黄金の月





 賑わっている店は多くなかった。
 通りすがるものを客引きが盛んに呼び止めている。イルカもそれにつかまりながらも、格子の向こう、居並ぶ女たちをみた。
 やっぱり止めようか、途端に思った。もともと春を買う行為を好んでいるというわけでもなく、こうやって並ぶ女たちを品定めすることに、イルカは言いようのない気まずさを覚える。

 以前、初めて女を買ったときに共にいた知り合いは、イルカのそんな気まずさを尻込みしていると笑った。しかし、今、幾度かの女との性行為と、カカシとの数え切れない交わりをもっていても、やはり落ち着かない、女たちの顔をじろじろと無遠慮にはみることのできない思いがある。

 その理由を、いまの自分を暗く揄えるイルカは説明できる気がしていた。ようは、格子のむこうで品定めをされる女たちと、依頼によって選別をうける自分たちと、いったい如何ほどの違いがあるのかと、そう思っているからだろう、と。自分の立場をより上だといって、女たちを品定めする無邪気さは、下忍時代に捨てていた。中忍になれば、汚い事情も見聞きするし、忍びの命が、一枚の協定書より軽く問題になどされない現実を知っている。自分たちは、道具なのだ。それも高価で使い勝手の良い。

 イルカの逸らした目に、隅のほう、銀色の頭がみえた。
 ふいによぎった色彩にイルカの足が止まった。
 すかさず寄ってきた客引きに引きずられるように、イルカは軒をくぐった。




 イルカが指した女は、ずいぶんと不貞腐れた顔で、寄席の奥まった場所に座っていた。そして店のものも、眉をよせて渋る様子をみせたが、イルカは構わないといって部屋にあがった。一晩、と言い置く。
 朱塗りの欄干を昇り、二階の部屋に通される。部屋のなかも朱が溢れ、やや待って現れた銀色の髪の女も、朱色の襦袢だった。朱色は肌を白くみせ、いっそうあの人を思わせた。
 倒錯してるな、イルカは自嘲する。
 女はやはり不貞腐れた表情で、最初こそ三つ指でよろしくと挨拶したものの、それもつかのま、すっと立ち上がると後ろ手にぴしゃりと障子を閉め、立ったまま口を開いた。

「アタシを一晩買ったって? 無駄な金を使うもんだね! 今ならまだ間に合うよ、さっさと床替えを言ってきな」

 小気味いい啖呵だった。あっけに取られたイルカは、ややあって喉をならして笑った。
 女の声はたぶん低めだろうが、興奮しているからかやや高い。
 女の目は茶色だった。髪はやや白みがかった銀。頬は赤い。歳のころはイルカと同じころ。トウがたっている、といわれる歳なのだろうか。

「なに一人で笑ってんのさ! 気持ち悪いね!」

 いや、とイルカは片手をあげて女をいなした。

「悪いな、可笑しくて、つい」
「なにが可笑しいもんか! なんだい床替えをしないんなら、さっさとヤっちまってさっさとお寝んねしてもらいたいもんだね」

 イルカは、以前買った女もこんなに口が悪かっただろうかと思ってしまった。店にあがるとき、確かに店子は「あいつは気難しくてね、最初ならもっと他にいい子が…」と口を濁していた。この客を客とも思わない態度は、初見の客への一種の儀礼なのだろうか。
 そうおもって、まじまじと紅潮した女の顔をみていると、女は怯んだのか、口を噤んだ。すとんと座り込む。
 イルカの前には、形ばかりの朱塗りの膳が用意され、頼んでいた酒が二本のっていた。イルカは女に杯を差しだして見せた。

「呑むか? それに悪いんだが…」

 イルカは肩を竦めた。やはり、―――そんな気にはなれなかった。あてつけ、というものをするには何もかもが形どおりではないし、なにより自分の矜持が邪魔のようだ。

「この街についたばかりでね、疲れていてお相手をできそうにないんだ」

 女は呆れたように鼻をならした。

「なんだい、それ! じゃあなんでアタシを買ったのさ!」
「さあなぁ…」
「さあなあじゃないよ。変な男だね!」

 でも酒はもらうよ、と女は一転して機嫌よさげにイルカに近寄ってきた。そして勝手に膳の上の杯をとり、手酌で飲み始めた。イルカは苦笑する。恐ろしく手前勝手な女にたいして、どうして怒りがわかないのか不思議だったが、疲れているせいだと思うことにした。
 女の薄い唇が、酒を杯から啜り呑んだ。ふうっと満足げに息を吐く。襦袢の袷から、豊かな二形が、谷間だけをみせていた。細い首には、銀の後れ毛がほつれている。髪の色は、こんな朱塗りの部屋にいるせいか、光沢も朱く染まっているようにみえた。
 みるともなしに、間近のその身体を眺めていれば、女は気づいたように酒から目をあげた。

「ん? なんだい、やっぱりヤんのかい? しょうがない男だねぇ」

 そうしておもむろに、胡坐をかいていたイルカに股乗りしてきたかとおもうと、造作もなく襦袢の前をはだけて見せた。はじけるように、乳房があらわれて揺れた。

「―――い、いや、そうじゃないんだ」
「じゃあなんだっていうのさ」

 イルカの戸惑いを、女は心底、怪訝そうに眺めてきた。呆れたことに酒を充たした杯はその指に挟まったままで、女は器用に、酒を啜った。
 イルカはその様を、言いようがない思いで見る。

