魔王ホーネット…その名を知らない人間は、ほとんどいないだろう。

 大陸の生きとし生けるものすべての上に君臨する存在…生物のピラミッドの頂点に置かれているもの…それが魔王である。

 人々はその名を、ある者は畏怖を持って、またある者は…非常におかしな話であるが…敬意を持って呼ぶ。

 今現在のかりそめの平和…それを作った者こそ、勇者である山本二十一としても、それを支えているのは間違いなく現在の魔王であるホーネットに他ならないから…と言うのが、魔王ホーネットをあがめる者の談であるが…

 

 …極めておかしな話である。

 

 魔王ホーネット自身には、人間を保護しているなどと言う認識は皆無である。

 彼女が唯一自覚の上で保護しているのは、カラーの一族だけであり、人間などについては、ただ歯牙にもかけていないだけである。

 

 …ただ、彼女が人間の中でも、その存在を気にかけている可能性の高い存在が、この場には二人だけいた。

 

 無論、一人は勇者…山本二十一であり、もう一人が…現在闘場にいる…シルフィナ・ヴァルス・ガンジーであった。

 

 

 

「……魔王…ホーネット様……」

 魔王登場により凍り付いた時間を再び動かしたのは、その場に存在していた魔人…セシル・カラーであった。

「…セシル、あなたの気持ちもわからなくはありませんが、人間に干渉しない…という、私のルールは守りなさい。

 …いいですね」

 聞き分けのない子をあやすように、だが反論は許さぬ雰囲気をもって、ホーネットはそう言った。

「……………」

 了承はできない…だが、反論もできないと言う状況で、セシルはただ沈黙した。

「…ずいぶんと都合のいい場面で登場して、これまたずいぶんと都合のいいことを言ってくれるわね」

 反論を封じられたセシルに代わるように、シルフがそう口を開いた。

「…そうかしら?」

 意外なことを言われたような表情で、ホーネットが聞き返した。

「…それとも何、あなたが彼女を10日以上も見失っており、さらにたまたま見つけたのがこの瞬間だった…と、本気で言うつもりなの」

「くすくす…そう言っても信じてくれないってことかしら?」

「…加えて…」

 からかうようなホーネットの口調を無視して、シルフが言葉を続ける。

「…私たちに対して、明確に敵意をもって襲ってきた…そして、これからもその敵意を持ち続けるであろう相手を、このまま見過ごせと言うのは、あまりにずうずうしい物言いじゃない?」

 さっきまではこのまま引き下がって欲しい…というようなことを言っていたシルフが、ホーネットに対してはそんな風に言った。

「…そうかしら?」

 変なことを聞かれたと言わんかのように、ホーネットはまずそう口にすると…

「…だって、そうしたら余計な軋轢は生まれない…と、そう思うんですけどね…」

 …にこやかに、そう言い放った。

 

 明確な、脅しであった。

 

「…なるほど…ね」

 ホーネットの戦々恐々せざるを得ない発言で、闘技場全体がかたずを飲む中、シルフはただ苦笑し…

「…でも、それを飲むにはいくつか条件があるわね」

 …そして、条件を突きつける…普通の神経の持ち主には、まず不可能なことを行った。

「一応、聞いておきましょうか」

「…まずは、彼女が私たちへの敵意を押さえてくれること。…陣をといた瞬間、殺されてはたまらないから」

「まあ、当然でしょうね。…いいでしょう、他には?」

「他は…そうね。……『貸し』にしておくわ」

 ニコリと笑うと、シルフは軽い口調でそう言った。

「くすくす、なかなか言いますね。…いいでしょう、借りておきますわ」

 一触即発の中、彼女たちはどこまでもにこやかに会話を終えた。

 

「ホーネット様っ!! 私はっ!!!!」

 

 問題の中心でありながら、蚊帳の外に置かれていた感のセシルが、たまらず叫んだ。

「…私は、もう、耐えられないんです…」

 そして、絞り出すように、それだけを口にした。

「…耐えなさい…これは、命令です」

 ホーネットの言は、簡潔で、明瞭だった。

「…そんなっ!!!」

「…人間に干渉しない…それは、私とあなた達との誓約です…」

 …決して違えることは許されぬ制約…

「…そして、前魔王から私に残された制約なのです…」

 …決して裏切ることは許せない誓約…

「…わかって、くれませんか?」

「…でっ、でも、私はっっ!!!」

 

「解陣!!」

 

