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…………
……
「…おーい」
「…ん」
じっと目をつぶって座っていた男が、その呼びかけに目を開ける。
「…すまない、どうも夢を見ていたようだ」
まわりの喧噪を耳にし、男は自嘲気味に唇をあげる。まわりでは既に宴もたけなわ、陽気に歌をうたっている者もいる。
「そうかい。まあ、気持ちもわかるけどな」
そういうと、男の横にどっかと腰を下ろす。
「やるかい?」
手に持った杯をかかげるようにして、男にたずねる。
「いや、いい」
「そうかい」
男の返事は予想通りだったように、気にせずに杯をあける。
「…いよいよか」
はじめて男から声をかけてきた。
「ああ、いよいよだ」
対するほうも、杯に酒を注ぎながら答える。
「砦を、攻め落とす!」
時はRC2年、魔物の支配下におかれた大陸において、レジスタンスと呼ばれた傭兵団が存在した。
その行動内容は、文字通りの抵抗である。支配下におかれた人間による、魔物への敵対行動を示すことである。
そして、その行動目的も、文字通りの抵抗であった。支配をひっくり返すことは不可能でも、ただ抵抗を示す。人間の尊厳を守るための…ただそのためだけの終わりの見えない活動…それこそがレジスタンスであった。
いくつもある傭兵団のなかで、有名なのは…
リーザスの灼熱…元リーザス赤の軍を母体としたその傭兵団は、苛烈な攻撃と鮮やかな撤退で、リーザスでその名をとどろかせている。
パットン軍団…元ヘルマンの廃皇子パットンが率いる傭兵団で、拳(けん)と魔法のそろった軍勢として、ヘルマン中に知られている。
ゼスの氷炎…元ゼスの四将軍のうち二人が率いる傭兵団であり、その対照的な氷と炎により、ゼスの未来にかすかな光をともしている。
そして…
「明日、レジスタンスの目的が、180度切り替わることになる。
そう、抵抗でなく、反逆へと!」
斬魔の牙…文字通り、魔物が支配するこの世界に牙を突きたてんがために作られた傭兵団であり、一騎当千の傭兵達で構成された傭兵団でもある。
そして、その言葉通り、ただ唯一…
…魔を斬ることのできる牙を持っていた。
「その前祝いだ、乾杯と行こうぜ、健太郎」
注いだ杯を男の目の前に差し出す。
「…そうだな、わかったよ、団長」
差し出された杯を取って、健太郎と呼ばれた男が掲げる。
「「乾杯!」」
掲げた杯と酒瓶に、明日の勝利を誓う。
それは、人類にとって、大きな一歩となる、はじめの一歩…
…と、なるはずだった…
……………………
…………
……
「……さ…」
「…さま」
「…ん」
呼びかけに応じて、男が目を開く。
「試合がはじまりますよ」
「…ふっ、そうか、そうだったな」
まわりの喧噪を耳にし、男は自嘲気味に唇をあげる。
「…どうも夢を見ていたようだ」
そのつぶやきをかき消すように、大きな言葉が闘技場全体に響き渡った。
「それでは! ただいまより闘神大会準決勝、第二試合を行います!!」
その言葉とともにわき起こる声援…その喧噪が、男にかつての宴を思い出させたのだろうか。
「あまり興味はありませんかな、エグゼス様」
側に控えていた男が、皮肉げにそう聞いた。
「そういうわけでもないさ。お前の女神さまの強さは、しっかりとわかっているつもりだ」
苦笑ぎみに男…エグゼスが答えた。
「残念ながら、エグゼス様としては、勝ち上がってこられたくないようですがね」
楽しげに男…ユクセルが答えた。
「そうでもない、勇者同士の決戦というのは、まさに黄金のカードと呼ぶにふさわしいからな」
そう言いながら、それでも勝つのは二十一だと信じて疑っていない様子で、エグゼスが答える。
「…どうでしょうかね。彼らの目的は同じであると思っていいんじゃないでしょうか」
