三代吉記念館・館長弾武士の回顧録

三代吉記念館・館長弾武士の回顧録 その2
  明治42年11月(1911)に三代吉が設計した。貴金属宝飾店喜多村商店の設計に就いて解説したい。
明治44年12月の始め、この年は、早くから寒く、12月4日は完成を控えた喜多村ビルの最終打ち合わせが、朝早くから行なわれた。
昨夜から降り出した雪は夜半から大雪になり、朝には1尺(約30p)も積もった。
この日は市電も不通になり、関係者は遠方から徒歩で来たり、馬車で来たりする大変な日になった。
 しかし当時としては、1尺ほどの雪は普通の事で、午前9時には2階の会議室に仮説のテーブルと椅子が用意され、関係者10人が揃った。
最後に現われた棟梁の松尾が言った先生まだでしょう。
あぁよかった。この雪だから、少しぐらい遅れてもと、思ったが間に合ってよかった。
定刻より少し遅れて、早足に階段を駆け上がってくる気配と共に三代吉が現われた。
すまん、すまん、すいませんなぁ。現場監督までが、真似て、すまん、すまん・・・すいません。ハハハ・・。
みんなの顔に笑顔が広がり打ち解けた雰囲気になった。
三代吉が着席し、最終打ち合わせと、検査に就いての話が始まった。

 三代吉が言った。こんな大雪の中、皆さんに集まってもらって申し分けない。
現場総責任者の渡辺に申し渡してあるが、私からも説明しよう。
2月中には竣工したいために、最後に詰めておきたい所があり、皆さんにキチンと確認してほしい。
私は来週から清水寺で武田先生との打ち合わせ、そして法然寺の本堂の図面と仕様書の作成にかかるので、
今度私がこの現場に来るのは年明け1月の末になる。現場が遅れ無いようによろしくたのむ。
そしてテーブルの上に数枚の図面が広げられて、説明が始まった。
(注)立面図は其の1に掲載。
 第一に、外観の確認、外装に張る鼠縞大理石の仕上がり具合。
 第二に、ビル全体のインテリアの確認、2階、3階の窓と手摺(陶器製)
の仕上がり具合。
 第三に正面のショーウインドーは磨き1枚硝子のため、傷がつかないように大切に養生する事。
 第四に入り口ドアーは、胡桃材のため養生は大切であるが、欄間のスンド硝子の出来映えは尤も大切で、設置と同時に写真を撮り私のところに送って欲しい。
 それから階下平面図に就いて説明しよう。次回につづく





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