 魔王と魔人の会話のさなか、シルフが『七芒散邪結界陣』を解いた。

「ああああああぁぁぁ!!!!!! ……私はぁっっっ!!!!」

 自らを縛り付けていた陣がとけ、彼女が最初に行ったのは、…ただ叫び、崩れ落ちるだけだった…

「…では、行きますよ、セシル」

 音もなく舞い降りてきたホーネットは、セシルの肩に手を起き、そう告げた。

「…私は…私は、約束を…約束を、果たせなかった…果たせなかったんです!」

 誰と交わしたというわけでもない、自らに課した約定…それでも、なによりも果たすべき、守るべき約束だった。

「…だから…私は…私は…」

「……セシル…」

「……………」

 居心地が悪そうに、シルフがあいまいな作り笑いを浮かべようとする。

 

 …そしてそんな中、それは響いた…

 

 

【…ありがとう。…もういいよ、セシル…】

 

 

「!!」

「なっ、なにっ!?」

「…あっ…ああああっっ!! …り、りせっ…」

 

 直後、魔王と魔人の姿が眼前から消えていた。ホーネットの転移の魔法が発動した結果である。

「……今のは…一体?」

 自分の理解の範疇を越える出来事の連続に、シルフは思わず知らずつぶやいていた。

(念話…それは間違いない…魔人セシル・カラーにあてたもの…それも間違いない…では、誰が…)

 

「…勝者! シルフィナ・ヴァルス・ガンジー!!」

 

 シルフが気づいたときには、すでに勝利の宣言がシュリによって行われていた。

「シィル!!」

「あっ、…二十一」

 こちらに駆け寄ってくる二十一に対して、一歩踏み出そうとして…見事にふらついた。

「大丈夫か?」

 よろけてきたシルフをしっかりと抱き留めて、二十一がそう聞いた。

「…うん、なんとか…それよりも…」

「??」

 ハテナマークを顔にくっつけた二十一に、確かに言うことが…言うべきはずのことがあるように感じたのだが、それは言葉という形をとることは出来なかった。

「…うん、なんでもない…でも、かなり眠いかも…」

 そう二十一に告げた瞬間、シルフはあっさりと意識を失った。

「おっ、おい!」

「…くーー…」

 ついで聞こえてきた、意外に安らかな寝息にほほえみを浮かべて…

「…やれやれ、おつかれさん…」

 

 

 

「こんばんわー、シュリです!」

「おいっす、切り裂き君や!」

「「闘神ダイジェスト!」」

「本日、本決戦一回戦の4試合が行われた訳なんですが…」

「うん、波乱含みだったなあ」

「前評判では圧倒的優勢と見られていた魔人セシル選手の敗退に、現魔王ホーネットの登場と、今年の闘神大会は話題に事欠きませんね」

「まあ、終わってみれば、伝説の勇者パーティーは、強いということやな」

「となりますと、ちょっと一段飛ばしになってしまいますが、決勝戦は山本二十一選手vsシルフィナ・ヴァルス・ガンジー選手というのが、ほぼ確定的という事でしょうか?」

「その可能性は高いんやけど…今回はその予想がことごとく当てにならないわけやから、なんとも言えんなあ」

「ではでは、次回の山本二十一選手vsアスカ・カドミュウム選手戦、シルフィナ・ヴァルス・ガンジー選手vsビルダー・ガロア選手戦も、見逃せない好カードと言えそうですね」

「やな」

「あ、ではでは…」

 

「「闘神ダイジェストでしたー!!」」

 

 ピッ…

 

 何気なく見ていた、魔法ビジョンのリモコンを弥生は消した。そうすると、病院の待合室はすっかり静寂に包まれることになった。

「…姉上、ずいぶん、時間がかかってますね」

 隣に座っていた、弟の月心がボソリとつぶやいた。

「…そうだね…」

 話しかけられたのか独り言か、判断に苦しむところだったが、弥生も独り言のようにそう答えた。

 

 ガチャ…

 

「二十一さん!」

「お師匠様!」

 病室から疲れた表情で出てきた二十一に、瑞原姉弟が声をかけた。

「ああ、待っててくれたんだ」

 かすかに微笑みを浮かて、そう言う二十一に…

「それで、シルフさんの容態は?」

 弥生は恐る恐るといった雰囲気で、そう尋ねた。

 

「…本来なら、再起不能らしいんだけど…」

 

「「えっ…」」

「…普通だと、そうらしいんだけど、すごい治癒力が働いているらしいんだって」

「ヒーリングですか?」

 自らもそれで救われた月心が、そう聞いた。

「無意識状態で、全身にかけてるようだって話なんだけどね…医者にはお手上げらしいよ」

「お手上げって…間に合うんですか?」

「…わからない…全部シィルの魔力と回復力にかかってるみたいだ。…でも、シィルの魔力の量は尋常じゃないみたいだから。

 …それに、炭化していた両手もすでに直ってるし、外傷はもうほとんどないって話だから」

 だから大丈夫だ…と、自らに言い聞かせるように二十一はつぶやいた。

 

