「よし、完全に治ったわ。傷も残らないわよ」
シルフはそう言って汗をぬぐうと、心配そうな表情を浮かべていた弥生に向かって微笑んだ。
「…あっ、ありがとうございます!」
弥生は何度も何度も、頭を下げた。
「…別にいいわよ。こんな奴でも目の前で死なれると後味悪いからね」
シルフは相変わらずの憎まれ口を叩いた。無論、みんなわかっていることだったが。
「……あのー、お取り込み中悪いんですが…」
そう言って割り込んできたのは、シュリだった。
「瑞原弥生さんと二十一選手は控え室の方に…」
おずおずと、そう切り出した。
「……えっ?」
「…むっ!?」
その意味するところに、相変わらずのニブチンな二十一は気づかないが、シルフは当然気づき、まゆをしかめた。
「…はい、もちろんわかっています。シュリさんにはご迷惑をおかけしてしまって、すみませんでした。そして…
……本当にありがとうございました。おかげさまで、こんなすばらしい試合を見ることができました」
頭を下げて、弥生はシュリに対してそう言った。
「…いや、私はそれほどのことは……いやー…」
シュリは照れながらそう答えた。
「……そ、それでは、…は、二十一さん、……参りましょうか…」
弥生は上目遣いに二十一をチラチラと見上げながら、顔を真っ赤にさせてそう告げた。
「……えっ? ………あっ……ああぁぁーーー!!!」
ニブチン二十一もその様子にさすがに気づいて、負けじとトマトのように顔を真っ赤にした。
「…………………」
その二十一の態度に、シルフの機嫌はさらに悪くなる。
「……あっ、あの…私…はじめてなので、…よ、よろしくおねがいします……って、わたしったらなにを……」
真っ赤になって照れまくる弥生の姿には、先ほどまでの「お姉さんお姉さん」な様子はなくなっており、初々しい16歳の少女らしさだけがあった。
「…いや、僕もそんなに経験があるってわけでも……じゃなくて…」
二十一がそうやって話を変えようとした理由に、背後からのプレッシャーというものが多分に含まれていただろう。
「…僕はそんなつもりで彼に勝ったわけじゃないから、その件はいいですよ、弥生さんにシュリさん」
「…そうですか、二十一選手がそう言うのなら私はいいんですけど…」
シュリはそう答えると、目線を弥生へと送った。
「……わたしじゃ、だめですか…」
ポツリと、弥生が言った。
「えっ! …そ、そう言う意味でじゃなくて…」
背後から受けるプレッシャーがさらに大きくなったのを、ヒシヒシと二十一は感じていた。
「…あっ、ほら!」
…あっ、ほら! ……じゃないだろう。……今思いついたのがバレバレだぞ…
「月心君のこともあるから。
…やっぱり、自分が負けたせいでお姉さんがそ、その…そういうことになってしまったなんてことは、彼のこころに大きな傷を残すことになると思うんだ。
僕としては、彼にそんなトラウマを背負わせたくないから…」
まだ眠っている月心を見つめて、二十一は真剣な顔でそう言った。
「…ふーん、なかなか言うじゃない。…二十一にしては…」
そんな憎まれ口をたたきつつ、シルフが笑顔で二十一に言った。
「…二十一にしては…は余計だよ」
やれやれと言うように、二十一がシルフに答えた。
「……て、…ら…」
ボソリと弥生がつぶやいた。
「…えっ?」
「……私自身が望んで、…だ、抱いて欲しいというのならどうですか!?」
ピシイッ!!!
弥生のその言葉に、シルフの笑顔が凍り付く。
「えっ、あの…」
「…だっ、だそうよ…」
シルフは凍り付いたままの笑顔で二十一に顔を向ける。
「……し、しぃる…」
「…月心のことは関係なく……わたし…私! 二十一さんのことが好きです!!」
赤面したまま、それでも真剣な表情で弥生はそう二十一にうったえた。
ピシ…ピシイイイィィーーー!!!!
「あ、あう…」
「……会ったばかりで、突然なにを言い出すのかと思われたかもしれません。私自身よくわからなくて…こんな気持ち初めてで……」
「…も、モテモテねえ、…二十一君…」
笑顔をひくつかせてシルフが口をはさんだ。
「………あ、あう……
…あ、あの…気持ちはすごく嬉しいけど、結果として僕が君を抱いてしまったら、やっぱり月心君は傷つくと思うんだ…だから……」
「そんなことありません!!」
「…えっ!」
二十一の言葉をさえぎったのは、つい先ほどまで眠っていた月心だった。
「…姉上自身の意志ですから、ぼくは気にしません。
……それに、……お師匠様がぼくの兄上になってくれるのなら、言うことありません!」
月心は目を輝かせて、トンデモナイことを言った。
「…お、お師匠…って…?」
「…あ、兄上って!?」
「うん! すごくいいですよ、それ! 是非そうしましょう!!」
月心は非常に無邪気にそういうのだが…
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオォォォォォォーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!