ユクセルはゆっくりと言葉を続ける。
「その二人が決勝の舞台に上がって、はてさて、互いを傷つけてまで勝利を願うものでしょうか?」
ユクセルの言葉は、疑問形でありながら、すでに断言をしているようだった。
「できレースになると言いたいのか」
「では、どちらがエグゼス様との戦いにおいて、有利に進められるでしょうか?」
相変わらず、ユクセルの疑問形口調の言葉には、既に答えが用意されているニュアンスがあった。
「いえ、ここで尋ねておくべきは、どちらとエグゼス様が戦いたいか、でしょうね」
「…聞くまでもないことだな」
そう、聞くまでもないことだった。
「わかりました、万事このユクセルにお任せを」
芝居がかったそのユクセルの態度は、主君エグゼスをもバカにしているかのように見えた。
そしてエグゼスも、それに一瞥をくれただけで、闘場へと視線をむける。
戦いは、今始まろうとしていた。
「はじめっ!」
そのシュリの宣言と共に、重戦車がうなりをあげる。その巨体にもかかわらず、その速度は驚くほど速い。
「でも、遅い」
シルフのまわりの空気が瞬間ぶれ、堅牢な結界を形作るにはわずかな時間しか必要としなかった。
「ぬおおおおおぉぉぉーーーー!!!!!!」
ただ力任せに振り回された、そのポールハンマーは…
「…えっ?」
ドカァァァアアアアアアァァーーーーーーーーー!!!!!!
…少女を木の葉のようにはね飛ばした。
…………………
………
「…なっ?」
空間全てに舞い降りた沈黙を破ったのは、それをなした男からもれたとまどいの声だった。
当たるはずがない…振り回しておきながら、その確信のもとになされた攻撃は、あっさりと彼女の守りをうち破っていた。
「し…シィイィィル!!!!!」
「ばかものがっ!!」
貴賓席にも叫びは起こっていた。
「ちゃんと加減くらいしないかっ! シルフィナ様に何かあったらどうするつもりだ!!」
しかし、その叫びは驚きによって起こされたものとは趣がことなっていた。
「あれもお前の仕業か、ユクセル」
確認するように問う主人に対して、問われた方の人間はハラハラとシルフの様子をうかがいながらも答える。
「ええ、研究の成果の一部を分け与えたのですが…おおっ! さすがはシルフィナ様!!」
感嘆の声をあげるユクセルの目に飛び込んできたものは、ふらつきながらも立ち上がるシルフの姿であった。
「…ふっ…えふごふげふっっ!!!!」
ふらふらと立ち上がりながらも、猛烈な勢いで咳き込む。内臓を激しく痛めたのが見て取れるようなおびただしい吐血で右手を赤く染める。
[…なにが?]
治癒の光を全身に浴びせながら、混乱する頭を現状の認識のためにフル回転させる。
「…お、おい、大丈夫なのか?」
やった本人だと言うのに、かなり心配そうな表情でビルダーがシルフに問いかける。
[…どうも本人は理解できていないようだ…となると…]
弱々しく左手を挙げると…
「ファイヤ…くっ、炎の矢!!」
…一陣の矢がビルダーに向かって放たれた。
「ぬっ!」
炎の矢はポールハンマーの一撃で、あっさりとかき消えた。
[…あれ…か…]
かすむ眼差しで先端の鉄球を睨みつける。意識は次の瞬間にも消え落ちそうだった。
そんな彼女の意識をつなぎ止めていたのは、ただ自分の中からうるさいほど聞こえる警告の声…もう意識を手放せ!…と命令する生存本能にも近いものであり、それによって意識をつなぎ止めているというのは、皮肉以外のなにものでもなかった。
「…吸魔石?」
「ええ、文字通り魔力を吸収する石のことです」
エグゼスの問いに、いくらか余裕を取り戻したユクセルが答える。
「古い文献をかき集めて、ようやく精製に成功することができました」
誇るように、ユクセルが言う。この戦いも、彼にとってはそのエキジビションでしかないのかもしれない。
