黄金の月
激しいチャクラの燃焼を感じ、アスマがその場へ駆けつけたとき、すでに戦いは終わっていた。
街は騒然と人々が動き始めたころで、周囲は地響きよりもよほどそれらしい人々の嘆きや悲鳴やうめきや怒声が溢れていた。
アスマはそれらを背中にし、目の前に六つの死体を数えた。そして生きているのは、肩口を黒く染めた銀髪の男。
ピッと腕を降り下ろし、返り血を形ばかりに落としてみせる。
白くみえる面がアスマを見る。
「そっちはどう」
一瞬、なにを言われたか把握できず遅れたが、アスマは頷いた。
「まあまあだ。動きはいい。これなら街はがらんどうと同じだ」
「そう。良かった」
「こいつらは?」
「ここの偉い人が雇った忍び。あと、仲間も。二人」
造作ないようにいう声音に、アスマは肩を竦めて、動かなくなった肉隗へと歩み寄る。湯気のたちそうなほどの垂れ流された血。むっとするほどの臭い。奇怪に歪んだ頸部に四肢。焼けた肉の臭いもする。
「どこだ」
「知らない。一人はそこだけど」
首がかしいで方向を指す。
端的だが投げ遣りにもみえる様子に、アスマはなにも触れずその死体へ近づく。幸い形を留めていた。眉間を千本で貫かれていた。アスマは「悪ぃな」と一言ことわってから、そのぬるくなった首元から認識票を引き出して、頭から抜く。
その際に顎があがり、片手では抜きにくい。それに鎖からつたわる肉の重み。アスマはこの作業が好きではなかった。
「おい、もう一人、探せ。この分じゃ残ってんだろ」
「…うん」
「ボケるな、早くしろ」
「分かってるよ」
カカシは言ったが、動かなかった。何度か戦地を共にしたアスマには分かる。こういうとき、カカシを動かすのは戦意と殺気だ。敵の。それがあれば、カカシは言葉も必要なく刃を振るうだろう。滑るように、躍るように、軽やかに。
アスマは溜息を堪え、気を溜めて跳躍し、城壁を駆け上った。
そして見つけた仲間の果てた姿。同じように認識票のみ抜き去った。風が強い。星空が淡く輝いていた。明けゆく色を滲ませる天を見、アスマは彼方を見た。そこには開門を突撃の合図として一直線に並ぶ、軍勢の姿。松明の色が、火の海の波線のように見えた。
「開門、開門だ―――……ッ!」
声は朗々と響き、アスマはその手で大門を閉ざしていたレバーを倒した。ガチンと錆びついた音がし、それとともに、捲かれていた鎖が勢いよく城壁を落ちていく。鎖の先には牛一頭ほどの重さの岩がついていて、それらがついた鎖は無数。アスマは数えて十はあるレバーたちを次々と倒していった。鎖の捲かれた巨大な鉄筒は、壊れそうなほどの大音で回り続ける。
城壁の上から、両開きの大門が、次第に軋みを上げながら開いていくのがよく見えた。
巨大ゆえの鈍重さで開いていく大門。
ゆっくりと開くその中央に見えていくのは、一直線の炎の地平。
街を包む怒声や悲鳴が、大きくなったように聞こえた。
アスマは城壁下へ怒鳴った。
「―――おい! これで終ぇだ…! 退くぜ!」
りょーかい、ととぼけた声が応え、アスマは今度は盛大に舌打をした。
「きりきり働きやがれ! この高給取りが!」
チャクラを練り、印を切って仲間の死体を灰にした。悪ぃな、と呟く。
下ではカカシが同じようにしているはず。石造りの城壁から飛び降り、地面に降り立ち、そのまま駆ける。何も言わずにカカシも並んで走り出した。
「もう充分働いたじゃない、疲れたよー」
「お家に帰るまでが遠足だぜ、隊長殿よ」
なげやりとも取れるカカシの言葉に、失笑を混ぜてアスマは返した。たしかにカカシは働きすぎたのではないかと思ったからだ。ボランティアもいいところだ。非戦闘員の避難誘導など。忍びにあるまじき「善行」だ。
だがアスマは大滝の幻術を知ってはいたが、本来の破壊命令を知らなかったし、開門へ二人しか配しなかったと悔いるカカシの沈む心を知らなかった。だから、たんにカカシがぼんやりとしているとしか思っていなかった。
ゆえに、驚いたのだ。
ぽつりとカカシが呟いた言葉に。
「―――そうだね、早く帰りたいなぁ…」
「ッ、…」
虚をつかれたように傍らを振り返った。
人の逃げ去った民家の屋根瓦を踏み、移動する二人を咎めるものは誰もいない。思わずアスマは足を緩め、まじまじとカカシをみた。するとカカシも不思議そうに見返してくる。どうして立ち止まるのかと問いたげに。
アスマはしばらく、ほんのしばらくの間だけ、言葉を失って、なんというべきか迷った。
そんなことで迷っている場合でも場所でもないというのに、あろうことか戦地で、らしくもなく戸惑った。そしてたっぷり五秒は黙りこくってから、ようやくカカシに聞いた。
この、形ばかりは大きくなったように見える、銀髪の子供に。
「帰りたい、っつったか? 今、お前ぇ…」
「? 言ったよ。帰りたい。今。早く。被害も出たし、最悪。さっさと報告終わらせてこの任と縁きりたいね」
つらつらと述べて、カカシは訊いた。
「で、それがどうしたんだよ? 早く帰りたいのがそんな変か?」
「いや…―――、それが変、てわけじゃねぇんだけどよ…、いや、吃驚した」
あー吃驚した、などと二度アスマは言い、そう言ったかとおもうと踵を返し、また駆け出した。一瞬おいてけぼりをくらったカカシは、口角をむっと下げる。
「なんだよ一体。わけわかんねー奴」
「…―――」
「聞いてんの?」
カカシは言ったが、じつのところ聞いてないだろうと予想しての言だ。どうせこの斜め前を走る男は、聞きたくないことは聞いていない。
それにしてもどうしてそう驚いたのか。こちらが驚いたほどだ。
里に帰りたいと願うのは変か? 木の葉の忍びとしてごく真っ当だと思うが。
今願うのは早くこの任を完遂させて帰還の途につくこと。そして里に着き報告を済ませ、認識票を提出し、慰霊碑に参る。それから、夜にあの家に行く。明かりが付いていれば良いと思う。中に人が居て、カカシを出迎えてくれる。あんまり歓迎してくれるようでも、嫌っているようでもないが、淡々とした様子でカカシを招きいれ、そして抱かせてくれる。そんなに抱かれることに慣れていないのだろうに、声を引き絞って、カカシを受け入れ、温かく感じる腕で背中を抱いてくれる。
「別に、変じゃないでしょうが」
拗ねた色で呟いた。
里に訪ねたい人ができた、カカシにはそれだけのことだ。アスマがどうしてそう驚いたのかのほうが不思議だ。
本当に、ただそれだけのことなのに。
2003.12.24