それは大変ね。でも大丈夫!何でも困ったことがあれば言ってください。今主人に行ってもらいますから」と、言ってくれるではありませんか。地獄に仏!と思った時、大きなご主人がでてきてくれました。ジャーナリストだそうです。
 「井戸の汲み上げポンプの調子が悪く、地下タンクに水が入らない。」と、隣のご主人は言います。「井戸???市営の水道はどこにあるのですか?」「あるけど水量が少ないようだね。井戸水を汲み上げて、この地下タンクでミックスしているようだけど極端に水が少ないね。多分ポンプを取り替えないとだめだね」と言って会社に行ってしまいました。
 茫然としてしまいました。ボゥォ〜と待っていたら、市から水が供給されるとばかり思っていた私は、もうびっくり!
 1階の夫婦は旅行中のようでここしばらく二人をみません。家主はアメリカ・・・。
 万事休す!昨夜と今朝の洗い物がどっさりたまっています。今はもう1滴もでない状態です。私はその時二日前に買った携帯があるのを思い出しました。急ぎ石原の携帯へ。ところがなんと、Rejectされています。応答拒否です。
           「なんでやねん!」
 30度を越える暑さも手伝って、脳天にきたけれど、水は私たちにとって大問題です。その日は金曜日。イスラムでは午後からお祈りのため一斉に休みになります。今はまだ朝の十時。すぐに解決せねばなりません!

 その後2日がかりで井戸のパイプの取り替え工事をして無事水は使えるようになりました。地下タンクから屋上タンクへ水をあげるモーターは、何とか動いてくれました。やっと1件落着!とおもったとたん、ギザ(給湯器)の温度が上がらなくなりました。点火はするけどすぐに消えるのです。これもやっと3日後パイロット部分を取り替えて使用できるようになりましたが・・・。

 一方、楽しい発見もありました。
 歩いて10分ほどの所にあるモスクのとなりに、小さなマーケットをみつけました。早朝からひらいています。朝6時に家を出て涼やかな空気と鳥たちの声を聞きながら八百屋さんに通っています。髭の中に顔があるような八百屋のおじさんは「ワンカートン?」「ハーフカートン?」といってバナナやトマト、すいかやメロン、じゃがいも、たまねぎなどを器用に量ってくれます。
 言葉はウルドゥ語なのでさっぱりわかりませんが、金額だけは紙にかいてくれます。安いです。私たちは朝の散歩を兼ねて、せっせと通っています。

 ☆アザーンの声
 イスラム教徒は一日5回メッカのカアバ神殿の方角に向かってお祈りをします。お祈りの時間になると、町々のモスクからお祈りを呼びかける「アザーン」が大きな音でスピーカーから流れてきます。最初は日の出の1時間前です。午前4時50分頃になると、突然大きな声が響いてきます。
 「ラー・イラーハイッラッラー。ムハンマドラスールッラー」
 (アラーの他に神はいません。ムハンマドは神の使いです。)と言っているかどうかはっきりしませんが、ゆったりと、どこか間延びをしたような美声が聞こえてきます。 石原がとなりで何かブツブツ言っています。耳をすましてみると小さな声で
「コオーモリガサノシューゼーン」としめやかに唱えています。
      「コノーバチアタリメーガー」と私。
でもなんとなく言い得て妙なのです。でもよくないですネ。失礼しました。

 ☆イスラマバードの風
 ヒマラヤ山脈の隆起で生じたマルガラ山。その山懐にいだかれたここイスラマバードにはその新首都計画時に(1961年)1200万本の植樹がされました。
 今それが2〜30m近くに育ち、緑豊かな木々が涼やかな風を運んでくれます。
 私事ながら今年1月に、母が97歳の天寿を全ういたしました。秋川雅史さんの美しい歌声と共に、今は千の風になって大空を吹き渡っていることでしょう。
 でも、母は老齢ゆえ私のいるパキスタンまでは、まだきていないようです。
       「ゆっくりでいいよ。お母さん」
 私もゆっくりと、パキスタンを好きになろうと思っています。
                                 
                             それではまた。


マルガラ山から見たイスラマバード


ファイサル・モスク(イスラマバード)


イスラマバードのジャカランダ


杏の花ほ桜にそっくり


私の運転免許書


ラワルピンディの交通ラッシュ


右の家の2階部分が我が家


大家のラジャ夫妻


チョキダールの制服を着た若者


近所の豪邸1


近所の豪邸2


近所の豪邸3


近くにあるモスク


八百屋の主人


朝の散歩


ダマネコ展望台からマルガラ山を望む