発行:高御位山遊会
(兵庫県勤労者山岳連盟所属)
発行責任者:砂川
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編集責任者:藤本

高御位山の紹介

高御位山

標 高 :304.2m
所在地 :加古川市志方町成井
     高砂市阿弥陀町長尾
車で明石方面より加古川バイパスを西に向かって走っていると正面に姿の良いひときわ高い山が見える、これが高御位山です。 播磨富士とも呼ばれる様にその容姿は富士に似ている、一帯は大小の峰より成り立ち播磨アルプスと呼び多くのハイカーが訪れる。

高御位山への登山ルート紹介

「モデルコース」 市教育委員会資料より
●成井~成井コース: 階段の多い往復約1時間30分のファミリーコース
●長尾~馬の背コース: 高御位直下の急坂を上り馬の背に下る約2時間30分のコース 逆コースも可
●鹿島神社~北山コース: 百間岩を登り縦走路を北山奥山までの約4時間のコース 逆コースも可
●その他 曽根駅の中所登山口より宝殿の辻登山口迄の5時間以上の縦走ロングコースもあり、バラエティに富んだコース選択ができる

登山マップ(クリックすると拡大します) 高御位登山マップ

高御位山の花地図(PDF)  花図鑑(PDF)

高御位山周辺の歴史について

 高御位山と鹿島神社のことについて雑学程度の歴史を書いてみますこの機会に我らのホームグランドを再認識してみましょう。

①【高御位山の古代信仰】 高御位山は、古代から山岳崇拝の聖地として播磨一円の厚い信仰を集め、頂上のシンボルである巨岩は神霊の宿る場として、長い歴史の流れの中で人々は崇拝の心でその山容を仰ぎつつ今日に至っている。 高御位神社南側の岩場は、 今から約1200年前の大同2年3月21日に、大国主命が国造りのためにこの岩場に下りて来られたという言い伝えがある。 また神社前方の岩場一帯は、弥生時代から古墳時代にかけての古代人が神をお祭りするための「祭事」を行った跡であろうと言われている。禊(みそぎ)跡である扇形のくぼみは、古代人が神にお参りする前に身を清めるための水を溜めるのに、岩をくりぬいて作った穴であろうと言われている。 盃状穴(はいじょうけつ)址、盃のような形をした小さな穴は古代人が、石のようなもので岩肌をこすりながら神に祈りをささげたときに出来た穴であろうと言われている。 御水(みもみ) 址、米粒のような形にくりぬいて作った穴は、古代人が神にお供えする水を溜めるために岩をくりぬいて作った穴であろうと言われている。(これらの解説に相当する場所には新しく木製の案内板が設置されているので一度ゆっくり確認してください。)

②【高御位山の中世の言い伝え】北山奥山付近に岩肌が赤錆が浮いたような色の岩が山道脇にあるのですが、説明板によると「今から約400年余り昔の天正年間に羽柴秀吉が志方城を攻めたときここに本陣を置いてこの岩に腰を下ろして采配をとったといわれています」あなたも一度この石に座って太閤気分に浸ってみてはどうですか。桶居山の頂上付近では宮本武蔵が天狗に剣術を習ったという言い伝えが残っている。また小高御位山付近では江戸時代に大阪堂島の米相場の情報を須磨の旗振山等を経由して姫路へと伝えていた米相場中継所跡の旗振り場があったと伝えられています。

③高御位山の近世の歴史山頂にある飛翔の碑は大正10年(1911年)に志方町の渡辺信二が21歳の時、山頂から自身が製作したグライダーで滑空したことを記念して建立されたものです。このように我らのホームグラウンドである高御位山周辺には長い長い歴史が詰まっており遠い昔から現在に至る長い時間を経過しても常にその時代の人々に信仰され、親しまれた歴史があります。皆さんも登ったときに歴史を確認してみてはいかがでしょうか、また違った山の姿が垣間見えるのではないでしょうか。
                                  (高御位山関係の資料より一部 参照・引用)

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