「今回は、絶対に必要でしょう」

 医者に治癒術師、シスターに神官がかき集められたが、一番頼りになるであろう人物は、そう言って治療室へと入っていったアスカであっただろう。

 シルフがこの治療室に運び込まれたのは、一週間と経たずの二度目であった。

 

 ただ、今回は前回とは状況が大きく異なっていた。

 前回も心配はした。当然だ、ひどい怪我を負っており、気を失っており、二十一は医者でも治癒術師でも神官でもないのだから、シルフの状態はただ悪いとしかわからなかったのだから。

 

 ただ、今回はそんなものじゃなかった。

 外傷はあまりない。両手が炭化していた前回よりはまだマシとも言える。

 

 でも、そんなことではない。

 顔色が幽鬼のように真っ青で、血の気が完全にひいていた。前回はまだ血色があり、顔色がよかった。

 

 でも、そんなレベルの話ではない。

 あのいつも余裕の表情を浮かべていたアスカが、今回は様子が違っていた。冷静さを失っているというのではない、一刻を争うということをどうしようもなく感じさせた。

 

 だがしかし、そんな話でもないのだ。

 

 

 …彼女の、あの美しい金髪が、まるで死んだように真っ白に、色を失っていたんだ…

 

 

 

 …どれだけ時間が経ったのかわからない。

 …数時間は確実に経った気はするが、まだ一時間も経っていないかもしれない。

「………………………………………………………………」

 誰も言葉を発しない。かなりの人数がいるというのに、とても静かだった。

「………………………………………………………………」

 誰も言葉を発せない。下手ななぐさめも、適当な楽観論も口にするのは憚られた。

 彼女の様子を一目でも見たのなら、とてもではないが楽観視はできなかった。

 

 

 もう死んでいる…いや、既に死んでいた…そう言われても信じてしまえるほど、生を感じさせなかったのだから。

 

 

 二十一は悔いていた。

 なぜ、こうなる前に止めなかったんだと。

 

 ルールだから?

 彼本来の生真面目さ、それが足を止めさせたのは事実だ。

 

 シルフへの信頼があった?

 あの大戦、魔物、魔人、そして魔王とまで戦った、あのこれ以上ない厳しい大戦を一緒にくぐりぬけた、自分の次に…いや、自分以上に彼女の強さに対する信頼はあっただろう。こんなところで、この程度の戦いで、どうにかなるはずがない。そう思ってはいなかっただろうか。

 

 …それだけか?

 …それらは確かにあった。それは事実だ。

 

 

 …だが、本当に、それだけか?

 

 

 …彼女が負けた後、その後の展開…それを避けたい…考えたくない…そういう気持ちが、少しもなかったと、本当にそう言えるのか?

 

 

 

 …キィ…

 

 

 その音は非常に小さなものだったが、他に音がなかったその場所では、とても大きく聞こえた。

 誰もが顔を上げ、注目をした。

 その場の全員の注目を集めていることに気づいてないはずはないのに、女性は扉を開けたあと静かに閉め、ゆっくりと歩いてくると、二十一の座っているベンチの隣に座った。

「………………………………………………………………」

 誰もがいろいろと聞きたいことがあるのだが、口は何も発せられず、ただ目だけが問うていた。

 

「…………ふぅ」

 

 まずは一呼吸、息を吐いた。

「…まずはなんとか、峠を越えました」

 そのアスカの言葉に、ようやくほとんどの人間がホッと息をついた。

「…でも、本当に危険な状態でした。生命力という意味では、完全に尽きている状態でした」

 続くアスカの言葉に、またほとんどの人間が息を呑んだ。

「肉体が生命を支えられない状態…その状態を、かろうじて、それこそ無理矢理に、魔力で支えていた、そういう状態でした。

 …言うなれば、HPは完全にゼロを下回って、マイナス100くらいになっているのを、MPを100…いえ、1000くらいまわして、強引に踏みとどまっているような、そんな状態」

