イスラマバードの風 NO.10   2007年11月11日発行

 みなさん、こんにちは。石原郁子です。
 今日、11月9日(金)はパキスタンの数少ない祝祭日のひとつで、ウルドゥー詩人として有名な、アラーマ・ムハマド・イクバルの誕生日です。彼はパキスタンの建国の父、ムハマド・アリ・ジンナーと並び称されるパキスタンの偉人です。1887年パンジャブ州に生まれ、ラホールで大学教育を受けました。その後渡英して、ヘーゲルやニーチェなどの西欧近代思想を学び同時に弁護士の資格も得ています。その頃からウルドゥー語(パキスタンの公用語のひとつ)・ペルシャ語による詩の創作をはじめ、イスラム思想を詩に歌いました。当時ムスリム連盟の指導者だったジンナーに接近し、イスラム教徒のための分離独立国家を唱えました。彼はパキスタン独立(1947年)の9年前に亡くなりましたが彼の詩は今も人々の精神的な支えとなり、国家的詩人として深く尊敬され愛されています。

 ☆ 戒厳令
 現大統領パルヴェーズ・ムシャラフは11月3日戒厳令を出しました。憲法は停止され、現体制を批判する人民3000人を逮捕しました。報道規制、交通規制、電波規制を行い、大統領が車で通るところ一帯の電波は切られ、彼が今どこにいるか知られないようにしています。「戒厳」というのを辞書で調べると「戦時・事変に際し、立法、行政、司法の事務の全部叉は一部を軍の機関に委ねること。通常人権の広範な制限がなされる」と書いています。
 ムシャラフ大統領の戒厳令に対し、弁護士たち法曹界の反対も強く、最高裁長官のチョードリー氏も逮捕されてしまいました。このたびムシャラフ大統領と手を結んだため帰国(8年間ドバイ在住)が許されたベナジール・ブット女史(元首相)は、帰国直後は反ムシャラフ派による自爆テロの攻撃を受けましたが、ムシャラフが戒厳令を敷き強権をほしいままにしたため、反ムシャラフを唱え始めました。そのため、本日(9日)自宅軟禁されました。彼女の住居はF8/1。ウチの家から約2km西になります。
 1999年10月12日陸軍参謀長だったムシャラフが軍事クーデターを起こし、当時の首相ナワーズ・シャリーフを遠ざけました。以後大統領令を発布し憲法改正を行い、大統領の権限が大幅に拡大されました。今年9月27日には大統領候補者の立候補を阻止するため届け出会場(最高裁判所の裏)までの道路を封鎖したという噂を聞きました。真偽のほどはさだかではありません。結果、圧倒的多数で信任され再び大統領になりました。任期は5年です。
  イギリスから独立して60年。天国にいるアラーマ・イクバルはどう思っているのでしょう。彼の望んだ政教一致国家の軍事独裁政権の現状を・・・。
 ムシャラフ大統領は、アルカイーダのビン・ラーデンにも狙われています。

 ☆ ピアノとヴァイオリンのコンサート
 昨日(8日)トルコ大使館でモーニングティーの会があり、ピアノとヴァイオリンの生演奏がありました。ノンメンバーの私はアドミッションレターを携え400ルピを支払い広大な敷地の中に立つ瀟洒な大使館に入りました。100席ほどのコンサート会場です。庭にはアタトルコ(トルコ建国の父)と言われるムスターファ・ケマルの胸像がありました。この国も往時イギリスやフランスの植民地のようになっていたのです。ケマルの指導のもと、イスラム国家の再建に成功しました。そしてその成功はジンナーに大きな影響を与え、イスラム教徒の国をつくることになりました。
 ともあれ楽しみの少ないこのパキスタンにあって久しぶりの生演奏を聞くことができ私は大満足でした。

