イスラマバードの風 NO.15   2008年4月19日発行

 みなさん、こんにちは。石原郁子です。お久しぶりです。
4ヶ月を日本で過ごし3/27に懐かしい(?)イスラマバードに戻ってきました。幹線道路(ブルーエリア)はあちこち掘り返され、相変わらずの道路工事が続いています。イスラマバードは首都として作られた街で(1961年10月から)今もなお拡張し続けています。ドバイ資本のとてつもなく大きなマーケットが今基礎工事に入っています。そのため大きく迂回しなければなりません。埃っぽいのも困りものです。私は花粉症持ちで日本ではとてもひどかったのです。昨秋ここでの花粉症に苦しんだことが思い出されます。今回はたくさん薬を持ち込みましたが、どおってことはありませんでした。私が来たときにはもう半袖で十分というほど気温が高くなっていたからです。それにパキスタン政府は花粉を飛ばす木(杉ではない)を、めった切りにしたということを聞きました。ウムを言わさず実行というところがパキスタンらしいです。おかげで花粉症は軽くてすみました。ヤレヤレです。ところが今度は気温が低くなってきたのです。18度や19度の日が続いています。今日(4/10)も
そうです。イスラマバードの緯度は福岡県と同じですが、大陸性気候のためここの夏はメッチャ暑く長いのです。5月6月の日中は40度を越え、7.8.9月はインド洋からの湿った暑い空気の影響で雨が多くなります。今日のような日光のできらない薄曇りの日を「Fine」というのもうなずけます。お日様もここでは、日本ほど喜ばれないということでしょうか?

 ☆ アザーン
 毎朝5時前、歌うような語りかけるようなアザーンのこえがひびきわたります。1日5回放送され、最初は日の出の一時間まえです。イスラム教徒(ムスリム)たちにお祈りをよびかけているのです。なんとなく厳かで神々しささえ感じてしまうのは、私がいつの間にかイスラム社会に好意を抱いてしまっているからでしょう!。
 わたしが初めてアザーンの声を聞いたのは、今から4年前。タンザニアの首都ダルエスサラムから船で1時間、ザンジバルという名の小さな島でのことです。ブリージーズ(breezes)というホテルで熟睡していたとき、突然われ鐘のような声が響き渡りました。飛び起きた私はアザーンだと知ると眠りを妨げられた怒りから「迷惑!」「早く終わって!」と言っていました。たった1〜2分に苛立っていたのです。
 あれから3年後まさか自分がイスラム社会に住むとは思ってもいませんでした。イスラム教の預言者ムハンマド(571頃〜632年)は聖徳太子(574〜622年)とほぼ同じ時代の人です。
 コーランは日常生活や社会へのかかわりについて細かく決めているが故に、今でも信者を増やし続けているのだという気がします。自然科学の分野を除けばおおむね人間のすることは今も昔も変わっちゃいないのだと・・・・。まず連帯意識があります。貧しいものも富めるものも同じ場所でお祈りをし、苦しいラマザアーン(断食)を乗り切り、メッカへの巡礼をめざすという共通の達成意識があります。そして自分の持っている財産に応じて、貧しい人たちにお金や物を施す喜捨(ザカート)があります。どんな人も見捨てられるということがありません。現代の日本には、超孤独な人たちがおおぜいいます。自分から行動しなければそれこそ孤独死にも繋がりかねません。まったく他人に無関心です。この良さもたしかにありますが、今のような不景気な時代には、非常な冷たさ、社会から忘れられた自分を感じてしまう若者もいるのではないかとおもいます。
 ムスリム同士の挨拶もコーランによって決められています。
呼びかけ:アッサラーム・アレイコム(あなたの上に平安を)
返事;ワ・アレイコム・アッサラム(あなたの上にも平安を)
石原も私もこの言葉がとても気に入って、知らない人にも平気で挨拶しています。ムスリムではないけれど・・・。「あなたの上にも平安を」とほほえみと共に返してくれる市井の人たちの目は、おおむねおおらかで好意的です。

 ☆シャガールパリアン公園
イスラマバードとラーワルピンディの間にある小高い丘が公園になっています。その中に国立民族伝統遺産研究施設の博物館(HERITAGE MUSEUM)があります。パキスタン人は50Rs、外国人は300Rs(600円)です。写真は一切禁止で窓口でカメラを預けます。またこの公園には各国の要人が植えた木がたくさんあり、秋篠宮さまの植えられた木もありました。丘の麓にある広々とした公園には、10数種のジャスミンと250種ものバラが植えられ美しさを競っていました。