 そんなことができるかどうかはわからないが、実際、そんな無茶苦茶をしていたのだろう。

「…まあ、この状態自体は、前回のセシルさんとの試合の後も似たようなものだったのですが」

 そう、前回もそういう説明を受けた。膨大なシルフの魔力が治癒力として働いて、肉体を回復させているという話だったはずだ。

「今回は、その魔力すら、ほぼゼロになるまで使い切ってしまっていた」

 ”灰色破壊光線”…一流の魔術師が百人集まったとしてもできないような、それほど強力な魔法、それが原因なのは間違いなかった。

「彼女の魔力の代わりに、まあ私も含めてたくさんの術者が魔力を注ぎ込んで、ようやく…本当にようやく、ついさっき、峠を越えました」

 そこで、アスカが大きく息を吐いた。

「とは言っても、本来の生命力がようやくゼロではなくなったレベルにまで回復して、魔力もようやく回復方向に向かい出した…転落の一途だった所が、なんとか上向いてきたというだけなので、予断は許さない状態には変わりありません」

 そこで、苦笑を浮かべて言った。

 

「…でもまあ、さすがにこちらももう限界ですしね、…もちろん、あなた方も含めてですよ。もう日も変わってますから」

 

 とっとと帰って眠りなさい。彼女は苦笑交じりにそう言った。

 

 

 

 ……………………………

 ………………

 ………

「………………………………………………………………」

「………………………………………………………………」

 病院を出て、宿屋に帰るまでの間、二人の間には何の会話もなかった。

 

「………………………………………………………………」

「………………………………………………………………」

 そしてそれは、宿屋に帰って、それぞれの部屋に分かれるまで続いた。

 

「………………………………………………………………」

「………………………………………………………………」

 このままおやすみの挨拶もなく、別れてしまうことになるのでは、そう二十一が思った時だった。

 

「…少し、お話をしませんか」

 

 彼女がそう二十一を呼び止めて浮かべた表情は、どこか違和感を覚えさせるような、微笑だった。

 

 

 彼女は部屋に入ると、そのままベッドに腰を下ろし、視線だけで二十一にその前の椅子に座るように促した。

「……ふふっ」

 二十一が椅子に座って、椿のほうをどこか様子を伺うように見上げる。その様に、椿がまた笑った。

「……どうしてなんでしょうか、二十一さんは、罪悪感を感じているんですよね」

 どこか楽しそうな様子で、椿が質問というよりは確認するように、そう言った。

「……………………………」

 何かを言いたげな、でも何も言えない二十一の様子を伺うでもなく、彼女は言葉を続けた。

「…でも、しょうがないんでしょうね。感じようと思って感じるものじゃないんですから。自然と浮かぶものだし」

 そう言う椿の様子は、いっそ楽しげと言えるものだった。

「…私はね、二十一さん。二十一さんよりも、もっと罪悪感を感じなければならない人間のはずの、私は、ですね」

 そこで椿はむしろ朗らかに、笑った。

 二十一よりも罪悪感を感じなければならない人間であるかはわからなかったが、二十一に違和感を覚えさせるには十分な様子だった。

「あの場で、みんながシルフさんの心配で、それ以外を考えられないようなあそこで、私はね、二十一さん」

 

「…ああ、これで二十一さんの優勝だ…」

 

「…そんなことを考えていたんですよ」

「…椿ちゃん…」

「そりゃあもちろん、シルフさんが死んでもいいなんては思いませんでしたよ。

 でも、たとえ無事でも、三日後の決勝戦に間に合うはずなんかない…そんなことを思って、そんなことをあの場で思っちゃう自分がイヤで、…自己嫌悪しかなくって、罪悪感なんて、ほとんど感じない自分がイヤでイヤで…」

