硝煙、悲鳴、血のにおい…
物心つく頃から慣れ親しんだもの、それは日常そのものであった。
一つの決断、油断がそのまま死へとつながる。
泣くのをやめた瞬間から、私は人間ではなくなったのかもしれない。
少なくとも、感情という…人間特有の制御不能な…行動原理を失ってしまった。
私の行動原理は、第一に生か死か、次に損か得か、そして最後に善か悪か…
…ある出会いをきっかけに、おぼろげに理解することの出来た感情というモノ…
…そんなものの入り込む隙なんて、あるわけがない…
幼少期は、感情というモノを知らなかった。
ただ、もくもくと己のなすべきことをしていた。
…ただ、生きるために…死なないために…
少女期は、感情というモノを知識として知っていた。
そしておおげさなくらいに、感情をあらわにしていた。天才特有に持っているであろうおごりを、周囲にあからさまに示した。
そのために生じるマイナス面も確かにあったが、そうやって隙を見せることにより得られるプラス面を考慮するなら、トータル的にはプラスだっただろう。
…ただ、自分に、そして両親に、得になる方を選択しただけだった…
そしてあのときも…
…ああすることが正義であると考えたから…もちろん、損得勘定も当然動いていた。なぜなら依然として、私にとっては善悪よりも上位判断基準だったから。
…感情…そんなものの入り込む隙なんて…
…絶対にあるわけがないはずなんだから…
…そして…
…突如として感じる落下感……直後、感じる地面の固さ…
(…ああ、ふっとばされたんだっけ?)
ぼんやりと、そんなことを考える。
「………わぁぁあぁぁん…」
なんとなくぼやけている意識のカーテン越しに、カウントが開始されたことを理解する。
(……なんでわたし…こんなところにいるんだろう?)
再起動するために、自己診断を意識内で行う。
(………戦闘中…闘神大会の準々決勝…相手は……魔人…)
…この戦いに善悪は?
(…そんなものない、ただのショービジネスだ…)
…じゃあ、なんでそんな大会に?
(…そんな大会をつぶすため…これは正義だ…そう思う…)
…第3判断基準…クリアー…
…じゃあ、この試合は絶対に勝たなくてはダメか?
(…そうでもない、魔人相手に負けても、私への悪評が立つわけでもなし…)
…では、勝った方がいいのか?
(…勝てるのなら、そうしたほうがいい……でも、デメリットを考えると、無理をする必要は認められないかな…)
…第2判断基準…保留…
…ずばり、勝算は?
(…かなり低い…正直、もう潮時だと思う…)
…生命への影響は?
(…ここで負けたなら、生命への影響はほぼないだろう、完治だって私の魔法があればすぐだろう…)
…このまま続けたら?
(…かなりやばい…そのまま死ぬ可能性も大いに認められる…)
…第1判断基準…決定…
「……死んじゃあ、意味ないもんね」
「……セブン」
私の漏らしたつぶやきと、シュリさんのカウントが重なる。
「…あーあー、負けちゃうのか…」
苦笑しながらそうつぶやき、ゆっくりと視線を場外へと移す。
…すると、心配そうにこちらを見つめている二十一と視線が合う。
「……心配しなくても、死んでなんかないわよ…」
聞こえるとは思えないけど、微笑みながらそうつぶやいた。
…そしたら、まるで聞こえたみたいに、二十一もうなずいた。
(…うん、そうだよね、その方が絶対いいよ…うん)
そして…
「…立ちました!! シルフ選手、カウント9で立ち上がりました!!」
(……あれ?)
「…そう、そのまま寝ていたら良かったのに…お望みとあらばしょうがないわね」
(………私、立っちゃったの? なんで??)
わからない、よくわからない、自分のことがよくわからない。
「シィル!!!」
二十一の声に意識が引き戻されたと思ったら、眼前には白色破壊光線のまっしろな光があった。
「こなくそー!!!」
とっさに右手ではたき落とす。
無意識のうちに魔力を込めていたようで、肘から先がなくなるなんていう事態にこそならなかったものの…
(…あーあー、右手死んじゃったなあ…)
頭の中で、自分の冷静な声が響く。自分の声のはずなのに、すごくバカにされたように感じられた。
(…実際バカじゃん…)
「うるさい!!!」
思わず声が出る。再び眼前に迫っている光を…
「白色破壊光線!!!」
…迎撃する。そして、その光の向こうで銀色の髪がひらめくのをとらえて…
「…くっ!」
…転移をする。…だけど、バレバレだったらしく…
「…こんにゃろー!!!!」
再び右…手?ではたき落とす。治療する間も惜しんで、すぐさま転移を行う。
(…いたいだけじゃん、ばかばかしい…)
「うっさい!!!!」
(…こんなマネまでして、勝ちにこだわってどうするわけ?)