(…す、すごくこわいです……)
わずかに距離を置いているはずの椿ですら、逃げ出したくなるくらいにヒシヒシとプレッシャーを感じていた。
「…あ、あの、…私は次の試合がありますので、そちらで決めて下さいませ。…そ、それでは…あ、あは、あはははは……」
乾いた笑いを浮かべて、シュリはそう言うとそそくさとその場を後にした。
(……ず…ずるい……)
自分の問題であるとは知りつつも、そう思ってしまう二十一であった。
(…私も逃げたいです…)
気を抜くと倒れてしまうくらいに、プレッシャーは膨れ上がっていた。
「あ、その、その…」
「二十一さん…」
「お師匠様!」
「二十一!!」
(…二十一さん、頑張って下さい…)
「あ、あう…」
にっちもさっちも行かなくなってしまった状態の二十一に、救いの声が投げられた。
「……しゅ、……シルフィナ・ヴァルス・ガンジー選手!」
「…シルフさん、呼んでますよ」
最初に気づいた椿が言った。
「…あ、ホントだ…」
「…もう、そんな時間か…」
ホッとしたように、二十一が言った。
「…でもなー」
「…前回は見られなかったから、今回は見せてもらうな」
ぐずるシルフに、二十一はそう言った。
「…ん、しゃーないなー」
まんざらでもなさそうに、シルフは答えた。
「…というわけで、…ゴメン、弥生さん」
「………そうですか。……しょうがない…ですよね…」
残念そうに、弥生はつぶやいた。
「じゃ、しっかりと見てなさいよ!!」
自信満々、気分揚々とシルフはそう言って闘場へとむかった。
……で…
「……棄権と言うことで、シルフィナ選手の不戦勝です!」
その1分後、シュリによりその勝利コールが聞かされたのだった。
「なんじゃあ、そりゃああああああぁぁぁーーーーーー!!!!」
……ぷぷ、ラスボスへの道まっしぐらだな…
「やかあしいいいいいぃぃぃぃーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
青空の下、シルフのつっこみが大きく鳴り響いたのだった。
……………
……
「…おつかれさん」
その二十一の声に…
「…いやみ?」
ギロリと視線をやると、シルフはそう言った。
「…いや、…あはは…」
二十一は苦笑するしかなかった。
「あ、あの…、これからみなさんで食事にでもまいりませんか? せめてものお礼に、私がおごりますので」
弥生がそう提案した。
「…いいの?」
「はい。もちろんです」
二十一の問いに、弥生はにっこりと笑って答えた。
「…じゃあ、お言葉に甘えて。……そういうことでいいかな、シィル?」
「…うん、いいんじゃない」
少し機嫌をなおしたシルフが、そう答えて二十一の横に並ぼうとした瞬間……
「ジャスタア、モーメンン!! ちょおおおぉっとおぉ、待ちたまえ!!」
そのセリフとともに現れたのは、金色のきらびやかな鎧と紫のラメ入りのマントを身にまとった、金髪の二十歳半ばの青年だった。
「山本二十一クンと言ったかな、…この際だから言わせて頂くが、あまりボクのフィアンセになれなれしくするのはやめていただこうか」
そいつはそう言うと、きざったらしく前髪を跳ね上げた。そこへ…
ドカアアアアア……グシャアアアアアアア……ズサササアアアァァァァーーーーーー!!!!!!
「どぅわぁれが、フィアンセよおぉぉぉーーーーーー!!!!
