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新聞やTVで見つけた「死」や「お墓」に関する話題をご紹介します。




 インカの遺跡で、2000体以上のミイラ発掘 (2002年4月18日付け 日経新聞より)  
 墓石の7〜8割は中国産 (2002年5月13日付け アエラより)  
 鯨の法要行事、山口県下関で (2002年5月12日付け 日経新聞より)  
 ローマ法王、祖国で両親の墓参 (2002年8月19日付け 日経新聞より)  


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 インカの遺跡で、2000体以上のミイラ発掘  
 (2002年4月18日 日経新聞より)  
 
 ペルー・リマのプルチェンコ地区で、インカ帝国時代の集団墓地を発掘していた考古学者グループが、2000体以上のミイラを発掘。一度に発掘されたものでは過去最大。墓地にはあらゆる階級の総計1万体以上のミイラが埋葬されているとみられている。

 絶望か希望か

 インカ帝国は、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチンにまたがり、南アメリカ大陸の太平洋岸、4000キロにもわたり、インカ族が支配した一大帝国。1400年代からスペインが征服するまでのわずか100年ほどで滅びた。今回発掘されたミイラは、家族単位で布にくるまれ、繭のような形で見つかったという。埋葬されたのは、滅亡直後らしい。

 すでにご存知の通り、私は歴史に疎い(笑)。日本史はおろか、世界史も実に心もとないので、ましてや、「インカ帝国」といわれても、アンデス山中に遺跡が残ってるのか、という程度の知識しかない。まあ考えてみれば、「詳しい」といえる分野もないのだけど・・・。

 そんな私でも「ミイラ」はやはり興味深い。古代人が編み出した「死」のかたち。何故、ミイラという形で死者を送ったのか。古代人の死生観を知ることは、現代人にも何かしらのヒントを与えてくれるだろうと思う。

 『ナショナル・ジオグラフィック』1999年11月号には、標高6700メートルのアンデス高峰で発見された、子どもたちのミイラが特集されている。500年前だけに、写真に写っているミイラは皮膚も髪の毛生々しく残っていて、まるで眠っているようにも見えるほど、保存状態が際立っていた。子どもたちは、神への捧げものとして一族から選ばれ、生贄にされたのだという。永遠に厳しい自然環境の中で、人々は生きるために幼い命を犠牲にしたのだ。しかし、大人よりも子どもは純粋な存在として考えられていたから、捧げられた子どもは神の祝福を受け神と共に永遠に生きるとされた。命を捧げて永遠に生きる。何だか、イスラム原理主義の自爆テロのような感覚にも思える。現代人の感覚では野蛮と映る行為だ。そもそも、スペイン人だって、神を信じながら、領土拡大を目指して、インカの人々を滅ぼしたのだし、アメリカ人だって、原住民たちを追いやって、今があるのだ。どんな蛮行も時代や宗教観によっては、大真面目になるから、人間というのは一筋縄ではいかない。

 今回発掘されたミイラたちに「生贄」としての役割があったのかどうか、私には分からない。家族単位になっていることを考えると、スペインに攻められ、行き場を失った人々が来世に希望を託し、ありったけの副葬品を身に付けて、命を絶っていったとも想像できる。それにしても、総計1万体ものミイラを、誰が作ったのか。家族ごとに死を迎え、残された者が遺体をミイラにし、その人たちもやがてこときれて、またミイラになっていった、そしてついに誰もいなくなった、とでもいうのだろうか。自分自身をミイラにはできないのだから、最後の人はどこへ行ったのか。何だか「地下鉄はどこから入るんでしょうね」の世界のようだ。


 
 墓石の7〜8割は中国産
 (2002年5月13日付け アエラより)  

 
 デフレが進む墓石業界では、数年前から安価な中国製石材を採用。現地下請け工場で全国各地方の伝統的な墓型を製造し、「○○家之墓」など文字彫り加工まで行っている会社もある。今では墓石の70〜80%は中国産といわれている。
 
 墓石も今を映す鏡

 ユニクロの例を持ち出すまでもなく、日本人が消費するモノの中国依存度は、年々強烈になっている。アエラによると、ベビーカーは90%、柿の種は100%、緑茶ドリンクは80%、ウナギは70%、めがねフレームは30〜60%、畳表は60%、仏壇は50%(国産でも手間のかかる彫刻は中国製)。ことほど左様に、私たちの生活はもはや中国を抜きには語れなくなっているのだ。そういえば最近、1kg100円の自然塩を見つけて思わず買ってしまった。これが中国産なのだ。原産国に「中華人民共和国」とあり、「そうか、中国の正式な国名は中華人民共和国なんだ」と、妙に感心したのだった。

