イスラマバードの風 NO.18      2008年7月14日発行

 みなさん、こんにちは。石原郁子です。
 雨季が始まったかな?と思ったのも束の間、約1ヶ月間ほとんど降らずじまいでした。その間の6/21〜6/29日、私たちは休暇をとりフンザとスカルドゥに行ってきました。帰ってきてヤレヤレと思っていると7/5の夜から本格的にサンダーストームが始まりました。深夜連日激しい雷雨と暴風が容赦なく吹き荒れます。たいていは早朝にあがります。そのためぐっと気温が下がりパキスタン人は「FINE!」と口々にいいます。20〜30m級の木々に囲まれた緑深いイスラマバードの街は、たっぷりの雨を受け、また一段と新緑を輝かせ始めました。ハイビスカスやブーゲンビリアに混じって日本の花々(撫子や金魚草など)も見えます。ここが日本と同じ北半球なのだと気付いて、なぜかホッとする思いです。

☆ ソルトレンジ(ケウラ・マインズ)を訪ねて
 イスラマバードから約200キロ南東に向かって車をとばすと、ケウラ(KHEWRA)という町に着きます。ここは世界最大級のソルトレンジ(岩塩山脈)があります。その規模は大きく、ほぼ東西に約150キロもの長さを持った山脈です。一番高いところは約1200mありアジアでは最も大きな塩山です。この場所は6〜7億年ほど前は比較的浅い海であったと言われています。その後土地が隆起し、激しい乾燥地帯となったため、海の水が蒸発し岩塩ができたのです。白、透明、ピンク、赤色などがあります。これは海中に含まれるナトリウムやマグネシウムなどの成分量によってかわるためだそうです。
 大阪千里の万博公園にある某ホテルには、パキスタンの岩塩を輸入して岩塩浴を売りものにしているところがあると、友人が言っていました。細かく砕いた色とりどりの岩塩が敷き詰められた上に寝ころんでいるととても気持ちがよく、いっぱい汗が出て「リピーターになってしまいそう」と言っていました。そこはイスラエルの岩塩も輸入しているそうです。 
 ともあれ私たちは友人夫妻と共にトロッコ列車(窓や入口のドアーのない簡単な列車)に乗り、ソルトレンジの中に入っていきました。広大な岩塩の空洞や、生き物を拒絶する99,9%の塩水湖など、ここに明かりがついていなければ、死の世界に踏み込んだ様な気分です。でも暗闇の中に光る塩の結晶は美しく水晶のようです。ここに初めて足を踏み入れた人の驚きはいかばかりかと・・・。ここの歴史は古く、アレキサンダー大王(BC356〜BC323)の伝記にも書かれています。
 さて見学を終わり、加工されていない自然の岩塩をゲットしょうと探していると、一軒のだだっぴろい工場のような所に来ました。日本から来たというととても歓待してくれ、好きな岩塩を好きなだけ持って帰ってもOKといってくれました。岩塩を加工して日本に輸出しているのだそうです。お陰でたくさんの、自然のままの岩塩をもらってかえりました。岩塩は無料だったけれど、ソルトレンジ入場料の外国人価格は高く、トロッコ列車代込みで一人当たり750Rs(1300円)にもなります。パキスタン人なら100Rs(170円)にもなりません。何処へ行っても外国人料金はべらぼうに高く、ウチのようなビンボー人はこたえます。

☆ 再びのフンザとスカルドゥの旅
 今回の旅は石原の呼びかけでパキスタンに派遣されているシニアボランテア(SV、8名)とその妻2名そして日本から参加の3名を加えた総数13名の団体になりました。ラーワルピンディーにある現地ツアー会社(Cox & Kings)に依頼して旅程表を作ってもらいました。Cox & Kingsのダイレクターは日本人女性です。ツアーガイドはMr.Rehmat Ali(レヘマット・アリさん)で日本語以外5種類の言語を操ります。彼は27才。結婚式を間近に控えたフンザ出身の若者です。見るからに好ましい容姿とアーモンド型の大きな目、真っ黒な髪。礼儀正しい振る舞いと、「お陰様で」などという謙譲語も上手に使えるインテリです。このツアー会社の社員一人一人に対する躾が行き届いていて、とても快適な旅ができました。我々夫婦は昨年の9月にもフンザを訪ねています。その時は往復飛行機を使いました。今回は陸路もOKになったので(JICA基準)、往路は確実な陸路にして21日朝6時に旅のスタートを切りました。
  
