2:自治都市ファルナ
「それにしても海ってのは静かなもんだねえ。これで船酔いでげえげえやる奴がいなかったらな」
「悪かったな」
「私たちの国じゃ小さなボートくらいのしかないのよ」
ここしばらくの間にげっそりとなってしまったファナとギルバートが言う。もっとも最近はそのことにも慣れてしまって、随分ましにはなってきているのだが、ギルバートは相変わらずまずい薬のおかげで衰弱している。
「ヴォルスト、この辺りには昔はよく海賊が出ると聞いていたんだが今もそうなのか」
「まあファルナは海運都市として発達してきたから多いのは確かだが最近はなりを潜めているな」
「あんたがやったのかい」
「まさか、だが・・・・少しは関わったな。北帝国ができてファルナを占領するとき、いくら自治領にすると決めていても常に本国との連絡はしておく必要があったから海賊の取り締まりを行ったんだ。エラードが占領していたときは上納金だけ納めてれば特に取り締まりはなかったから。海賊にとって格好のアジトだったからな」
「本当に海賊を倒したのか」
「まさか。奴等を全て敵に回せば間違いなく負けるよ。だからファルナでの通商権を認める代わりに帝国の領海における海賊行為を禁止したんだ。そして奴等との通商権についての交渉をまかされたのが私だったってわけさ」
「よく海賊が納得できるような案を出したな」
「それはギブアンドテイクの精神でな、租税の軽減を条件に有事の際は帝国に協力するということで手を打った」
「だが奴等が真に恐れたのはおそらくここら辺り一帯のあなたの力ですよ」
不意にこの船の船長が現れる。いかにも海の男といった感じのする男だ。
「おや、船長聞いていたのか。そういえば最近の奴等の様子はどうなんだ」
「最近は新手の海賊が出るようになって奴等も必死になって追いかけてますよ。何せファルナは奴等の楽園のようなところですからな」
「楽園?」
「そうさ、ファルナの闇市場の規模はトップクラスだ。最近はエラードでも闇商人の活動が活発らしいが」
「おまえ達はそれを取り締まらないのか」
「一応人身売買と強力な麻薬は禁止している。だが明確な境界線がないからな。もっとも奴らは自分のテリトリーで事件を起こすのをひどく恐れているからな、表だった大きなことは起こらない。そんなことになったら徹底的に捜査する仕組みになっているし、私が動き出すのを恐れてもいるわけだ。まあ複雑な世界ってことさ。ん、船長あれはひょっとして噂の船じゃないのか」
「どれ、・・・確かにこのルートの航路を開拓しているのは我々だけのはずですからな。どうします」
「いい機会だ。奴等を倒せるだけの戦力があるかな?」
「・・・・敵の船次第ですな。中型船相手ならば負けはしますまい。かりに大型船でもこの船の速度にはついてこれませんよ」
「じゃあ旗を適当な別の奴に変えろ。それから穂を小さくしてゆっくりと前進だ」
ほどなくしてフォルケルには全く見えなかった船が少しずつ見えてきた。
「ヴォルスト、戦闘になるのか」
「そうかもな。船酔いの奴等を船室に押し込めておけ。足手まといになる。あとフォル、お前の鎧もここじゃ邪魔だ、おいておけ。あと剣も使用禁止だ。お前が振り回したら船が壊れる」
そう言うとフォルケルは船長と共に各場所のチェックを始める。
「ヴォルスト、大変だ。もう一つ船が来たって」
「進路を遮るように存在しています」
「あれは・・・・手旗信号だ。ファルナの私掠船だ。協力してくれる」
こちらの信号を読みとると相手も返してくる。どうやら例の新手の海賊を捜していた船らしい。こちらがヴォルストの所属の船だとわかると共同戦線に同意してくれる。
その案がまとまった頃には敵の船がもうすぐそこまで迫ってきている。こちらの水兵はもう全員武器を構えて準備している。船が接岸するとまずは敵が飛び乗ってくる。相手の船はこちらよりすこしおおきいくらいだから中型船に位置されるのだろう。そのとたんにこちらの兵が矢を撃って敵を打ち落とす。と今度は着地した敵との斬り合いになる。