「うるさい!!!!!」
(…負けたって良いじゃん、どうせ二十一に任せておけば、なんとかなるわよ…)
「うるさぁぁーーーーい!!!!!!」
(……ねえ…)
「…なによ」
(………なんで、こんなバカなマネするわけ?)
「……わっかんないわよ…だって…」
(…だって?)
「…負けたくないだけだもん」
……………
……
「…はー、はー、はー…」
ぼろぼろになり、肩で息をしている私の前にいるのは、銀髪にほこりさえかぶっていないカラーの魔人だった。
「…はー、はー、はー…」
両足だけでは立っていることすら難しく、魔力までつかってようやく立っているだけだった。
「…わからないわね、どうしてそこまでするのかが…」
銀髪の魔人…セシル・カラーが口を開いた。
「…正直、私にもわからないわ。なんでこんなバカなマネまでしているのか」
私は微笑すら浮かべて、そう答えた。
「…なるほど。出来るかどうかは別にしても、そこまでしてでも私に勝ちたい理由があるわけね」
銀髪の魔人は、どこか優しげに…いや、うらやましげにそう言って、視線を場外へと向けた。
「…彼のため…かしら?」
場外でハラハラとした感じでこちらを見つめている二十一を見つめて、彼女は言った。
「…………さあって、どうなのかな」
私も、場外の二十一に視線を向け、思わず知らずほほえむ。…理由なんてわからない、ただ浮かんできたんだ。
「………ううん、違うわね。やっぱり単に自分のためよ…
……あなたと、同じように…ね」
「……そう…か。…………そう、ね。…お互いの意地って所かしら」
微笑んでそう言ったあと、彼女は笑みを消して…
「…でも、もうどうしようもなさそうだけど…」
確かに、私の両手はこれまでの攻防…いや防御でぼろぼろ、あと一撃はじけれればいい方だろう。
「…私はすすむわ。ただ、私の意地にかけて!」
「…私もよ。私の意地をかけて、あなたを止めてみせる!」
彼女が最大の必殺技…白色破壊光線のかまえに入ったのを見て、私も最後の呪を唱える。
「…我…天を志す者なり…」
ゆっくりと呪を紡ぎながら、イメージを構成していく。
「…我…地に根付く者なり…」
「白色破壊光線!!!」
眼前に繰り出された強烈な魔力の光を、両腕で迎撃する。
「我!! 魔を封じる者なり!!!!」
肉と血の焼ける強烈なにおいを我慢して、ねらい通りのラストポイントへはじき落とす。
「結陣!! 七芒散邪結界陣(しちぼうさんじゃけっかいじん)!!」
「なっ!?」
驚いている彼女を中心に、私が彼女の魔力を用いてこしらえた七つのくさびが、七色の光を放つ。
そしてそれぞれのくさびから、上空からみて時計回りに三つ隣のくさびへと光の線を結ぶ。
「こっ、これはっ!?」
「…天志教、秘奥の結界陣…『七芒散邪結界陣』よ」
へたり込む体をかろうじて支えて、私は口を開いた。
「私は切り札(ジョーカー)一枚だけで、賭に出るほどギャンブラーじゃないからね。
魔人との戦いに挑む前に、JAPANの魔人信長を封じたと聞く天志教について調べたわ」
「…なるほど…ね。切り札をもう一枚隠し持っていたというわけか」
とらわれとなった魔人…セシル・カラーは、特にあわてるでもなく、そうつぶやいた。
「…まあ、そういうことだけどね…」
(…切り札は隠し持って置いてこそ、意味がある…それをこんなところで使っちゃうなんてね…ホント、バカなことしちゃったなあ)
でも、そんなバカなことをした自分が、なんだかキライじゃなかった。
「天志教の結界陣も、基本的にはゼスの魔法と構造は一緒だったから、そんなに戸惑わなかったわ。
まずオーソドックスな五芒星を描く結界陣…曰く、『破邪の陣』は、己が魔力を込めた五つのくさびを用いて、己が魔力の増幅をなし、対象…邪を討つための結界陣。
