■手束正昭著「命の宗教の回復」より
           (キリスト新聞社刊)

カリスマによるいやしと解放 
       神の御業を妨げるもの−奇跡が起こされる原則  (4/5頁)

        ナアマン将軍をいさめた従者は、神の言葉に立つ信仰の

       人であった。「預言者があなたに何か大きな事をせよと命じ

       ても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか」(13節)と

       問うたのである。この言葉の意味は、「あなたはきっともっと

       難しい、複雑な事を命じられたら、そうされたのではありませ

       んか。しかし余りにも簡単な馬鹿げた事柄なので、そうしよう

       とは思えなかったのでないのですか」ということで、この従者

       の諫言は将軍の高慢と偏見を鋭く衝いていた。

       そしてナアマン将軍は自己の問題をはっきり認め、悔い改め

       て、神の人エリシャの語った通りにヨルダン川に七たび身を

       浸したのである。すると「その肉がもとにかえって幼な子の

       肉のようになり、清くなった」(14節)。ナアマン将軍は神の

       奇跡を体験したのである。


        このように燃えるような願いと求めがあり、神に対する

       全面的な信頼があるところ、そこにシンボル・媒体さえあれ

       ば神の奇跡は起こされるのである。けれどもこの時に、私

       たちの内側に高慢と偏見があるならば、折角起ころうとし

       ているところの驚くべき神の御業を挫折させ、終わらせて

       しまうのである。私たちは心して、私たち自身の内側から

       高慢と偏見の根を取り除いて、神の御業をこの身に体験

       し、喜びと感謝を持って、更に大きく、更に広くこの世界に

       神の御業を現わし、解放していく役目を果たしていきたい

       ものである。


        神の御業は高慢と偏見を取り除いた率直な信仰によっ

       て起こされるというこの物語は、新約聖書におけるイエス・
  
       キリストへの信仰のひな型でもある。旧約聖書の多くは

       新約聖書のひな型を提供しているのであるが、このナア

       マン将軍の物語は、実にイエス・キリストの出来事を予め

       さし示しているものである。
                           

        私たちは価値あるもの、素晴らしいものを手に入れようと

       する時に、それは当然多くの犠牲と努力を支払わなければ

       ならないと体験的に知っている。そしてその事を、救いに

       おいても当てはめ応用しようとするのである。そのために

       この世の諸々の宗教は、救いを得るために、あるいは霊的

       能力を身につけるために、様々な修業や訓練を積み、犠牲

       を要求するのである。そしてむしろその方が私たちには抵抗

       なく受け取れるのである。素晴らしい救いを得るためには

       生半可な事では駄目である。もっと厳しくなければ、と勧め

       られた方が納得するのである。そこで朝早く起きてこのように

       しなさい、断食をしなさい、水を被りなさい、というように様々

       な修業が要求され、金銀が要求され、犠牲が要求され、身を

       痛めつけるという事とが要求されるのである。そして私たちは、

       そうする事によって価値あるものを手に入れる事ができると

       思い込んでいるのである。


        けれども、これに反して、キリスト教の救いは犠牲も努力も

       必要としない。ただ、信仰によってのみ救われるのである。

       私たちが救われるために私たちに必要な事は、十字架の

       贖いを信じる信仰、ただそれだけでなのである。あまりにも

       簡単で容易なので、多くの人はかえってこの救いを受け取る

       事ができないでいるのではないだろうか。むしろもう少し複雑

       な手続きを提供し、もう少し多くの犠牲を要求するならば、もっ

       と多くの人々がクリスチャンになるのかもしれないとさえ思わ

       れるのである。なぜなら私たち人間は、価値あるものは努力

       と犠牲を伴うという事を体験的に知り、固く信じているからで

       ある。簡単なもの、容易なものには、それほどの価値がない

       のではないかと固く思い込んでいるからである。


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