☆ 三大ジャンクションポイントに立つ。
 イスラマバードから約500キロ、カラコロムハイウェイ(KKH)を北上するとチラス(Chilas)の町に着きます。とても乾燥した地域で山岳砂漠と呼ばれ、大気温が40度から時には50度にもなります。有名な岩絵は先史以前からのもあり内容も変化に富んだものが多く見られます。仏教遺跡や動物(主にアイベックス=野生の山羊)や人間などの絵がありました。このチラスから北上しギルギットへ向かう途中にあるジャグロット(Gaglot)の町を過ぎると間もなく、インダス川とギルギット川の合流地点に到達します。東方のスカルドゥ方面から流れてくるインダス川は、この合流地点手前で大きく左に曲がり北西から流れてくるギルギット川を吸収して南下。チラス付近でははぼ真西に流れます。インダス川の東と南はヒマラヤ山系の西端となりナンガパルバット(8126m)がそびえています。ナンガパルバットとは 「何にもない山」=「裸の山」または「眠る美女」ともいわれています。インダス川とギルギット川の間は(KKHが通っているところ)は、カラコロム山系となりラカポシ、ディラン、スパンテークなどがあります。ギルギット川とインダス川の西がヒンデゥクシャ山系となり、私は3つの山系が一堂に会している世にも不思議な場所に降り立ちました。大河と山々がおりなす雄大なジャンクションポイントには、熱い風が吹いていました。
 ここは乾燥した砂漠地帯ゆえ木もなく鳥も飛ばず、氷河の水が熔けて流れるインダスの川は灰色をしており、生き物も住まず、ながれはとても急です。ここは乾燥地帯ゆえ氷河の氷が熔けやすく今は水量が増していますが100年後の水量は半減すると言われています。 これはもちろん地球温暖化のせいです。インダス川を生活の糧にしている現地生活者の未来は、このままだと決して明るくはないでしょう。
 荒涼とした周りの風景に押しつぶされそうです。いそいでコースターに乗り込みました。これから行く先に夕日を浴びたナンガパルバットが見えるところがあるのです。20分ほど走ったところで、大きな頭のナンガが姿を現しました。標高8125mの高峰が金色に輝いています。周りの山が真っ黒になってしまったので、それは余計に神々しいほどです。今回は特別に、私たちの写真以外にSさんの作品(※印)を使わせてもらっています。

☆ フンザ(現地語で「弓と矢」という意味)
 フンザの中心地はカリマバード。そこにある標高2500mのフンザエンバシー(ホテル)に落ち着きました。出発以来ずっと天気に恵まれたことに感謝しつつ、周りにそびえる山々を見渡しました。右からラカポシ(雪のある山の意)、ディラン(遠くにある白い山の意)、スパンティーク(ゴールデンピーク)、後ろに回ってウルタルT、U峰、鋭く尖ったレディフィンガーが見えます。太古からずっとそこにいる山々に私は「また会ったね」なんて挨拶をする。気恥ずかしい限りだけど・・・。
 新緑の今はフンザの最高の季節です。サクランボや杏の実を思いっきり食べることが出来ました。でも私が夢見る、杏の花咲くフンザの春は3/15〜30日が満開らしい・・・。ピンク色の花が辺り一面をおおい、その向こうに雪をかぶった山々が顔を出す美しい景色を見にやっぱりもう一度、もう一度来てみよう!

