そば用語辞典   < Mobile 辞典へ   < PC 辞典へ

やぶ忠
 
昭和初期の蕎麦といえば機械打ちが多くなった中で、そば打ちの「名人やぶ忠」といわれた東京滝川中里(北区滝野川町中里)にあった手打ちそば屋「日月庵やぶ忠」の主人・村瀬忠太郎のこと。昭和4年(1929)には佐藤春夫や豊島与志雄、高岸拓川など文人・食通が集まって変わりそばの集いの会合を催し「名人やぶ忠」と称されるようになった。昭和13年に80歳で他界するが、この間、そば打ちの指導に貢献した片倉康雄(足利 一茶庵)、高井吉蔵(山形 萬盛庵)はやぶ忠で修行したという。村瀬忠太郎の口述をもとに高岸拓川によって「蕎麦通」が昭和5年に発行されている。*「村瀬忠太郎」「名人やぶ忠」の項参照
 
[PC掲載ページ]   

[Mobileのページ]