黄金の月







 翌日、慰霊碑に参っていると頭上で鳥が声高く鳴いた。
 受付所に行ってみると、火影のすわる机のまえに、すでに紅が立っていた。挨拶もなく、二人が並んだ時点で任務書が手渡される。昨日、聞いていたとおりに、カカシに過日の竜を再現してくれという内容だった。
 だがカカシは眉をひそめた。面倒だ、と思っていたがほんとうに面倒だ。竜を作る場所はだいたい同様であっても、今回は時刻が真昼だ。前回は朝も明けきらぬ夜のうちだった。
しかも、水飛沫で形作ったのではなく、ほぼすべてが幻術であったもの。白く淡く見せた竜の形。逃げ惑う街人が感じただろう水飛沫も、じつをいえば、竜の水飛沫などではなく、ただの幻術か、もしくはいつもの滝からの飛沫が、風の動きによって人々に届いただけのはなしだ。すべては、幻術と地と時の利を使っただけのこと。
 今回は、時の利がつかえない。
 幻術ももちろん必要だが、水頓も使う必要があるだろう。忍術に長けたものが要る。
 紅には幻術を担当してもらい、カカシが忍術を担当しても、すこし手が足りないように思えた。せめてあと一人は要る。紅も同じように算段したのだろう、任務書を睨みながら、しばらく考えていたようだった。

「―――あと一人、要ります」

 カカシがそう言ったとき、紅も頷いた。

「わたくしもそう思います。上忍といいませんが、そこそこに術を使えるものをもう一人、付けていただきたく思います」
「そうか」

 火影は、手元の巻物を眺めたようだった。だれに行かせるのか見ているのだろう。煙管をくゆらせながら考えている。
 カカシとしては誰でもよかったので、大人しく待っていた。ちらりとイルカの顔が浮かばないでもなかったが、イルカはアカデミーと受付でシフトが組まれている。それをいきなり外務に変更というのも悪い気がした。
 だが、そんなカカシの気遣いは、隣に立つ女にはまったく考え至らないものだったらしい。紅から思ってもみない名が、軽い口調で出てきた。

「イルカはどうでしょう、いまは里に居ると思いますが」
「…ちょっと紅」

 火影が被り物のへりから、カカシと紅にちらりと視線をよこした。

「意外な名を聞くものじゃな、イルカとは。知り合いであったかの」

 答えることに躊躇ったカカシを置いて、紅があっさりと答える。

「はい。カカシもわたくしも見知っております」

そして、煩雑な術ゆえ、知ったものであれば心安く思いますがと付け足した。ついさっき思いついただけのことだろうに、ずいぶん説得力のある言い分にきこえた。
 だが無理をおして見知ったものである必要などないのだ。この任務は、術の難易度さえ高いとおもわれるものの、仕掛ける手順とやりようさえ知るものが居れば、あとは作業に似ている。精神的な支えなど関係のない「作業」だ。術の腕さえ確かなら良いのだ。それにもししくじったとしても、死人のでる任務でもない。
 それを分かっているだろうに、火影は異論を挟むことはせずに、ただ頷いた。そしてイルカを呼べと、手近なものに伝えたのだ。
 わずかばかり驚いたのはカカシ。まさかあっさり紅の意見が通るとは思ってもみなかった。

「火影さま、本気ですか」
「うむ? 本気かとな。おかしなことをいう奴じゃな。なんじゃ、イルカでは役不足かの」
「あ、いえ、そういうわけでは」

 慌てて否定した。イルカの力具合をよく知っているわけではないのに、迂闊に言えばそういうふうに取られてしまう。カカシはたんに、またイルカに迷惑を、気詰まりをさせることになるのではないかと案じただけで。
 傍らに目を流すと、そっぽをむいて紅は知らぬ顔だ。言葉にせず、威圧を視線にこめた。きっと頬あたりにちくちくとそれは刺さっていたはずなのに、紅は無視したきり。
 しばらく無言の睨みをきかせていたが、やがてそれに飽きたころ、イルカが現れた。

「お待たせいたしまして申し訳ございません」
「いや、急に呼び出してすまんの。授業はかまわんかの」
「はい。今はほかの先生方について教えていただいていますので、そちらにはご迷惑をおかけしますが、任務ということでしたら問題はないと思います」
「そうかそうか」

 好々爺のようすで火影は頷き、イルカにも任務書を渡した。

「しばらく、こやつらに付いて実地に学んでくるがいいじゃろう。実践も大切じゃ」

 そういうことかとカカシは納得した。火影がやけにあっさりとアカデミーの教師を外にだすと思ったら、そういう意図もあったか。たしかに、命の危険も無く大掛かりな術を体得するには良い機会といえた。
 カカシはイルカに向き、いつもの任務の顔合わせとなんの違いも無い挨拶を言う。