あんまり寝ぼけたこと言ってると、ぶん殴るわよ!」
…すでに殴ってる…
すっくと起きあがると、だくだくと流れ落ちる鼻血も気にせず、そいつは前髪をかき上げつつ白い歯を光らせて言った。
「…いやー、はっはっは。相変わらず照れ屋だなあ、ハニーは」
「こ、殺す、盛大にぶっころす!!」
「し、シルフさん、お、おちついて…」
切れかけ寸前のシルフを、椿が背後から押さえた。
「……君は?」
わずかに動揺しつつ、二十一がそいつに聞いた。
「…おやおや、次の対戦相手ぐらい覚えておくべきだよ」
「…次の…?」
そいつは前髪をかき上げつつ、もったい付けるように言った。
「…そう、次のキミの対戦相手にして、プリンセスのフイィアンセでもある…
…華麗なる魔法剣士、ライエルス・ヴェルドナンドとはボクのことさ」
「きいいいぃぃーーーー!! 殺す、絶対殺す! 今すぐぶちころおぉぉーーす!!!」
「はあーーはっはっはっ! そう照れるな、マイハニー!」
「むっきいいいぃぃぃーーーーーー!!!!」
シルフ、ブチ切れ寸前。
「シィル、こ、これは…」
椿と一緒にシルフを押さえるべきなのだが、さすがの二十一も混乱してしまっていた。
「…それだよ!」
「えっ!?」
「…気に入らないなあ、ボクのフィアンセをそんな風に呼ぶのは…」
「だっ、だからっ!!」
もう辛抱たまらんとばかりに、飛びかかろうとしたシルフの耳に…
「……やめるつもりはないよ…」
…そんな二十一のセリフが入ってきた。
「…二十一…」
「…君がシィルとどういう関係かは知らないが、僕はやめるつもりはない」
二十一ははっきりと言い放った。
「……は、二十一…」
その言葉に、シルフの怒りはどこかにいってしまい、怒りとは別の感情で顔を真っ赤にさせた。
「ふっ、言ってくれるじゃあないか、泥棒キャットが」
「…………」
二十一は無言で返した。
「…いいだろう、賭けをしようじゃないか」
「…賭け?」
「そう、ボクとキミの3回戦…ボクが勝ったら、キミはプリンセス・シルフィナに二度と会わないと誓いたまえ」
自信満々にそう言うと、ライエルスは髪をかき上げた。
「…僕が勝ったら?」
「ふっ、あり得ないことだが、そうだな…キミが勝ったら……」
「…………」
「…4回戦に進めるね…」
…………………………
……………
……
「……あっ、当たり前だ!!」
二十一が当然つっこんだ。
「…ふっ、だったらいいじゃないか」
「それじゃあ賭になってないじゃないか!!」
「ふう、やれやれ…わがままだなあ」
お手上げをするようにライエルスが言った。
「ど、どっちがだ!!」
さすがの二十一も、かなり頭にきたようだ。
「はっきり言おう、ボクがキミに負けるなんて考えたくもない! だから考えない!!
…以上だ!!」
その場にいた全員が思った。
(……な、なんつーわがままなやつ……)
「……二十一が勝ったら、私の前には2度と現れない…というのでどう」
シルフが静かに言った。
「そんなのイヤだ!」
間髪入れずに、ライエルスが答える。
…が、それを無視して…
「…そのかわり、あなたが勝ったら結婚でも何でもしてあげるわ」
「……む…」
…しばし悩む…
「…ほんとになんでも?」
おずおずとたずねる。
「もちろん。……あんたが勝ったらね」
「……………………………………………」
……かなり悩む……
「…どう?」
答えが出たようで、ライエルスは髪をかき上げて言った。
「よし、その条件で勝負だ」
「オッケー!」
ライエルスの言葉に満足したように、シルフが答えた。
「では、4日後を楽しみしているよ。はあぁーーーはっはっは!」
高笑いと共に、その変な奴は去っていった。
「…あんたが二十一に勝てるかっての、ぶわぁーか」
あっかんべーをして、シルフがその背中に言った。
「…あ、あの…」
おずおずと二十一がシルフに声をかけた。
「…あいつは一体?」
その二十一の後ろで、興味津々といった風に耳をそばだてているのが3人…
「…んーー、じゃあ食事をしながら……ねっ!」
ウインクをして、シルフが答えた。
……………
……
「…ん、来た来た!」
おいしそうな湯気をたてた料理が5人のまえに運ばれてきた。
ちなみに、4人がけの机にイスを1つくっつけて、そのイスにシルフが座り、シルフの右側に二十一が座り、その隣に椿が、その二十一と椿の向かいに、月心と弥生が座った。
つまり二十一から時計回りに、シルフ、月心、弥生、椿、そして二十一となっているわけだ。
