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寛永通宝と蕎麦の値段
二八そばが現れた頃のそばやうどんの値段は六〜八文。その頃の通貨は寛永通宝の1文銭だけで6枚とか8枚で支払っていた。その後、明和5年(1768)に4文銭が登場する。このあたりを観察すると面白いことに気付く。4文銭が登場したあたりからのそばの値段は12文に始まって申し合せたように16文がベースになっている。1文銭を十数枚かぞえて払うよりも、4文銭を三枚とか四枚、または4文銭に1文銭を交えた少ない枚数で払われることの方が多くなっていったのだろう。守貞漫稿の上方と江戸の品書きに目をやると、基本形の16文の他に、具を乗せた種物(加薬)では、あられ・しっぽく・花まきなどは24文、天ぷら・玉子とじなど32文、(鴨や親子)南蛮・小田巻は36文、上酒(一合)40文、御前大蒸籠48文、など4の倍数が多くなっている。
 
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