 墓石に関しては、リニューアル前のJournalでもご紹介したことがあるけれど、いまや、日本有数の墓石産地にある墓石販売会社が中国に工場をつくり、現地中国人を雇い、研修で技術を伝授する時代だ。何しろ中国人の人件費は日本の1/10。販売価格を半額にしても十分ペイできそうだ。しかし、墓石の価格はいったいどのように決まるのだろうか。

 そもそも墓石業界には謎が多いようだ。ニュースソースはやや古いけれど、1999年9月号の月刊誌『現代』で小野一光というルポライターが「なぜ墓を買うのがかくも難しいのか」という記事を掲載している。何とも生々しい墓石業界の内幕が書かれていて、面白かった。

 ある日、自分のお墓購入を思いつき、調べ始めた小野氏。墓地・墓石合わせて200万円の予算を立て、墓関係の本を読んだが、そこで墓地・墓石購入価格の目安が本ごとに違うことに気づく。最初に訪れた都内の石材店で話を聞いたのだが、自社開発している墓地のセールストークが続く一方、肝心の価格には触れない女性の営業担当に業を煮やし、「あの、お値段は」と切り出すも、パンフレットには墓石の価格は一切表示されていなかった。
  

「どの石を使うかによって違いますし、形によっても違いますが・・・」
「では、最も安いものを・・・」とボク。
 彼女は席を立ち、表を持ってきた。
「墓石は中国産の白御影で和型八寸角のものだと98万円。外柵も同じく中国産の白御影のもので120万円ですね」

 (中略)
 その後の雑談で彼女は「本来はお客さまにいうべきことじゃないですけど」と前置きして、石材店と霊園の関係について説明してくれた。
「石材店が墓地を売ることでの儲けはゼロなんですよ。墓地を買っていただいたお客さまに、その墓地用の墓石などを売って初めて儲けが出るシステムなんです。そのうえ売り上げの何パーセントかは霊園開発の際に名義を提供していただいた宗教法人にバックマージンとして支払う契約になっています」
                                           (後略)

               『月刊現代』1999年9月号 「なぜ墓を買うのがかくも難しいのか」より

 今ほどデフレが厳しくなかった99年でさえ、中国製は一番安い墓石として販売されていたようだ。それにしても、墓地と墓石の販売システムには、一般消費者には分かりにくいからくりがあるらしい。森謙二著『墓と葬送の現在』でも、こんなくだりがある。
 

 墓石業者は、戦後、大量の墓石を販売してきた。高度成長のなかで、新たに設けられた霊園においても大量の墓石を販売し、その営業成績を維持してきた。時として、墓石の販売のために、墓地をつくる業者も現れてきた。墓石販売のために設けられた墓地は、公園のような死者と生者が憩う静寂な空間というより、次第に石とコンクリートで覆われた無味乾燥な空間へと変貌していく。

                                 森謙二著『墓と葬送の現在』 より

  そもそも、「○○家之墓」というお墓のタイプは、近代父家長制度の中で発展してきた形式。人々は仕事を求めて地方から都心へ。住まいも借家ではなく土地付き一戸建ての持ち家へ。親は子どもたちをよりいい学校、いい会社に入ることを望み、子どもたち、とりわけ長男(とその妻)は親の老後を看取り、より立派なお墓を建てることが親孝行の象徴になった。

 ところが80年代のニューファミリー時代、女性の社会進出が当たり前になってきた90年代を経て、この方程式が崩れ始めてくる。田舎にあった先祖代々のお墓は無縁墓化し、皮肉にもバブル景気の中で、土地が高騰、お墓参りしやすい都心のお墓の高根の花になった。高齢化、晩婚化、少子化。超低金利。そしてリストラ。モノごとの価値観が根底から揺らぎ、不安感だけが増幅する現代にあって、従来の価値観にいまだ縛られている人(=男性)は、「お墓はほしい、でもお金はない」という現実に直面している。一方、女性(=妻)は家制度のお墓を拒否し、「自分のためのお墓」を摸索している。そして、『自由葬』に紹介されているような、さまざまな葬送の形が社会に受け入れられつつある今、値段が高いだけの墓石は売れなくなった。そこで、墓石業界も、他の業界に追随するように生き残りをかけて、中国産へとシフトしていったのだ。

 地元の山から切り出された石ばかりではない。中国には世界各地の原石が集まってくる。今人気の欧風墓すら、北欧産の石が中国人の技術者によって加工されているそうだ。日本産の石も「加工はコストの安い中国で」というケースは珍しくないという。お墓のことも、こういう市場経済の実態を知った上で考えなくてはいけない時代なのだ。