そして、これも有名な六芒星を描く結界陣…曰く、『封邪の陣』は、己が魔力を込めた六つのくさびを用いて、敵の魔力の減退を促し、対象…邪を封じるための結界陣。
…ただ、魔人信長を八つに分けたとされる、怪僧…月餅がもちいた術については、秘中の秘とされていてなかなか手間がかかったけどね」
「…それが、これなわけね」
「そう、あまりお目にかかったことのない七芒星を描く結界陣…曰く、『散邪の陣』は、己と敵の魔力を込めた七つのくさびを用いて、敵の魔力の分散をなし、対象…邪の力を散じるための結界陣。
これにとらわれたなら、七つのくさびに力をうばわれ…結果、力を八つに分けられてしまうことになるわ」
「…中から破るのは…どうも無理みたいね」
確認するように、彼女が聞いた。
「くさびをなしているものは、あなたの魔力もこもっているからね」
私は一つ大きく息を吐いてから、言った。
「…チェック、メイトよ」
「……そうね、そうみたいね」
ここに至っても、彼女は至極冷静にそう答えた。
何か逆転の秘策を持っている…とそう言う風でもない、ただ諦観している…そんな感じだ。
「…負けを認めてくれるかな。そうすれば、この陣も解くわよ」
思わず口に出たのは、そんな言葉だった。
(…とことん、バカね)
私の中のもう一人の私が、冷静に告げた。
確かにバカな提案である。これほど強力な魔人をみすみす見逃してどうするつもりなのか?
今度やって、勝てる保証なんてどこにもない…いや、この切り札を見せた以上、勝ち目はゼロに等しい。
「…どうかしら、悪い提案ではない、と思うけど」
こちらとしては、とことん悪く…愚かな提案だけど、それでいいやという気持ちがあった。
「…………くすっ」
私のその提案に、彼女はどこか優しげに微笑を浮かべ…
「…かまわないわ、やりなさい」
「えっ…」
「やりなさい。…死にたくなければね」
静かに、そして微笑んでそう言った。
「…なっ…」
「…私は、もう自分では止まれないのよ。
…行き着くところまで行き着くか、誰かに無理矢理にでも止められない限りね」
「…そん…な…」
「…これしかないのよ、何をするのにも遅れてしまった者にはね」
「…どうして…」
理解できない。私の行動原理のすべてから外れている。…感情ですら、理解できない!
「…理解できなくてもいいし、その必要すらないわ。私が決めた、私の生き方よ。
後悔しない…なんて、大層なことを言うつもりはないし、後悔なんて、腐るほどしたわ」
「…なにを…言ってるのよ…」
「…遺言…よ。
…もしかしたら…
…ひょっとしたら…
…ただシンプルに…
…もう後悔するのが、いやになっただけなのかもしれないわね」
彼女はそう言って、殉教者のように微笑んだ。
…だが、それは何かの教えに殉じているわけでもなければ、死後の世界に安らぎを求めているわけでもない…
…衝撃だった…ただ、衝撃だった…
…ここまで人は…
…生に…
…絶望することが出来るのだ…
「……し、…しち芒散邪…結界陣…」
私の詠唱とともに、七芒星の輝きが増していく。
後は、発陣すれば、すべてが…終わる…
「発っ!」
振りかぶった手を、振り下ろせば…
「じっ…」
「……そこまでで、やめてくださいませんか…」
それは、ただ静かに…だけど、その場のすべての者の意識に浸透するように、響いた。
「なっ…」
直後に、圧倒的な存在感が襲いかかる。
「…あっ、あっ…」
闘場の上空、数メートルの所に浮いていた存在は…
「…まっ、魔王…」
大陸最強にして、見るものすべてに畏怖を感じさせずにはおられない存在…
「魔王…ホーネット…」
漆黒のローブを緩やかになびかせ、彼女はかすかに微笑みを浮かべたのであった。