「…えーと、それでその……」
じっと我慢していたように、二十一が口を開く。それに答えるようにシルフはうなずくと、口を開いた。
「…うーん、……何から話せばいいか…
…そうね。今から十数年前、世界は…特にゼスはひどく混乱していた。
魔王ランスに率いられた魔族三十万の攻勢に対し、リーザスとの戦で疲弊していたゼスはたちまちの内に飲み込まれてしまった。四将軍も四天王も、パパとママ以外は行方…生存ともに不明、ゼスという国はまさに徹底的に踏みつけにされたわ。
…ちょうどそんな戦時のさなかよ。……私が生まれたのは…」
そこまで言うと、シルフは水を飲んだ。
「…大変だったでしょうね、パパもママも…逃亡のさなかに赤子を抱えて、…それにパパにもママにも多額の賞金が懸かっていたんだから、よく生きてられたものね…
…そんなときよ、お祖父ちゃんを経由してヴェルドナンド伯爵にお会いできたのは。
もっとも、当時は伯爵でもなんでもない、自由都市群に住居を構えていた商人だったんだけどね。伯爵は魔力をほとんど持っていなかったので、早々にゼスから亡命して商人をしていたらしいの。
…それを考えたら、よくゼスの王族なんかを助けてくれたものよ、恨んでも当たり前なのにね」
懐かしむように、また自嘲するかのようにシルフは微笑みを浮かべた。
「…でも、そんな清廉潔白で非の打ち所のないヴェルドナンド様にも、一個だけ問題があったのよ……
…最悪の息子がいるという……ね」
げっそりとした顔で、シルフが言った。
「私があのバカと初めてあったのは、私が5歳、あいつが13歳の時だったわ。
…その時、あのバカが何をしたかわかる?」
「えっ!? …さ、さあ?」
突然ふられた二十一はそう首を傾げるしかなかった。
「まだ5歳だった私にプロポーズしたのよ!!」
「「「「はあっ!?」」」」
「…そ、それは…また…」
二十一がそう振り絞るように言った。その横で椿がゆっくりと口を開いた。
「…それで、そのプロポーズを受けたんですね」
「うっ、いや、その……………う……うん…」
言いにくそうにしながらも、シルフはゆっくりとうなずいた。
「…わかりました」
「でっ、でもっ! 5歳の時よ!!」
「確かに、5歳の時のことじゃあ、効力なんてないようなもんですね」
まだ12歳の月心がうなずきながら言った。
「…それで、そのライエルスさんの実力はどの位なんでしょうか?」
話を変えるかのように、弥生がシルフに聞いた。
「ああ、そうね。剣と魔法…それぞれが私と二十一の実力と……」
みんなを焦らすかのように、シルフはそこでいったん口をつぐんで…
「……同等か、あるいはそれ以上ね…」
「「「「えっ!!」」」」
「…そんな…」
「……しんじられません…」
「…とてもそうには…」
「…本当なのか、シィル?」
シルフは自分の言葉が引き起こしたみんなの当惑を、ニヤニヤした表情で眺めてから…
「うそじゃないわ。
ただ、剣が私並、魔法が二十一ぐらいという意味だけど」
「…なんだ…」
「くく、剣が二十一並で、魔法が私くらいに使えたなら、アークおじいちゃんが見逃すわけないじゃん!」
面白いように引っかかってくれたのが嬉しいらしく、シルフはくすくす笑いながら言った。
「そりゃそうだが…」
ああいう言い方をすれば勘違いするのも当たり前だろう…というニュアンスを出して、二十一は言った。
「えっ、でも…お師匠様は魔法使えましたか?」
月心が二十一に聞いた。
「いや、全然」
今度はシルフに視線を送る。
「私は本より重いものを持ったことないわね」
たのしげにシルフが答えた。
「そ、それって……」
目に見えて動揺する月心がおかしくてたまらないようで、シルフはかみ殺せなかった笑い声を出しながら…
「そっ! どっちも全然弱いってこと」
「そんなっ! …そ、それでどうやって3回戦まで!」
その月心の問いに…
「…シュリさんに聞いたんですが、ライエルスさんは1,2回戦ともに不戦勝で勝ち上がってます。
詳しく言うと、1回戦は対戦相手が下痢になったため、2回戦は対戦相手のパートナーがその日だけ行方不明になったため、…と言うことだそうです」
椿がそう答えた。
「…なるほどね、からくりが見えてきたわね。
ヴェルドナンド家には確か、私と同い年の忍者の女の子がいたわ。
(よく3人で遊んだっけ)」
最後の部分は口に出さずに、シルフが言った。
「…つまり、3回戦自体よりも、それまでの間の方に気をつけろってことか」
「…て、わけね」