 ☆オマール・カヤム(OMAR KHAYAM)
 自宅から歩いて約15分、パキスタン航空ビルの裏側にあるイラン料理店です。SVのT氏とI氏と我々夫婦4人で出かけました。ケバブやラム料理、焼き鳥のようなものなどたくさんあってエキゾチックな味です。7時頃着いたのでまだひとりの客もありません。外国ではディナーは9時過ぎに食べる物のようです。
 大きな額縁に入った絵がたくさん飾ってありました。ウエイターに「オマールカヤムってどういう意味?」と聞くとたくさんある絵の中のひとつを指さしました。一人の人物がモリのようなものを持って楽しげに歩いている絵です。一体誰なのかさっぱりわからないので、ここは電子辞書を開いてみました。オマル・ハイヤームまたはウマル・ハイヤームと言う名のイランの天文学者、数学者、4行詩「ルバイヤート」(刹那的快楽主義)の作者。11世紀の人、とありました。この店はイランの偉人の名を店の名前にしているのです。誇らしい思いなのでしょう。日本人ならそういう名前をつけるかなぁ?「夏目漱石」とか「平賀源内」なんて名の日本レストランなんて聞いたことがないなぁ〜。 

 ☆イスラマバードの近況
 このところ毎日停電があります。去年はほとんどなかったのに・・・。朝8時から9時、11時〜12時、3時〜4時、6時から7時、10時から11時と一日4〜5回もあるのです。日によって時間が変わります。近隣の住民は自家発電に切り替えることの出来るお金持ちの人達が多いのですが、我々のような二階借りのビンボー人には、嘆き悲しむ以外なにもありません。JICAから1時間ほどはOkの小さな充電式蛍光灯をひとつ貸してもらってはいますが・・・。特に困るのは洗濯機。水の出が悪いので普段でもゆうに2時間かかるのです。停電でガシャと止まってしまったら、データーがみんな消えてしまうので、どこまで洗ったのかわからない・・・。炊飯器などは目も当てられない状態になるので注意が必要です。私がイスラマバードに帰ってきてすぐ、水がでなくなりました。この家は井戸水を使っているのですが、ポンプが急にダメになって屋上のタンクに揚がらなくなったのです。もう慣れっこになりましたが、1日経っても水が1滴も出てこないときは文明社会のもろさ、頼りなさ、自分自身の無力さ、なんでこんな所に住んでいるのか!?・・・なんて恨みがましいことまで考えたりしましたが、水が出た途端何もかも忘れて、いつもどおりの生活をしています。気持ちの切り替えがさっとできないと、鬱になってしまうからです。同年代の知り合いは誰もいなくて私は全くひとりぼっちなのです。
 
 水が出なかったり、頻繁に停電したり、テレビの電波障害があったりするようなところですが、以前のようなテロの心配はなくなっています。でもこんな所なので、大事な友だちに「遊びにおいで!」なんて言えない淋しさ!。世界に冠たる高い山があっても、桃源郷が呼んでいても、ダルビッシュ並のイケメンが掃き捨てるほどいても、私たちはもう昔の不自由な生活には戻れないのだから・・・。
 それでも不自由を常として生活することに喜び(?)を感じ、少々の危険をものともせず、その上高い航空運賃を支払ってまでパキスタンに行きたいという奇特な人が結構おられるのです。世の中捨てたものじゃない、ということなのでしょうか?そういう人がおられるということを知って私の心がポッとあたたかくなったりします。

 ☆桜の花
 私が今、日本にいるのなら、昼も夜もお花見をしているでしょう。梅、桃、桜といった木に咲く花が好きなのですが、中でもはかなげに散っていく桜が一番です。青空の下に見る桜も、スポットライトを浴びた夜桜も、見る度に「あぁもう1年頑張ってみよう。来年の桜がまた見たいから」と思ってしまいます。「花のもとにて春死なん」と願うまでもう少しあるようです。
 ところでこちらのフンザの杏は、私を待たずに散ってしまいました。とても残念です。

 私の好きな上田三四二さんの短歌を一首。
  
     散る花は 数限りなし ことごとく 
              光をひきて 谷にゆくかも
                          
                         それではまた

ブルーエリアの道路工事


チキンの丸焼きがいっぱい(ブルーエリア)


ニステの若い研究者と共に


コムサット情報大学の食堂にて


ヘリテイジ・ミュージアムにて


古代の船の前で


せんべいをかじる2少年( I 氏と石原)


シャガールパリアンのローズガーデン


美しい!


うす紅色のばら


深紅のばら


夢見る乙女(?)


咲き誇るバラたち


情報大学の日本語教室の助手を勤め、思い
がけず、こんな立派な楯をいただきました。