そんな中ヴォルストの働きはめざましかった。海戦では常に床が揺れるために下手に重い鎧をつけているとこけてしまい身動きがとれなくなる。だから比較的軽装の敵が多いので、フォルケルのような大剣をふるわなくても十分致命傷を与えられる。持ち前の素早さで彼が敵の中を突っ込むと敵は次々と斬られていく。おまけに胴には鎖帷子、腕には篭手を足には臑当て、と部分的に効果的な防具を着用していたために、少々斬られたくらいでは平気な顔をしている。
レイチェルは小剣で懸命に敵を倒してゆく。いつもと使い勝手が違う剣を手にしたヴォルストは初め戸惑っていたが、借り物の武器の間合いを掴むと勇敢に切り込んでゆく。
水兵達の剣術もなかなかのもので敵を圧倒してゆき、ついには味方の船が敵の船にとりついたのを期にこちらの水兵も敵の船に乗り移っていく。そのうち騒ぎが収まると敵のリーダーとおぼしき人物を捕まえたヴォルスト達が甲板に出てくる。それを見て敵は次々に降伏を始める。
「まさかあなた自らがのっておられようとは。で、こいつらの処遇はどうするのです」
「リーダーと他上官とおぼしきものを数名こちらに引き渡して下さい。あとは捕らえた船も含めてあなた方の好きにしてかまいませんよ。もともとあの場に居合わせなかった海賊に対する処置は決められてませんから。ですがファルナの領海を無断で侵している船に対してはギルドの長である私が取り調べるべきでしょうからね」
「そうですな。しばらくはファルナに滞在を?」
「ええ、一週間ほど。その間にこいつを尋問してその情報を検討する会議を開こうと思いますので近いうちに声をお掛けしますよ。我々は急いでいるのでまた」
相手の船の船長はばかばかしいほど丁寧に例をして去ってゆく。
数少ない死者を弔い、けが人の手当をすると再びヴォルストの船は動き出す。その間に船長は捕らえた捕虜の尋問を開始している。
「さっさとしゃべれよ。一体どこの国に後押しされて私達の縄張りに入ってきたんだ。私は忙しいんだ」
「誰がしゃべるかよ」
明らかに人相の悪い男に副官と思われる隻眼の男は黙ってしゃべらない。
「この船には総帥の他、ご婦人方ものっていらっしゃる。俺としてはあまり荒っぽい手は使いたくないんだが」
「しゃべればお前の身の安全は保障しよう。望む港まで連れていってもやる。それでもしゃべらないのならファルナまでの数日の間になんとしてでもしゃべらせる。1日考える時間をやる」
そう言うとフォルケルと船長、ヴォルストにレイチェルが部屋の外に出る。見張りの2人を確認すると彼らは会議室へと足を運ぶ。
「しゃべると思うのか」
「まあ自主的にはしゃべらないな。いやでも口を割らすさ。これは私の商売に関することだからな。他の海域なら見逃してやれるが、ファルナとファルクは私の本拠地だ。おいそれと他の奴等を寄せるわけには行かないからな」
「拷問とかするんですか」
「これは一応高速艇だからよけいな設備は作ってないんだ。もっとも短剣で指を切り落とすくらいはできるが。まあまずは特性の薬で精神を弱らせてから魔法で聞き出すさ。それを克服できるくらいの精神の持ち主ならファルナでこの世の地獄を見るかもしれないね」
一日後敵は思った通りしゃべる気配を見せない。
「しかたない」
ヴォルストは傍らの2人の水夫に目を向けると2人はうなずいて一人に緑色の液体を飲ませる。しばらくすると相手の目がうつろになってくる。
「答えろ。おまえ達は一体誰に頼まれてこの海域で海賊行為を働くのだ」
「それは・・・セヴァーンの王様に頼まれたんだ。あそこの王様はキリスト教の聖戦の軍がイスラム教と共倒れになるのを狙っているのさ」
男は呂律が回らない声でそういう。ヴォルストがそいつから目を離すと相手は眠りこけてしまう。
「貴様、俺の副官に何をした」
「貴様は黙っていろ」
ヴォルストはそういって敵のリーダーをにらみつける。すると彼はまるで恐ろしいものでも見たかのように顔が真っ青になってぶるぶる震え出す。
「これでしばらくはおとなしくしているな」
「しかしセヴァーンにそんな野心があったとはな。それよりヴォルストあれは一体どうやったんだ」
「こうやったのさ」
