黄金の月







 イルカが受付に居たのに、すこし驚いた。入り口からの遠目でも、黒髪の一つ結わいはイルカだとはっきり判別できて、どうしてだろうと考えて、先日のことを思い出した。たしかアカデミー勤務になるといっていた。人手のかね合いで受付にも回されたのだろう。
 ちょうど一人、イルカのまえに居たが、受付処理は他の人間にしてもらっても同じだろうし、どうせならイルカにしてもらったほうが心安い。そう考えて近づいていくと、イルカの前に居た背中に見覚えがあることに気づく。見慣れたような背中だ。

「アスマじゃない」
「ん? お、カカシじゃねぇか、お疲れさん」
「お疲れ。イルカさん、これお願いします」
「あ、はい」

 ここで、アスマが首を傾げた。差し出した報告書をイルカがぎこちなく受け取ってくれ、カカシはその大柄な男を見上げる。

「アスマ、こちらイルカさん。さっき喋ってたよね、知り合いだったんだ」

 以前、アスマにはイルカの名をもらしたことがある。カカシの帰る場所、とやらを知りたいとをずいぶん気にして訊いてきて、つい根負けして言ってしまった。もともと隠す気もさほどなかったが、知れてしまうと気恥ずかしく、イルカをわざわざ紹介することもなかった。
 だが二人が知り合い同士だったというなら、気をまわす必要もなかったようだ。

「イルカさん、こっち、アスマ。面倒くさがりだけど、面倒見は良いオッサン」
「おいこら」
「カカシさん、そんな失礼な…」

 イルカが眉をひそめ、アスマもまた渋い顔をしていた。アスマの言い分はこうだ。

「てんめぇ、こいつがその"イルカ"だってひとっ言も俺は聞いてねぇぞ」
「俺も言った覚えないけど、名前は言ってたでしょうが。ほかにどのイルカさんが居るわけ」
「こいつぁ男の、イルカ、だろうが」
「そうだけど」

 それがなにか悪いだろうかと、カカシが小首を傾げる番。たしかに、アスマが相手を女だと勘違いしているようだとは、実は気づいていた。だが訂正はしなかった。イルカやカカシといった当事者にとって相手の性別が気になるのと、第三者であるアスマが気になるのとでは意味合いが違うからだ。
 ところがカカシの考えは他の二人にとっては、また解釈の違いがあるようだった。アスマは呆れたような顔。イルカといえば、すこしうつむき加減に頬を染めていた。恥ずかしそうなそぶり。

「あ、あの、お二人とも、報告書はお預かりしましたので…」

 そんなイルカの声を、アスマが気にせずにさえぎる。

「まぁいいけどよ、それも。お前らがいいんならよ」
「良いもなにもないよ。俺たちの問題でしょうが」
「そりゃそうだ。だがよ、イルカは」

 言葉を溜め、アスマがなぜか含み笑いをみせた。イルカのほうへと視線を流し、そしてイルカもまたその視線に気づき、アッというような表情をみせた。まるでアスマのこれから言うことが分かっているかのようなタイミングで。
 ガタッと椅子を引いて、イルカが立ち上がった。

「ア、アスマさん…!」
「おっと、やっぱりこりゃヤベェか? イルカ」

 ―――呼び捨て。いきなりな衝撃でカカシの脳裏が揺さぶられた。しかもかなり大きな衝撃だ。そりゃアスマは人見知りなどない人柄だけれども。イルカのことを呼び捨て。
 加えてなにやら、二人で見つめあったりもしている。アスマはニヤニヤ笑って、イルカは顔を真っ赤にして、アスマを注視しているのだ。二人のあいだになにがあったのか、などと思うのは至極当然の成り行きだった。

「ちょっと、二人とも、なに。隠し事?」
「いえ、そういうわけじゃ…っ」
「そうさな。そういうわけじゃないよな、イルカ」

 また呼び捨て。カカシは、我慢のできない衝動に声を低めて鋭く囁いた。

「アスマ、それ止せよ」
「あ? なにがだよ」
「その呼び方」
「あぁ? なに言ってんだお前。それよりイルカ、お前ぇにも色々あんだろうが、こいつも色々ガキだ。よろしくしてやってくれ。な!」

 バァン! と豪放すぎる音とともにアスマがイルカの背中を叩いて、大きく笑った。嬉しいといった風であったが、愉快でたまらないといった風でもあった。その証拠に、カカシのほうをみて、またニヤリと笑い。

「ガキくせぇ独占は止めとけよ、愛想つかされるぞ」

 しかもイルカにはきこえないようにわざわざ声をひそめるあたり、たちが悪い。カカシは睨みかえし、同じようにひそめた声で応じた。

「隠してんのは、そういうこと?」

 答えはなく、アスマはニヤついた笑いを残して去っていった。残されたのは、叩かれた衝撃で咳をくりかえすイルカと、眉根をよせたカカシと二人で。
大丈夫ですか、と声をかけながら、カカシは先日に抱いた疑いを思い出していた。
 イルカが、他の誰かを想っていること。



 それは疑ってみるべき価値のあることのように思えた。






2004.06.27