 うーむ。ネギやしいたけを輸入するように、日本が墓石すら中国に頼っているのかと思うと、何だか心中複雑だ。そういえば、ほんの25年前ぐらいには、向田邦子が頑固な墓石職人を主人公にしたホームドラマを書いていた。技術も伝統もひょっとして文化さえ受け継がないまま、コスト至上主義だけがはびこっていく。
 



 鯨の法要行事、山口県下関で
 (2002年5月12日付け 日経新聞より)  

 
 山口県下関市で開催された「第54回国際捕鯨委員会」(4月25日〜5月24日)に出席した海外の科学者たちが、捕鯨で栄えた長門市通地区にある向岸寺で年1回営まれている法要行事「鯨回向」を体験。鯨の胎児がまつられている「鯨墓」も訪れた。
 
 鯨の魂に触れて


 今では反捕鯨を掲げる欧米諸国も含め、1950年代には競うように横行した鯨の乱獲。その批判と反省から、鯨の商業捕鯨が停止されたという経緯がある。かつては捕鯨大国を誇った日本も、今では調査を目的とした地域および期間限定の捕鯨のみが許されている。IWC(国際捕鯨委員会)に加盟している国は現在43ヵ国。現在確認される79種の鯨類のうち、小型(イルカ類も含む)の鯨類を除く13種がIWCの管理・管轄の対象となっている。

 関西に住む私にとって、鯨といえば、和歌山県太地町。思えば、小学生の頃は、「くじら肉のしょうが煮」がよく給食に出た。独特の臭みがあり、肉も固かったけれど、甘辛い味付けがおいしくて、お気に入りのメニューだったことを覚えている。我が家の夕食にも酢味噌で食べる「おばけ」(そう呼んでいたと思う)やおでんダネ(名前は忘れた)として、よく食卓に上っていた。あの頃はまだ、日本人に鯨肉はお手軽な栄養源だったのだ。ただし、それは1970年代頃までの話。今、鯨肉は非常に高価な食材になっている。大阪ではてっちりとともに「くじらのはりはり鍋」が有名だ。

 80年代に入ると、アメリカを中心に反捕鯨運動が盛り上がり、動物愛護や生態系保護の観点からも「鯨を食べるなんて」と日本はたちまち槍玉に上がった。というわけで、ここ10年間は一切の商業捕鯨ができなくなっている。総会期間中の今、捕鯨再開派と再開反対派の意見が紛糾するIWCのニュースが流れたけれど、ここにはどうも、政治的かつ利権をめぐる複雑な背景があるらしい。反捕鯨とベトナム戦争の関係とか。これについては、ここでちょっとお勉強。

 IWC総会という存在や、それが54回を迎えるほど継続されていることも興味を引いたのだけれど、やはり一番驚いたのは、捕鯨を営む漁港の周辺地域には鯨を供養するお墓があり、お寺でも法要行事が行われているということだった。たとえば裁縫で折れた針をお供えする針供養とか、古い人形を納める人形供養など、昔から日本人は「あらゆるモノには魂が宿る」という考えから、さまざまな「供養」が行われてきたわけで、今更驚くに値しないのかもしれないけれど、鯨で生計を立てている漁師たちが、しとめた鯨から出てきた胎児の鯨にあわれを覚え、供養を施していたのかと思うと、捕鯨に生きる人々の心が、あらためて浮き彫りになって面白い。「鯨回向」を行う向岸寺には、鯨の位はいまであるというのだから、大真面目だ。もちろん、殺生した鯨の怨念を払い、海での安全を願う気持ちもあったはず。自然界への畏れというか、生きていくためには、まさに必死だったのだろう。今回、海外の科学者をその法要に招待したのには、「日本人はただ無節操に鯨を捕っているのではない、“鯨のいのちをいただく”という畏敬の念をもってやっているのだ」という思いを訴える狙いがあり、体験した科学者たちにも、その思いは通じたようだ。ただし、強行に反捕鯨を掲げるアメリカ・イギリスは「呼んでも来ないだろう」と最初から招待すらしなかったそうだから、ここにもなかなか“怨念”がこもっている。本来はそういう人に理解してもらうべきなんだろうに・・・。

 一方で問題はもっと深刻のようだ。シロナガスクジラのように絶滅が心配される大型鯨がいる中で、シロナガスの1/10ほどの大きさのミンククジラは、逆に急増しているという。ミンククジラは性成熟年齢も低下し、ますます繁殖力を強めている。その結果、漁業資源を食い荒らす恐れもあるとか。そういえば、最近、小型の鯨が大挙して日本の海岸に打ち上げられる現象が相次いだ。鯨の集団自殺か、という意見もあったようだが、専門家にもなかなか解明できないでいる。海の中で何が起こっているのか。鯨たちの謎めいた警告。人間たちも、政治的・経済的利害を超え、協議のテーブルにつくべきだろうが、それはそれでいびつな世界が広がっている。