ヴォルストがフォルケルを見つめるとフォルケルは急に脱力感を感じ頭がぼーっとしてしまう。慌てて頭を振って正気を取り戻す。
「な、なんだ今のは」
「簡単な催眠術だ。もっとも俺のは赤ん坊にきくくらいの威力しかないからさっきの薬のようなものに頼らないといけないが」
「尋問は終わったの」
「ファナ王女。ええ、平和的に解決しましたよ。いっさい暴力を使わずにね。それよりいいんですか動いたりして」
「ええ、もうだいぶ楽になったわ。今度海賊に襲われたら私も戦うわよ」
「それはありませんよ。明日にはファルナにつくでしょうから。ちょくちょく味方の船も見えてきます。今のうちに船から見える景色を堪能しておけばどうです」
「それもそうね」
ファナは甲板に上がってゆく。
「ギルはまだなのかしら」
「あいつには船酔いの他にもう一つ恐るべき災厄がついてまわっているからな。しばらくは無理だろう。もっと体にやさしいのを作れないのかヴォルスト」
「あれは栄養満点だぞ。唯一舌と鼻に悪いくらいだ」
「私怪我しなくて良かった」
レイチェルとフォルケル、ヴォルストも笑いながら甲板に出ていく。
翌日の夕方になってからファルナに到着した。
「さて・・・と。ファルナの総督府はどこなの」
「正確には総督府ではなく帝国部隊の駐屯所ですよ。一応自治区ですからシャルロット将軍は軍事の全てと行政の一部をまかされているだけです。もっともその決定権は大きいですが。今日は日も暮れていることですし止めておきましょう。それに船酔いから回復していない人たちもいますしね。今日のところは私の屋敷に止まってもらいますよ」
ヴォルストは船長と軽く打ち合わせを行うと自分が先頭に立って歩き出す。ちょうど昼の顔と夜の顔が入れ替わる時間帯で様々な怪しい店が露店を広げ始めているが、ヴォルストが通ると彼らは注目する。中には恭しくおじぎをするものまでいる。彼が連れている一行に声をかける人物もいない。
「さ、着きましたよ」
ヴォルストの屋敷は大通りに面している高級住宅街の中でもひときわ大きかった。
「すげえ、こんなに大きな必要があるのか」
「時として数十人の客人を迎えることもあるからな。四十人は泊まれるようにしている」
彼らは驚きながらもヴォルストの屋敷に入っていく。
「お帰りなさいませ」
何人かのメイドが恭しく例をしている。ヴォルストはそれに軽く答えるとさっさと庭を抜けて建物の中に入っていく。
「お帰りなさいませ、ヴォルスト様」
執事とおぼしき人物が玄関で出迎える。
「ああ、マクシミリアン、悪いが厨房に言いつけて適当に二十五人分くらいの料理を作らせてくれ」
ヴォルストはそう言うとみんなを建物に通し取りあえず会議室に案内する。
「すごいねえ。お前ここを一体どの程度利用するんだ」
「一年に一ヶ月くらいか」
「たったそれだけのためにこんなのが必要なのか」
「世の中には見かけを大事にする人種がかなり多くいるんだよ。まあ取りあえず交渉の間はここを宿舎に使ってもらってかまわない。基本的には鍵のかかっていないところは出入り自由だ。あと屋敷を出るときは気をつけてくれ。門番が合い札を渡してくれる。それがないと門番は屋敷に入れてくれないからな。もっとも、ここはあんまりよそ者が自由に歩くことをお勧めできる街じゃないな」
基本的な注意を追えるとヴォルストは全員の部屋割りを決めてゆく。ちょうどそれが終わったときに食事の支度ができたと連絡が来る。
食事はそれほどきらびやかではなかったが海の上での簡単な料理に比べればすばらしいものだった。ギルバートはそのあとに薬を飲まされて不平たらたらだったが。
食事が終わればシャナは護衛にもう今日は休む言うように言う。それに従って彼らは割り当てられた寝室へと入っていく。
「で、どうするんだい」
会議室ほどは大きくない部屋で座りながらヴォルストがファナに尋ねる」
「明日にも面会を申し込みたいわね」
「だがギルバートの腕の治療が先だろう。取りあえず使節としてきていることを知らせにいっておいて正式な会談の約束をとりつけるだけでいいんじゃないでしょうか。それに俺達は帝国の占領下の人々を少しは見てから会談に臨みたいし」
