三代吉記念館・館長弾武士の回顧録

三代吉記念館・館長弾武士の回顧録 その1
                                    
京都四条寺町南角、貴金属宝飾・喜多村商ビル
3Fに古谷工務所

其の1
 2004年9月9日三代吉記念館の開設に伴い、三代吉記念館とは如何なものであるか、少し述べてみたい。
タイムトンネルの中を箒に股がって少し時代を遡り、時間の停まったところは激動の明治が終わり、新しい時代は大正とつけられた。
 古谷三代吉は[CLASSIC ARCHITECTURE WORLD]C.A.W. 設計事務所で主任技師として又京都市の営繕課の設計技師として勤務していた。
 そして大正元年風薫る4月、長年の夢がかない独立し、古谷工務所なる設計管理を伴う工務所を設立する。
その年の5月10日京都四条寺町の北側に設計事務所時代に自身で設計した貴金属宝飾店、喜多村の三階全面を借りて古谷工務所を開業する。
 三代吉は其の頃、播州相野の御嶽山清水寺の本坊と表門の設計管理を京都大学建築学科教授、武田五一氏からの依頼で、月の内10日は現場に出張し指揮を執っていた。
 同じ頃、四条寺町の北東角、四条通に面した場所で春長寺の借家3軒の設計施工を古谷工務所として請け負う。
 三代吉はC.A.W.設計事務所のときに京都市市電開通にともなう区画整理の設計と用地買収の事業に係わった。
其の為に春長寺の敷地の一部を買収する事になり、時の住職の相談にのっている。そのような縁で、独立と同時に借家の新築工事が住職から発注された。
寺町に面する借家は階下に写真館そして階上に写真スタジオが設計された。
特筆すべきは、三軒ともに地下室が作られた事である。
そして大正2年の初夏に3軒全てが竣工した。
 写真館の地下室では御旅カフェが開店する。そお祇園祭で有名な御旅所のすぐ西側に。大正の頃はカフェの全盛期で今の京都の祗園の高級クラブにあたる。
 施工は全てに贅を極め、赤レンガ塀、そして階段を雪洞が照らし、扉はチイク材の凝ったもので、室内はカウンターに数席とボックス席が四組、ソファーは西陣織で織られており、床はペルシャー絨毯が敷き詰められていた。
 カフェでは和服にエプロン姿の女給が6人と女将が一人で、日暮れから夜半まで、紳士のお酒の相手をしたと聞いている。

 そんなある日の夜半、青ランプを燈した最終の市電が御旅の停留所に止まり、一人の中年の紳士が降りた。
そして御旅カフェの赤いネオンに照らされた階段を下り、扉を開き中に消えた。先生(三代吉)お帰りなさい。喜びに溢れた女将の声が響いた。
                       以下次号





次へ