 ローマ法王、祖国で両親の墓参 (2002年8月19日付け 日経新聞より)  

 
 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、祖国ポーランドを訪問。4日間の滞在中、最終日の夕方、クラクフ市内にあるラコヴィチェ墓地にある両親のお墓を参拝した。その夜、宿舎の窓から数千人の信者に「今晩がこの窓からお会いする最後となる」と呼びかけると、「最後ではない!」という声が上がった。
 
 旅の終わりに

 
カトリック信者でもない私は、聖書すらまともに読んだことがないくせに、それでもいつも、キリスト教には縁があった。敬愛する作家たちが信仰していたこともあるだろう。好きなフランスもカトリック文化に彩られている。そして、亡き友林檎が眠っているのも、とある教会。好きなアーティスト・沢知恵に至っては、両親が牧師だった。彼女はプロテスタントで、カトリックとプロテスタントがどう違うかさえ、いまだによく分かっていない私ではあるけれど、この夏が終れば、一度きちんと学んでみたいと思っている。

 さて、ヨハネ・パウロ二世といえば、全世界のカトリック教会を束ねるバチカンの最高権威者である。1920年5月生まれというから、ただいま82歳。近頃は80歳を過ぎても元気な老人が多いけれど、ここ数年パーキンソン病を患い、立っているのもやっという姿はやや痛々しい。法王を引退する日も近いのではと囁かるのもむべなるかな、と思われる。水面下では次期法王の座争いも行われているようだけど、法王は原則的に終身在職なのだ。1978年、前法王のヨハネ・パウロ一世がわずか1カ月と2日後になくなり、ポーランド人のヨハネ・パウロ二世は456年ぶりにイタリア人以外から選ばれた法王となった。ポーランドといえば、ナチス・ドイツによるホロコーストの歴史を抱えた国。現在にいたる世界の混沌も、ユダヤ人とパレスチナの確執と深く結びついているだけに、ポーランド人であるがゆえに、彼は宗教界の単なる権力者を越えて、まさに世界平和を希求する象徴そのものであり続けているかのようだ。

 今回のポーランド訪問では、いよいよ引退を表明するのではと言われつつ、確か出発前にはそれを否定するコメントを発表したヨハネ・パウロ二世だが、両親のお墓参りがニュースになって、私はちょっと驚いた。作家でありカトリック教徒でもあった遠藤周作が編集に携わった『キリスト教ハンドブック』(三省堂)によれば、「お墓は記念碑と考えてよい」そうだ。

 
 キリスト教では、私語、死者のために何かをしなければ信仰上、何か欠けが生じるのではないか(たとえば成仏しない)という考え方はない。それは、すでに神の御手にゆだねたことであり、生前から「国籍を天にもっている」との信仰であるからだ。 
                                  『キリスト教ハンドブック』(三省堂)より
 
 死者を埋葬するお墓とて、宗教的にはそれほど重要ではないという意味に受け取ったけれど、間違っていないだろうか。そもそも仏教でも、お墓をつくれという教えはなかったらしい。それでも、人々がこれほどお墓にこだわり、お盆になれば墓参を絶やさないのは、やはりなぜか、お墓に記念碑以上の意味を感じてしまうからではないだろうか。まさに死者と生者を結びつけるアクセスポイント。カトリックのトップに君臨する法王が、ふるさとで両親のお墓参りをするという話題にも、そういうニュアンスが感じ取れた。

 ヨハネ・パウロ二世は、8歳のときに母を亡くし、20歳で父も亡くなった。法王は妻子を持てない。生物学的には遺伝子を次代に残せないわけで、信仰に身も心も捧げ、世界中の信者の尊敬を一心に集めている法王といえども、まして82歳になり、自らの来し方を振り返るこの時期、病身をおしてふるさとを訪ねた旅の終わりに、生を与えてくれた両親という無二の存在への愛を表すには、お墓参りは自然の行為といえるだろう。むしろ、「やっぱ、それしかないよなあ」と思うのだ。

 いかんせん日本では、お墓や墓地にどうしても辛気臭いおどろおどろしいイメージがついてまわるけれど、私がパリの墓地で感じたのは穏やかな静けさだった。それというのも、やはり記念碑という考え方があるからなのかもしれない。少なくとも、死を絶望や悲しみとしてとらえるのではなく、肉体は滅びても神様に祝福されて天国に迎えられたという思い、再会の希望が託された場所といえるのだろう。

 舌足らずで中途半端な話になったけれど、私にとっては久しぶりにお墓を考える機会だったので、ちょっと書いてみた。


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