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「下げ」って何だと思いますか? 

はじめに

 鍛冶屋の行う「下げ」とは一体どう云う内容の作業か、一般には使われない言葉なので想像も付かない人が多いと思います。下げとは大まかに言って、昔の製鉄方法の一行程の名前で、銑(ずく=銑鉄)から鋼や包丁鉄(ほうちょうてつ=炭素量が少なく柔らかいため色々な鉄製品の材料になる)を作り出す作業をさします。

 私は刀鍛冶として、玉鋼が普及する以前の刀鍛冶が、どのような地鉄を使い日本刀を作って来たのかを研究するのを主要な課題の一つにしています。刀鍛冶自身が自前で製鉄をして使える材料に仕立てる研究は、大変な経費と労力が必要な為、あまりやりたがらないのですが、玉鋼が無かった鎌倉時代の刀鍛冶に迫る様な日本刀を作るには、避けて通る事の出来ない課題だと考えています。そしてこれは刀鍛冶の究極の道楽だとも思っています。

 では先ずこの頁の内容の概略を書いておきます。近代製鉄が導入される以前、日本の鉄は主に「たたら」と云われる方法で作られていました。そう、あの映画「もののけ姫」に出て来た古い日本の製鉄法です。江戸時代やそれ以前のたたらでも、作られる鉄は一部の鋼や分ケラと云われる屑鉄を除き、主に銑鉄が作られていました。この銑鉄や分ケラを脱炭させて、包丁鉄とか割鉄と云われる低炭素の鉄に仕立てる行程を「下げ」と呼んでいました。今の製鉄に置き換えると上吹転炉法による製鋼行程の様なものですね。

 「下げ」は多くの場合、鉄山に付属する大鍛冶屋と呼ばれる工房で行われていましたが、鉄を大量に消費する少し大きなの鍛冶工房でも似た様な仕事をしていたと考えられています。ここではこの、鍛冶工房で行う「下げ」の再現に付いて述べて行きます。

 しかし、江戸時代やそれ以前の鍛冶工房で、今から述べるのと全く同じ方法で仕事が行われていたと云う確証は有りません。何せ昔の記録が殆ど無い為に、確かめる術が無いのです。しかし、大鍛冶屋に関しては、一部の古文書や明治以降の研究報告が有ります。私の工房でもこの仕事を再現するに当たり、それらの記事を参考にしつつ、一般の鍛冶工房で行える規模の仕事の仕方を考え出したのがこの方法なのです。

 ただ、工芸品などの風合いは、その素材の生産方法が類似していると、おのずと似てくる物です。そして現在、出来上がってくる私の作品の地鉄の状態は、鎌倉時代とはいかなくとも、玉鋼で刀が造られる様になった江戸時代以前の、末古刀と云われる室町時代の地鉄の風合いに似ている事は事実なのです。ですから、私はこの方法を「当たらずとも遠からず」と自画自賛している訳です。

 では私の工房で行っている一連の地鉄作りの作業の内の、「下げ」について、仕事のやり方を開発した時に参考にした古来の技法と共に、その作業方法を順次述べて行きます。

目次

1  卸鉄、下げ、水火床による脱炭

2   純平鍛刀場の炉の規模と構造

3          下げ場の操業

4           本場の操業

5            ノロ搾り

6          水ベシ、選鋼

参考文献

1)俵國一著 : 古来の砂鉄精錬法(たたら吹き製鉄法), 丸善 , 東京 , (1933) , 107

2)俵國一著 : 古来の砂鉄精錬法(たたら吹き製鉄法), 丸善 , 東京 , (1933) , 123

3)岡田廣吉 : 日本製鉄史論集 , 釜石鉄鉱山地域の延鉄(錬鉄)製造法 , 示人社 , 東京(1983) , 477

 尚この文章は、私が2004年11月に(社)日本鉄鋼協会 社会鉄鋼工学部会「鉄の歴史ーその技術と文化」フォーラム「前近代製鉄実験」研究グループの会合で、「下げ」について発表した論文を元に制作しています。