「ごめん、椿ちゃん。君がシィルの心配をあんまりしていなかったと言うのは、正直嫌な気にはなった。

 でも、罪悪感を感じなければならないっていうのがよくわからない。シィルがああなったのと、君とは関係がないんだから」

 前半部分はいらなかったかもしれない。だが、素直に自分の思ったことを言ったほうがいい…そう感じたから、そのまま正直に口に出した。

「…そんなことないですよ。私がいなかったら、私さえいなかったら、シルフさんは二十一さんのパートナーで、あの場に立つことはなかったんだから」

「それは違うよ。僕が出る出ないに関わらず、シィルは出ていたはずだよ」

 二十一は本気でそう思っていたから、そう口にした。

「それは違いますよ。なんだかんだ言っても、あなたが出たならば、シルフさんはパートナーになったはずです。私さえいなければ」

 椿は本気でそう思っていたから、二十一の言葉に反論した。

「私は、そうまでしてでも、優勝者のパートナーになりたかった。どうしても、あの闘神の城に入りたかったんです」

 闘神城…闘神都市の中心に聳え立つ、白亜の巨城…闘神とその許可を得たものしか入城できない、永世闘神エグゼスと彼に仕える闘神達が住まう城であった。

「…あれ、でも…」

 直接聞いたことはなかった。それでも、いくら二十一がニブイといっても、さすがにわかってはいた。去年の闘神は土方椿の兄であったはずだ。

「…私も、簡単に会えると思ってました。

 一緒に住もうって言ってくれてたし、会えないなんて、入れてもくれないなんて、思いもしませんでした」

「…そうか」

 普通に考えればわかることだった。去年の闘神の妹が、なぜわざわざ次の年の闘神大会にパートナーとして出る必要があったのか?

 そんなリスクを犯す必要が、どこかにあるのは間違いなかった。

 

「…ああ、…ああ、そうか、私、捨てられちゃったんだ。そう、思いました」

「なっ!」

「やっぱり、私なんか、要らなかったんだ。そう思いました」

「椿ちゃん!!」

「でもっ! …でも、そう思ったらっ!! …真っ暗になって、立っていられなくなって…わかってるのに! …わかってたのにっ!! …わかってたはずなのにっっ!!!」

「椿ちゃんっ!!!」

 

 

「会いたかった! …もう一度会いたかった…何を言われるかわからなくて、怖くて…怖いけど…でも、それでも! …会いたいんです…」

 

 

 泣き崩れる椿に駆け寄って抱きしめるのに、何の躊躇もなかった。泣いている子をそのままにできるわけがなかった。

「…わかってるのに…私なんか…でも、でも…会いたいよぅ…」

 子供のように泣きじゃくる椿を強く抱きしめながら、感じるのは怒りだった。

 噂だけで、会ったこともない椿の兄に対して、一年近くも椿をこの状態にしたままの去年の闘神に対して、敵意にも近い怒りしか感じなかった。

「……うぇぇ、ふぇ…にぃさま、にぃさまぁ…」

 幼児のようにすがりついてくる椿の頭をなでながら、精一杯あやすしかできなかった。

「うん、わかった。明々後日に会おう」

 頭を撫でながら、背中をポンポンと叩きながら、子供に対するように優しくささやく。

「会って、それから、文句を言おう。大丈夫。僕がそばにいるから」

「…すん、すん…」

「…大丈夫、大丈夫だよ。もしひどいことを言ったりなんかしたら、僕が代わりに怒るから」

 殴らないように気をつけないと、なんて笑いながら言うと…

 

「駄目! 駄目ですっ!! 兄様は悪くないんです! 私が、私が!!」

 

 椿は二十一の腕を振りほどくと、髪を振り乱しながら、兄は悪くないと必死に訴えるのだった。

「椿ちゃん…」

 せっかく落ち着いて来ていたのが、また激しく感情を爆発させ始めた。

「ああ、ああ、私が、私なんかが…」

 内向的で大人しくて物静かな子だと思っていた。でも、それでも、あまりにも自虐的過ぎではないだろうか。

「…椿ちゃん、君は…」

 

「…あっ」

 

 二十一の視線に、その問うような視線に、怯えるように…自分の体を抱きしめながら、がたがたと震え出した。

「…いや、いや…怖い…でも…」

 そんなつもりはなかった。守りたいだけだったのに。

「…ごめん。もう聞かないから。うん、また明日…」

 椿をこのままにしていいのか、それはわからない、どうすればいいのかわからない。

 …でも、間違いなく言えることは、今、たった今現在、椿を怯えさせているのは、自分自身なのは間違いないのだから。

 

「おやすみ」

 

 そう言って出ようとしていた二十一に…

 

「…聞いて…」

 

「…えっ」

 

 

 

「…くれますか、わたしの…はなしを…」

 

 

 

 泣き笑いの顔を浮かべて、椿がそうつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 


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