内久保の家と家紋
庶民の苗字と明治維新



内久保レポ3

 庶民に苗字を与えた始めは、聖徳太子(620)とされている。
そして大化の改新(645)は全国の民を公民とし、自分たちが用いていた氏を公認して、
是を国の戸籍に登録した。
しかし奈良平安時代にかけて、重い租税に耐えかねて、本籍地を離脱するものが増え、
それに伴い氏も失ってしまう。
 戦国時代、戦に敗れた将兵たちは帰農した。
彼らは身分を隠すためにも、苗字を用いる事は無かった。
 当地に残る○○講書物建暦元年(1211)、定書之事建暦3年(1213)にも既にレポ2に記した16姓が記されている。
江戸時代に入ると一般庶民は苗字を持っていても名乗ることが許されなかった。
苗字から先祖を探る場合、何時も問題になるのは、明治新姓である。
鹿児島の鰻や簪などという、珍姓はこの時に付けられたものであろう。
確かに新姓は生まれたが、以上のような理由で多くは無かったと思われる。
苗字を持たなかったのではなく、公的に用いる事を禁じられていた。

 紋章の起こり。
紋章の起こりは鎌倉時代の始めの頃(1190)公家が御所車の模様などを、それぞれの家の印としたのに始まる。
武家はやや遅れたが、戦国時代になり、戦場の識別などの実用性から盛んに用いられた。
苗字は嫡流以外は姓と改める事もあったが、家紋は同族支流は同系の紋を使った。
武家には本来の紋に剣を加えた(例えば剣帷子、剣柧、剣拍、など)紋が多い。
 このような地名、苗字、家紋は与に関連するもので、これ等を調べることによって
その土地の歴史由緒が判ると云われている。


 [管理人からの発言、ここで、故古谷三郎氏が書き写した、家紋がスケッチされていますが正式な家紋に差し替えて其の由来、且つ差し支えない程度に一族の家系(特に古谷家一族郎党)を述べてみたいと思います。この論文の著作と全ての責任は管理人が負うものとします。]
全ての論文の内容の、無断転用、流用、修正使用、営利目的を禁じます。

 ここで少し家紋のことを述べてみたい。
 附 記  荒倉












この紋は菅原道真の梅花好みから起こったようだ。
美山では、
梅鉢・嶋・・・何某。星梅鉢・大前、小馬、井爪、・・・何某。
菅原氏一門の代表家紋である。
一門以外は単なる天神信仰により家紋としている。
梅鉢の中の丸は周囲の丸より小さいのが本当である。


 丸に平四つ目(目結「meyui」紋)
 近江源氏の佐々木一族がこの紋を使用している。宇多天皇を祖神としているので宇多源氏とも呼ばれ、沙々貴神社の氏子は
目結「meyui」紋を用いる。美山では、中井・・・何某。
 四方木爪紋
 この紋は藤原氏(為実の子孫)橘氏(紀氏の子孫)の家紋とされ、愛知の織田氏、朝倉氏、富山の畠山氏、兵庫の日下部氏等が使った。徳川時代この家紋の大名は3家、旗本は160氏と武家に多く使われた。公家では徳大寺家の紋である。美山では、中西・・何某。
 
 丸に三つ柏
この紋は平氏良兼の子孫長田氏の家紋である。
愛知熱田神宮大宮司、千秋氏。柏紋を最初に使ったのは、神社に仕えた神官だったようだ。
公家でも神道を司ったト部氏が用いた。 小原・・何某、仲・・何某。

 丸に下り藤
藤原氏一門が使用者の8割を占め、苗字で藤のつく人でこの紋を持っているのは10中7は藤原氏の子孫であると思って間違いない。
 弾・・・何某

 五三の桐
平安時代から文様化され12世紀頃は菊紋と共に皇室の紋章となった。しかし五醍醐天皇が足利尊氏に菊紋、桐紋を与えられて以来、
将軍、大名、家臣えの下賜が続き、幕末には、大名、旗本の
五分の一が用いられるようになり、従って先祖を探るには、非常に困難は家紋の代表になっている。
美山では、板谷某家、古谷某家(三代吉)、達野某家、丁田某家、栢下某家、
上手某家、左近某家、石原某家。等がある。

 丸にたちばな
橘氏子孫の家紋である。日蓮宗も宗紋としてこの家紋を使っている。幕末に大老を出した彦根の伊井氏も橘紋である。
古谷某家、・・原田、竹中、辻・・某家。

 新四つ目
近江源氏・佐々木四郎高綱の佐々木一族がこの紋を使用している。
達野某家、野谷某家。




 平四つ目
野谷某家。


 牡丹紋
光瑞寺の寺紋、この紋は関白近衛家の専用紋で両家のゆかりの
大名寺院が近衛家の勅旨状によって使う事を許された。
光瑞寺は九条家との縁により使用を許された。
あとがきU
 ここから先は古谷三郎が光瑞寺より古谷一族、弾一族の子孫の過去帖を調べて、描き写した資料と系図が克明に書かれてある。
個人的な資料が多いために、是より先は割愛します。 完   管理人。2004・12・7



野々村郷伝説・内久保の伝説・内久保の家と家紋
内久保レポ、三部作を in memory of Tokuzou Hatanaka に捧げます。
ここで掲載している、畑中徳三氏の論文について、ご意見、ご感想、お待ちしております。
読みにくい箇所、誤字等多々あるかと思います、訂正してご覧ください。 2004・11・9



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