黄金の月







 いつもどおりの任務だった、といえば、きっと経験豊かで用心深い年配の忍びに眉をひそめられるのだろうが、今回の任務はそうと表現するのがいちばんぴったりだとカカシはおもう。
 適度に秘密主義で、適度に後ろ暗く。
 過剰な期待がよせられている任務内容でもなく、特別な推測が必要なこともない。たんたんと指示されていることを、カカシなりの推量で進めれば良いような内容だった。

 おかげで、四日を経て里近くへともどってきたときは、あまり疲れた心地もしなかった。
 山中をとおる街道沿いの茶屋で、カカシは一服することにして、茶をたのんで木で作られた縁台に腰をおろした。日は天中をまわりきらないあたり。足を速めれば、昼をすぎて夕闇がせまるころに里へつけるだろう。

 だされた茶を、癖のように異常ないと判断してから口に運ぶ。薄く出涸らしのような茶の味と、黒糖を溶かした蜜の甘味が舌を刺激した。
 おもわず眉をしかめる。おそらく山を登ってきて足腰疲れた旅人のためだろうが、忍びである自分にはすこし甘すぎた。だいいち、そんなに疲れていない。
 座っている縁台へと椀をおいて、カカシはなにげなく茶屋のほかの縁台にすわる人々をみる。カカシのほかには男が数人ほど。旅人のようだ。
 べつにこれといって怪しい人物がいるわけでもなく、また気にかかることがあるわけでもないが、これも忍びの習性といったところ。あたりを油断なく探るのは無意識にさえやってしまう。

 茶や団子をつまむ男たちのなかで、脚半の白く真新しい男がいた。縁台におかれた箱は薬箱のようだが、使い込まれていて旅なれたようすをうかがわせる。しかしそれにしては足元の綺麗なことは目をひいて、カカシはこの山のふもとに小さな宿場があったことを思い出した。
 いつもこの近辺からなら、無理をしてでも駈け戻っていたから、近隣の宿場のことなど気にとめていなかった。おそらくあの男は木の葉に薬を仕入れに来て、昨日はその宿場に泊まり、今朝がたに出発したのだろう。忍びの足なら遠くない距離は、人によっては日をまたぐ旅程になる。
 いかにも大儀そうに茶をすすりながら一息をついている姿を眺め見ていて、そんなことまで考えた。

 空をみればやんわりと進む日差し。
 日が暮れるまえには木の葉の大門をくぐりたい。
 半分以上残ってしまった茶をそのままに、カカシは暇そうにしている店内の女へ目をむけた。店はどうも奥に居る店主と、この女できりもりしているらしいが、いつもこの程度の客の入りなら、閑をもてあますのも分かる気がする。

「いくらだ」
「おや、もうお出でかい」

 返されたのは婀娜っぽい響きの声音だった。カカシは表情にださず眉根をあげる。世慣れた口調は数あるが、どうも茶屋にしては色が滲みすぎている。年季明けでイロと自分の店をもてた、幸運な部類の女であるようだと、勝手に推測した。忍びの習い性は、こういうときに下世話だ。

「ああ、先を急ぐんでね」

 嘘ではないが、いっかな減っていない椀のなかを言い訳するように、頷くのとともに付け足した。すると女が、不思議なほど柔らかく笑い、カカシの縁台へと近づいてきた。

「その格好、木の葉の方だね、どの人も仕事熱心で結構なこと」

 店の日陰のなかからでてきた女は、きつい眦を狐の面のようににっこりと細めて、濃い紅をひいた唇をしならせる。ゆるく結われている髪が、日の光をあびて銀にも灰色にも見えた。

「へぇ、よく通るの。木の葉は」
「よく見かけるね。けど兄さんみたいな綺麗な銀の髪ははじめて見たよ」

 初見の客によく喋る女主人だと、カカシは後悔し始める。このまま出発してしまうべきだろうか、しかし値段を聞いていないので払えないし、それでタダ飲みされたと里に伝わればそれもいただけない。
 けっきょく、余計な相槌をうつのも躊躇われて、カカシはぼりぼりと後頭部を掻いた。女も閑なのだろう、軒下の軋みそうな柱に肩をあずけて、軽く腕を組んで一人語りに続けた。

「ある木の葉のお人が、銀の髪の人に恋焦がれてるって泣いてたけどね、きっと兄さんみたいな髪の人なんだろうね」

 さぁそれはどうだろうな。心中でごちる。ただ、里に銀の髪は少ないから、もしかするとそれは自分かもしれないが、あいにく恋焦がれていたと迫られた覚えは今まで無い。残念だが人違いだろう。
 それにしても女は髪の色にこだわる。なにか意図があるのだろうか。

「…そういうねぇさんも銀色じゃないの、その髪」

 返すと、女はくすぐったげに肩を揺らして笑った。よく笑う。

「これは銀なんていいもんじゃないねぇ。でもありがとうよ。お礼に茶代はタダさ。もっともお口に合わなかったようだけれどね」

 カカシは苦笑して、「すまないな」とだけ言った。

「こちらこそすまないね、閑なもんでさ。ぼんやりしてると昔のことを思い出しちまう。忍びのお人に身なりをいうもんじゃないって知ってるけど、堪忍しておくれ。女の世話話さ、忘れとくれね」

 構わないと言うかわりに、ひらりと手のひらをそよがせる。ともあれ代金はいらないというのであれば長居は無用だった。だが、女のいう昔というのがすこしだけ気にかかった。推測するだけして、答えが宙ぶらりでは据わりは悪い。

「…いまの旦那は良い人かい、おねぇさん」
「ん? やだねぇ」

 照らされた加減で白色にもみえる髪をゆらし、女は可笑しがった。

「そりゃあ良い人さ。年季明けでね、契りをかわしたと思ってたお人がこなくておたなから放り出されて、投げやりになってたあたしを拾ってくれた、そりゃぁ良い人。他には居ないよ、こんな人」
「ごちそうさま」
「ふふ、またよろしく」

 言って、そうそう、と女が付け加えた。年季明けもせまった夜、最後の相方となった人が銀の髪をと泣いていたから、いろんなことをいっぺんに思い出したのさ、と。
 カカシは、女の思い出話の人物が男であったことに気が引かれたものの、ふぅん、と呟くと席を立ち、茶屋を後にしたのだった。



2004.06.27