「…しかし、ここで使うとはな」
「おや、ここ以外に使うところがあったとでも?」
エグゼスの皮肉はユクセルにはまったく通じていない様子で、きょとんとした顔で聞き返す。
「お前さんの女神が敗れるというのに、それに…」
…汚されることになるというのに…
「確かに、シルフィナ様の敗北は本意ではございませんが、致し方ないでしょう。それに彼女の魔術が破れたわけではありません。
前の試合でセシル=カラーの行った防御陣の破り方を王道とするなら、今回のこれは邪道もいいところ。
私自身は彼女が敗れたなどとは、考えてもおりませんよ」
「ふっ、そっちのことではない、この後のことよ」
「それこそおかしなこと、私が彼女に求めているのは聖女なのではありませんからね、処女性などというものに、いくらの敬意も払うつもりはありませんよ」
ユクセルの言葉はどこまでも自分本位であった。
「…まあ、それはいい。
とにかく吸魔石の精製が完了したということは…」
エグゼスの声音に、これまでにない楽しい雰囲気がまじる。
「ええ、もはや九分九厘、完成しています」
「…闘神…ユプシロン…」
「…おい、審判さんよ…」
困り顔のビルダーが、ようやく声をあげた。
「…なんでしょうか?」
聞くまでもなくわかっているのだが、とりあえず聞き返すシュリ。
「もう俺の勝ちでいいんじゃないのか?」
彼の言うとおり、勝敗は火を見るよりも明らかだった。
わずか一撃、たったのそれだけで少女は立っているのも不思議なくらいの重傷を負い、それをなした男の方はピンピンとして立っている。
「まだよっ! まだ私は負けてない!! 負けてなんかいない!!!」
ただその叫びをあげただけで、おびただしい量の吐血をしながらも、その目は敗北を認めていなかった。
「…しぃる…」
少年はただ無力さをかみしめるしかない。
「…しょうがない…」
ビルダーは溜息を一つついて、ゆっくりと少女のもとへと足を向ける。
「っ!!」
少女がすさまじい殺気をこめて、ビルダーを見つめる。
…しかし、ただそれしか少女に出来ることがなかっただけ…
ビルダーはポールハンマーを振り上げると…
「あっ!」
…かろうじて体を支えていた少女の両足を足ではらった。
ただそれだけ、ただそれだけで、常勝不敗を誇った大陸最強の魔術師は惨めに地べたに転がることになった。
「…ダウン、カウントを始めます」
シュリは痛ましげな眼差しで少女を見つめたまま、事務的にそう告げた。
「…ワン」
「まだよっ! 立つわよ! こんなの、立ってみせるわよ!!!」
「…ツー」
「ふざけるなっ! ふざけないでよ!!! こんなところで!! 私が!!!」
「…スリー」
「うごけっ このっ!! 動きなさい!!」
弱々しく…そんな力しか込められない両手で、石になったように少女の言うことを聞かない両足を叩く。
「…フォー」
「うごけっうごけっうごけっうごけっ!」
「…ファイブ」
「…うごけ…動いてよ…うごいてよぉ…」
少女の声がかすれる…誰にも…特別な人以外の前で流したことのない涙をポロポロと流しながら…
「…シックス」
しかし、少女の声は無情にもカウントの前にかき消される。
「…………やだ…」
「…セブン」
「いやだよう…こんなの…こんなの、やだよぉ…」
「…しぃる…」
「……エイト」
シュリの言葉もつまる。
戦闘を楽しむことによって、いつの間にか忘れていた何かを感じずには居られなかった。
仕事と割り切っていた…忘れていた女としての同情が否応なく押し寄せてきて、シルフの痛ましい姿を目に入れることを拒んでしまう。
「………ナイン…」
しかしながら、カウントは別だった。彼女の心の揺れはまるでそこには現れない。正確に時を刻み続けて…
「ぜったいに、いやだーーー!!!!!!!!!!!!」
「……………て…ん…」
…刻み終えた…