「…それを聞いて安心しました」

 

「えっ?」

 瑞原姉弟のどちらでもないものからの返答に、二十一が思わず声を上げた。

「状況によっては、手をお貸ししようかとも思ったんですけれども…ね」

 コツコツ…とやけに響く靴音をさせながら、その女性…アスカ・カドミュウムがそう言った。

「そうでしたか、良かったら看ていってもらえませんか。はっきり言うと、正直僕にもよくわからないんで…」

「大丈夫ですよ。意識が戻っていないのも、回復に専念しているためですし…さっきはあんなことを言いましたが、実は全然心配していなかったんですよ」

 くすりと笑って、アスカはそう言い直した。

「ぜ、ぜんぜんですか…」

「ええ、彼女の魔力を考慮すれば、当然の帰結でしょう」

 リーザスの魔女と称せられる魔術師は、そうはっきりと断言した。

「そうか………よかった…」

 専門家からの心強い言葉に、二十一は見るからにホッとした顔を浮かべた。

「…ところで、二十一さんに少し用事があるんですけど、お時間をいただいても構いませんか?」

 二十一が安心したのを見計らって、アスカは自らの本題を切り出した。

「? …いいですよ、なんですか?」

「できれば場所を移したいのですが、よろしいですか」

「わかりました。

 …じゃあ、弥生さんも月心も、今日はありがとう。シィルも大丈夫みたいだから」

「わかりました。ではまた……

 ………姉上?」

 二十一の言葉に、月心が頭を下げて応じるも、姉が何の反応も示さないことに不審そうに視線をやる。

「……はい、二十一さんもお気をつけて」

 その月心の視線に答えるかのように、かすかに不満そうにしながらも、弥生も後に続けてそう答えた。

 実際、次の対戦者と内緒話をするということに、弥生は明確に不満だったのだが、それを言うと自分にも返ってきてしまうため、言うに言えなかったのだ。

 後ろ髪を引きたい思いをしながらも、しょうがなく二十一達を見送るのだった。

 

 

 

「…きれいな夕焼けですね…」

 二十一を屋上へと連れ出して、アスカが放った第一声がそれだった。

「そうですね」

 二十一もすぐに本題に入らず、そうアスカに答えた。事実、沈みゆく太陽が染めていくその紅い世界は美しかった。

「今の世界も、この夕焼けと一緒かもしれませんね。

 

 …太陽が沈んで…やがて、動乱の時代に入る」

 

 予言をするかのように、サラリとそう言った。

「…どういう、意味でしょうか…」

 同意することも、サラリと流すことも、二十一にできうる言葉ではなかった。

 太陽が何を意味しているのか…そんなことは、それを討った勇者である二十一にわからないはずがなかった。

 魔王を倒したことによって戦乱が起こると言われては、二十一の立場がないのだから。

「私がこの大会に出た理由は、ご存じかしら?」

 はぐらかすように、アスカがそう聞いた。

「…聞いてはいませんが、予想はできます。

 魔王がいなくなった今、この大会が存在することは許せないからでしょう…女性だったら、やっぱり、その…特に」

「ふふ、優しいんですね」

 まっすぐに育ったものが言った、まっすぐな言葉に、アスカは好感を抱きながら微笑みを浮かべた。

「そのことも理由の一つです。…でも、一番ではないです」

「…この大会を潰すことが目的じゃあない…と」

「それも目的の一つです。でも、本当の目的は…」

 そこで言葉を句切って、にこやかに笑顔を作ると…

 

「…リーザスの魔女の力…それを示すこと、…見せつけることです…

 

 …今、リーザスに手を出したらどうなるのか、それを見せつけるため…それこそが私がこの大会に出場した本当の目的です」

 …笑顔のまま、アスカ…いや、リーザスの魔女が告げた。

「……………」

 その笑顔、その意味に、絶句してしまった二十一に対して、クスリと笑顔を崩して微笑みを浮かべると

「…もっとも、今はそれも第一の目的ではなくなってきました。

 だって、もっと大きな目的ができましたから」

「もっと大きな目的?」

「ええ。…でも、二十一さんには簡単なことですよ」

 どこかいたずらっ子な笑顔をして、二十一を上目遣いで見つめて言った。

「…えっと、それって?」

「簡単なことです。

 

 …リーザス国王になってください」

 

 実に簡単そうに、アスカはそう言ったのだった。

 

 

 

 


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