「よろしくお願いします」
「よろしく頼むわね」

 イルカはまっすぐにカカシと紅を見、折り目正しく頭を下げた。

「勉強させていただきます。よろしくお願いします」

 会釈から上がった顔は、凛とした忍びの顔だった。






 目指す国までは、片道で二日。鍛えられた忍びならばそれを半日ほど短縮できる。カカシたちは足を速めていくことにした。
 火影からの話によると、冬の寒さが厳しい今、かの国では寒さのあまりに街の端々で水流が凍ることがあるそうなのだ。さすがに大滝は凍りつきはしないが、術を行うなら水の容易く流れるときにしたほうがいい。とはいえ春のくるまえに職人が図案を仕上げたいというので、こんな寒さの厳しいときになった。
 昼前に里の大門を三人、連れ立って旅立つ。

「少しだけ急いで行きます、良いですか」

 一度だけイルカに言って、イルカが頷いたことを確かめたのちには、三人が三人ともに何も言わなかった。ただ足を速めて、旅路を急ぐ。
 夕刻をすぎて、ようやくカカシが足をゆるめ休憩をとるまで、三人にはあたりまえのように言葉がなかった。山中で岩清水の滴る沢のそばにしばらく腰をおろす。水を飲み補給し、顔を洗ったりするなか、イルカがちょっとと断りその場を離れた。背中を視線で見送って、岩に腰をおろして足を休めていると、同じように岩に腰掛ける紅が言った。
 大きくも無い、冬の木々わたる風に負けてしまいそうな小声だった。

「つまんない」
「あ?」

 不機嫌にカカシは問い返した。じっさい、カカシはすこし機嫌が悪かった。それは紅がイルカを同行者に選んだことに原因があって、門をでてから考えるうちに、紅がもしかして愚にもつかない好奇心でイルカを指名したのではないかと思い至った。
 紅がそういったことに好奇心が旺盛かどうかは、はっきり分からなかったが、たった今証明されたともいえる。つまんない、という拗ねた響き。

「何が見たかったんだよ、いったい」

 眉根にしぜんと皺がよった。すると、紅はすらりと伸びた美しい曲線をぷらぷらとさせながら、まったく子供のように続けた。

「てっきり、カカシとイルカが、あなたに良いところを見せますからねっ頑張ります俺! とか言ってイルカが、はいっ頑張ってくださいねっ、とか言っちゃって、あなたのためなら俺はどんなことでも致します〜っ、きらっ、抱きしめっ、っていうの期待してたのに」

 カカシの顔が強張る。

「―――どんな期待だよそれ。きらっ、ってなんだよ」
「涙がきらり」
「わけわかんない」

 ったくガイじゃあるまいし、とカカシはぶつぶつ一人ごちた。まったく、何を考えているのだか。子供向け冒険物語のクライマックスの早送りでもあるまいし、いったいどうして紅のまえでそんな恥ずかしいことをイルカと繰り広げなければいけないのか。
 馬鹿馬鹿しいと、カカシは口をむっつりと閉じた。
 だが、紅の話はそこで終わりというわけではなかったようだ。カカシの様子にはかまわないように、イルカの消えていった木立のほうをみやって小声が続けた。

「でもあなたたちってほんと…変ね」

 どういう意味で言ったのかが気になり、カカシは紅を見た。白い肌と紅をひいた唇が、冬の霞んだような緑のなかで、際立った色彩になっている。

「私、もうちょっと喜ぶかと思ってたわ、うぅん、浮かれるっていうかな」
「……」
「なのに、一言だって口聞かないんだもの。思惑が外れちゃったわ」

 カカシは白い面から視線を外す。
 紅の言った、つまらない、という言葉への腹立ちが和らいだ。
 ただ、紅の読みは外れて当たり前だろうと思う。イルカとカカシはそんな風に、お互いを人前で抱きしめあったり、言葉で多くを確認したりしない。したことがない。涙も流さず、あなたのために、などという台詞を口にしたこともない。
 おそらく、世間一般で期待されるようなことは、イルカとカカシのあいだに存在していないのだ。あるのは行為と夜の睦言だけで。
 それがはたして、紅がいま見せている哀しみのような顔に値するか、ということはカカシには分からない。
 カカシはこれまで、そういったイルカとの関係が当たり前のように続いていて、イルカもそれを壊そうとしなかったことで、二人の間の了承がなされていると感じていた。
 もしかしてそれは、カカシの独り善がりだったのだろうか。

「俺とイルカさんは、そういうのとは違うんだよ」

 けっきょく、カカシが答えられたのはそんな言葉だった。
 イルカがもしこの言葉を聞いていたら、どう思っただろうか。
 罪悪感に似た感情が沸きおこり、しばらくカカシから離れなかった。



2004.07.20