 ☆ フンザ旅行記 そのB
 今めまぐるしい世相の中にいて、もう2ヶ月前にもなるフンザの旅を懐かしく思い起こしています。同じパキスタンにありながら、イスラマバードは警察官がひしめき合い、一方のフンザは昔ながらのゆったりとした時が流れる桃源郷のままです。
 私たちは9月15日朝6時フンザの中心地カリマバードを出発しました。早朝なのでとても寒く二人ともジャンパーをきこんでいます。これから行くのは中国との国境クンジャラーブ峠です。ジープで約5時間かかります。ツアーガイドの青年と警察官1名が同乗してKKH(カラコルム・ハイウェイ)を北上します。つづら折りの凸凹の多い土砂崩れの多発地帯をジープはスピードを緩めず走り抜けます。朝日に輝く山々を仰ぎ遙か下に流れるフンザ川を見下ろしながら私たちは揺られつづけました。窓ガラスのないジープなので寒さが厳しく手袋・マスクをつけました。道沿いの岸壁につけられた線はシルクロードの跡です。昔の人がいかに苦労して峠を越えたかが忍ばれます。
 フンザから約1時間でグルミットにつきます。右手にギザギザの山・トポップダンがとびこんできました。面白い名前なのですぐに覚えてしまいます。ここからKKHを15キロ北上するとパスーにつきます。左手にパスーピーク、シスパーレ(7610m)その間にパスー氷河が横たわっています。こんなにはっきりと氷河を見たのは初めてです。圧倒されるほどのスケールと近さです。クンジャラーブ峠の手前にあるスストは標高3000m。交易のため中国人やそのトラックが至るところにとまっています。車に書かれた漢字もなぜかなつかしい・・。
ここのレストラン(一軒しかない)に昼食の用意を頼んで、めざすはクンジャラーブ峠。あと約86km。所要時間2,5時間です。クンジャラーブナショナルパークで国立公園入場料を支払います。外国人は520Rsで、パスポートが必要です。
ジープはどんどん登っていきます。気温が下がり、空気が薄くなってきます。「見上げていた山が目の高さになっている!」峠は標高4700m。私は富士山(3776m)にも登ったことがないのに、一挙に高地に来てしまいました。気分が悪い。車酔いのよう・・・。しばらく国境事務所で休み、元気になってから中国国境までの200mを歩きました。そこは周りに何もない、大地の果てのようなところです。風だけが吹き渡っていました。ふたたびスストにもどりレストランで遅い昼食をとりました。ここではもう色とりどりのコスモスの花が満開です。心地よいそよかぜに揺れていました。
 その後同じルートを通り無事カリマバードに帰ってきました。その夜は「イーグルズ・ネスト」という名のホテルです。鷲になったような気分で抜群の眺望にうっとりしながら眠りました。次の日はギルギットまで帰り市内のバザール、吊り橋、カルーガー摩崖仏〈私は最初、紛い仏だと思っていたので見に行きたくなかった)を見てホテルセレナへ。そこで昨日もおとついも飛行機が飛ばなかったことを知りました。優先順はおとついの予約者です。私たちは連泊を余儀なくされそうでしたが、ツアーガイドのシャンが手配して航空券を手に入れてくれました。ラッキーでした。でも本当に飛行機に乗れるかどうかはわかりません。イスラマバードから飛行機がとんでくるかどうかにかかっています。飛行場の中で待つこと1時間。機影がみえました。思わず笑ってしまいました。ラッキー過ぎて何か物足りない!と言う気分なのです。実にいい加減なものです。気分なんて・・・。
 私はもう一度フンザに行こうと思っています。ピンクの杏の花が満開になる4月に行こうと思っています。
      行き昏れて 木の下陰を宿とせば
      花や今宵のあるじならまじ
 西行のように、杏の木の下で一泊しょうかな?
 ではまた。 

パキスタンの国花ジャスミン


大統領府


国会議事堂

最高裁判所


いざクンジャラーブ峠へ


トポップダン山


カラコルム・ハイウェイ


クンジャラーブ峠国境で


国境から中国側を望む


崖の上にあるイーグルズ・ネスト


ギルギットのバザール


ギルギットの吊り橋で