「そうね、じゃあ明日は私とフォルケルと護衛の半分が城に行くわ。もちろんヴォルストさんも来てくれるわよね」
「ああ」
「じゃあ私たちも休みましょう。もうくたくたよ」
「そういえばここには普段使用人以外はすんでいないのか」
「まさか、一人居候がいる」
そう言うとヴォルストは呼び鈴を鳴らす。すぐにメイドが入ってくる。
「あいつの姿を見ないが今日はどこかにいっているのか」
「今日はお帰りにならないそうです」
「だとさ。まあ明日にでも紹介するさ。今日はもう寝ようぜ」
そう言うとヴォルストは私室のある方向に歩いていく。他のメンバーもそれぞれ割り当てられた部屋へと入ってゆく。
翌日、彼らは朝食を終えると護衛の人選を終えると、一人の人物が屋敷に入ってきた。
「ただいまあ」
どうもこの屋敷に不釣り合いな元気な声が響きわたる。
「よお」
「何だ帰ってたの」
「つれないな、今回はお友達を連れてきてやったってのに」
「ここに住んでいるのってシャナだったんですか。久しぶりねー」
ファナとシャナと呼ばれた少女は再開を喜び合う。
「ところでなんであんたがファナを連れてきたの」
「それには深いわけがあるのさ。それよりお前に見てもらいたい患者がいるんだ」
そう言うとヴォルストはギルバートの症状を見せる。
「ひどいわねえ。あんたが着いていながらこんなになるまで放っておくなんて。まあ私もプロだし見てみるわよ。貸しにしておくから」
「勝手に言ってろ。おっと紹介がまだだったな。これが昨日言ってた居候で、名前はシャナ=ディス=ラシュター」
「よろしく」
「???ちょっと待て。ラシュターってことは」
「一応こいつと私とは兄妹なのよ。双子のね」
「お前、妹がいたのか。で、王女とお前が言っていた凄腕の医者って彼女のことなのか」
「まあそういうことだ。こいつはこの屋敷を診療所にして週に何日かは街の人々を無料で診察する変わり者さ。王女、積もる話はあとにして取りあえず城に行きましょう」
「城?どういうことファナ」
「私たちシャルロット将軍と休戦協定を結びたくてここに来たのよ。じゃあまたあとで」
フォルケル達は結局その日はシャルロット将軍に会うことはできなかったが、会談の趣旨を留守を守る人物に説明するとすぐに会談の準備は整うだろうと説明してくれた。
「じゃあヴォルスト、俺達はこの街の見学に言ってもいいか」
屋敷に戻るとフォルケルはそうそうにヴォルストに相談する。
「ちょっと待って」
「あ、シャナさん、ギルの具合どうです」
「どうもこうもあったもんじゃないわね。こいつの薬がなかったらあの人の腕はとっくに腐ってたわよ。で、すぐに手術をしたいんだけど。何かこの頃けが人が多くて麻酔剤切らしているのよ。あなた方の誰かちょっと採ってきてくれない」
「どこにあるんです」
「確かこの辺りじゃここから北西の異民族の街の近くの山に生えているわ。詳しいことは彼らに聞いて。噂に聞くほど野蛮な人達じゃないから大丈夫よ」
「じゃあ俺が行って来るよ」
「私もいく」
「私も」
ファナとレイチェルも立候補する。
「でも王女は相手からコンタクトがあったときのためにいないと」
「レジスタンス代表のあなたもギルも出席できないんだから私だけがいても意味がないでしょう。あとのことはヴォルストさんにおまかせするわよ」
それを聞いてヴォルストは苦笑する。
「わかりましたよ。馬と通行証を用意しましょう。しばらく待っていて下さい」
そう言うとヴォルストは屋敷の奥に消える
「それにしてもシャナさんはヴォルストに対して結構厳しいんですね」
「家族なんてそんなものよ」
「そうですかね。・・・そう言われればそんな気もするなあ」
とヴォルストがすぐに戻ってくる。
「こいつを持っていけば出会った哨戒中の兵は通してくれる。馬は入り口のところにある厩のを使ってくれればいい。ギルが早いとこ俺の薬地獄から抜け出せるためにがんばってやれよ」
そう言うとヴォルストはまた屋敷に戻ってゆく。
「何か忙しそうだな」
「そりゃあ私たちが交渉のためにここに滞在している間にしなければならないことが山ほどあるでしょうから」
しばらくして三つの影がファルナを出発した。