☆ スカルドゥ(現地語で小さいチベットという意味)
 ギルギット(現地語でアイベックスという意味)から南下、途中左に折れインダス川の源流に向かうところに、バロチスタン州の州都、スカルドゥがあります。古い建物にはチベット的なものやラマ教的な雰囲気が残っています。スカルドゥは今回の旅で私がとても楽しみにしていた所です。世界第二位の高峰K2(8611m)を始めとするカラコロムの名峰の入り口となる町です。毎年これらの山を一目見ようと観光客や、トレッカーが大勢押し寄せてきます。でもスカルドゥから約7時間バスに揺られなければK2は見えてこないのです。高い山と言ってもどこからでも見えると云うわけではない・・・。
 私の望みはサトパラ湖(Sadpara Lake)です。山々に囲まれた緑色の美しい湖を一目見たい・・・と思っていました。でも実際は木々に隠れて十分に見えなかったのです。次に40キロほど離れたカチゥラ湖(Kachura Lake)まで遠出しました。そこは全く絵はがきの世界です。美しすぎるカチゥラ湖の側で食べたチベット料理(?)の味はきれいに忘れてしまいましたが、一時間以上待たされたことだけはしっかり頭に残っています。

 ☆胡蝶の夢のひと
 同行した人の中に、蝶に夢中の人がいました。その道のプロではありませんが、少年の頃から蝶を追いかけ、70才に近い今でもスカルドゥの氷河に分け入って珍しい蝶を(パルナシウス)を捕まえることに成功しました。この蝶は氷河期を生き延びた蝶で、高山植物の駒草を食べ、3年さなぎの時を過ごし約3ヶ月生きることができるそうです。パルナソスはギリシャ神話に出てくる太陽神アポロンの住地です(標高2457m)。きっとそこに住む蝶なのでしょう(?)。捕獲した蝶を、大切に大切に扱い、こぼれる笑顔の人を見ていると「この人は人生を楽しんでいる!」と思いました。

 ☆イスラマバードの近況
 7/6午後7時頃G/6(ジーシックス)にあるメロディマーケット付近で自爆テロがありました。19人死亡、おおぜいの負傷者が出ました。ウチのいえから約3キロ離れたところです。ムシャラフ大統領が選挙に破れ新しい政権がイスラム過激派と話し合いを持ちましたが決裂。過激派は爆弾テロを仕掛けると予告していました。これから標的になるのは(予告しているのは)、警察や政府関係以外ではUNクラブやフランス大使館関連などと言われていて、それらは今休業状態にあります。それ以外ではI/9(アイナイン)にあるペシャワールモール(オープンマーケット)です。でもここは営業しています。毎日の生活に追われる人達はテロ予告などに、いちいちかまってなんかいられないからです。一日一日の収入でその家族を飢えから守らねばなりません。しばらく途絶えていたのにまたぞろテロが始まり、がっかりです。一日6時間余りの停電と、32〜36度を超える暑さ、雨季の集中豪雨、各種電気設備のあいつぐ故障もあいまって決して快適と言えないここの環境の中に、またまたテロが顔を覗かせ始めたのです。もうごめんだという心境です。イスラム過激派と云われる人達は、なぜ自爆テロ・爆弾テロを企てるのでしょうか?私の周りにいる市井の、人なつっこく親切で陽気な普通のパキスタン人からは、とうてい想像もつきません。
  過激派の人達が自爆テロや爆弾テロをしないように、
  アラーの神の一層のお加護を節に祈ります。
                      それではまた。
 

ソルトレンジ鉱山の入口にて


ピンクの岩塩


岩塩の加工所


どれにしようかな?


総勢13人 ※


歓迎の踊りを踊るアリさん ※


ジャンクションポイントの地図


ナンガパルバット ※


チラスの岩絵とインダス川 ※


レディーフインガーとフンザ峰 ※


フンザの女の子 ※


上記の子のおねえちゃん ※


愁いを含んだフンザの女の子 ※


フンザの長谷川スクールの生徒たち ※


スカルドゥのカチュラ湖


スカルドゥの仏教遺跡


Sさん、SVのOさん、石原