三代吉記念館・館長弾武士の回顧録

三代吉記念館・館長弾武士の回顧録 その3
  
            宝飾店喜多村 階下平面図・2階平面図     エレベータ室

  そして階下の打ち合わせに入ろう。
 では階下の解説に入る。上記の平面図を見て頂きたい。
入り口のドアーとウインドの中間にもう一面の扉が設計されている。
入り口の扉は営業時間中は開けたままにする。店舗に面した扉は両開きに設計されている。(予算があれば回転ドアーとしてもよい。)
そして全ての床で段差はつけない。造り付けの家具等を据え付けるときは、充分に注意する。
階下の床は全面大理石のため、設計図面の通り模様あわせの確認。
特に階段奥のエレベータ室の施工は慎重にして、とくに電気設備の確認すること。
充分すぎるぐらいに繰り返しテスト運転をし、安全面の確認に時間をさくように。(注、当時のエレベータの写真をご覧下さい。)

 次に一番だいじなことは換気である。
階下は両隅8面に換気口を設ける。全て10度の勾配を付け、空気をスムーズに流れるように設計されている。そしてショーウインドーのセンターに2面、営業室にも2面の空気取り入れ口を設置しガラリにて空気の量を調節する。
天井裏から屋外にスムーズに汚れた空気を誘導し排気しなければならない。6枚目の図面で指示をしてあるので、確認してほしい。
(ここでは図面は公開しない)みんな少し疲れた顔をしているね。
ではここらで一息ついて、珈琲タイムにしょう。

 一服の間に、ここで当時の三代吉の請け負った仕事に就いて述べてみたい。
 古谷三代吉は明治43年9月には京都市を退職する。役所では、建築技師、用地課の事務方、消防課(消火栓)と部所を変わるが、部署ごとに何百円という当時として破格の退職金を得ていた。
独立の資本金としては充分ではなかったが、それを元手に、喜多村の三階を既に事務所として借りる契約をした。
 古谷工務所としての現場は同時に四条寺町界隈だけで、春長寺(しゅんちょうじ)借家新築工事、寺町仏光寺で法然寺本堂新築工事、そのほかに二条城界隈に数奇屋造りの新築工事を抱えていた。
 そのほか、武田五一教授に依頼された播州清水寺の本坊と表門、そしてC.A.W設計事務所での宝飾店喜多村の新築工事。
多くの仕事を抱えて現場での打ち合わせや、上棟式に、何時も時間ぎりぎりに現われて、すまん、すまん、遅れてすいまへんが、口癖で今に云うトレードマークになっていた。
そして年が明け、大正元年を迎える。そして古谷工務所のプレートを出し独立。

 その1〜その3 迄は [きずいきまま http://white.ap.teacup.com/takemark/] にて連載しました。
 次回からHP三代吉記念館で連載予定です。本来の[きずいきままに]のエッセイに戻ります。






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