 本当に、自分は何がしたいんだろう。

 あの人のことで鬱々と悩んで、そんな自分を嫌になって、女を買って、よりによって自分から銀色の髪の女を選んで、そして抱かない。いや、抱く勇気もない。
 あてつけかと思いきや、そうでもない。第一、あてつけなんてものは、想われていてこそ成り立つ図式だった。気づいたのは愚かにも、女が啖呵を切ってから。
 無駄な金だといった。まさしく無駄な金だ。だからこそ、こんな風に使ってしまうのが良いような気がしたが、いざその段になってみれば、怖気づく自分がいる。半裸の女を目の前にしても、その股座の温もりを太腿で感じていても、なんの感慨も沸かない自分がいる。
 自嘲が漏れた。
 女が怪訝そうに、覗き込んできた。

「ねぇ…あんたホントに大丈夫?」

 細い指が、イルカの頬に触れた。イルカは自分で額あてを外した。ふっと頭が軽くなった気がした。

「…あぁ、大丈夫だ。別に熱があるとかじゃないから安心しな」
「そうなの? まぁ別にいいんだけどさ…」

 だが女は、言葉とは裏腹に、目に気遣うような色を浮かべた。

「―――アンタさ、なんでアタシを選んだの。こんなトウの立った、愛想のよくない女をさ」
「さぁ…――――――なんでかな…」
「じゃあなんでそんな寂しそうにアタシを見んのさ、止めとくれよ。アタシまで寂しくなる」

 イルカは思いもしなかったことを言われて、目を瞬いた。

「―――寂しそう?」
「そうさ。寂しかったから、寂しいアタシを選んだんじゃなかったのかい?」

 いや…、と答えながら、イルカは呆然としていた。
 寂しい、のだろうか。
 考えたこともなかった。

「なんだ、違うのかい。なら辛気臭いのは止めとくれよ」
「髪が―――」
「え?」

 イルカは女の鬢へ手を伸ばした。結い上げ、たわんだ形の、独特の形のそれ。触れれば、綺麗な形の結い髪でも柔らかいと知った。銀の髪が、柔らかく指先を滑る。

「髪が、同じ色だったんだ」

 女は黙り、酒をまた杯へと注いだ。そしてそれをイルカへと向けた。

「―――死んだ恋人かい?」

 イルカは苦笑した。

「いや、まだ生きてる人だよ」
「なら片思いでふられたのかい」
「言い難いことをはっきりいうな」

 怒ることも思いつかず、イルカは女へ笑う。女は、杯を受け取らなかったイルカのかわりに、自分で飲み干した。ふーっと息を吐く。

「だってそんなとこだろう? どうだい、当たってるのかい」
「いや、それもちょっと違うな」
「どう違うんだい」
「やけに絡むな」

 追求が思ったよりも厳しく、イルカは冷やかした。女は空の杯を、ずいっとイルカに突き出して、眉を顰めて見せた。

「なにいってんのさ! こーんな良い女がこうやってしてあげてんのに、抱きもしない役立たずにゃ、話するぐらいしか能がないってもんだろ!」

 ますます笑うしかなかった。
 確かに、白粉の香りも濃厚に女はイルカへと跨っている。手を伸ばせばその乳房を揉みしだくことも、吸い上げることもできる。細い腰を掴んで、突き上げることもできる。それをしないばかりか、イルカの雄自身も反応していないとなれば、女のいうとおり、役立たずだった。
 降参、とばかりにイルカは口を開いた。

「ふられた、ってわけでもないんだ。付き合ってる、ってわけでもないけど、関係はある。けど付き合ってるわけじゃない、ふられたわけでもない。あるのは体の関係だけ、―――分かるか? 俺のいってること」

 女はまじまじとイルカを見つめた。そして、ふいにぷっと吹き出すと、続いてきゃらきゃらと笑い出した。跨った両足をばたつかせて、身体をゆすって笑う。柳眉が可笑しそうに顰められて、あー可笑しい、と女はいった。

「なにが可笑しいんだよ」

 少なからず気分を害してイルカはいった。
 そうすれば女は、とうとつに笑うのをやめたかと思うと、声音を改め、驚くほど優しげに囁いた。


「なんだい、やっぱり片思いじゃないかい。やっぱり―――寂しかったんだね」


 いうと、女はイルカの体から退き、胡坐をかいたイルカの股へと指を伸ばしてきた。慌てる間もなく、指はイルカの下履きの下を滑り、イルカ自身をやんわりとしごいた。刺激に、萎えていたものがぴくりと反応した。現金なもので、女が細い指をせわしなく上下させつつ、豊かな二つの乳房を顔に押し当てられれば、手が勝手にそれを覆い、感触を確かめるように揉みあげていた。

「しょうがないから慰めてあげるよ。だから、黙ってアタシを抱くんだよ」

 降ってきた声は、さきほどと同じように優しげだった。ゆっくりと女に重みを預けられ、イルカの身体は押し倒される。女の足が、ほぼ空になった銚子とそれの載った膳を、足でずらし、二人は転がるように朱色の布団へと身体をずらした。
 女は慣れた仕草で、芯を持ち始めたイルカ自身を取り出し、さらに強く揉みしだく。胸をイルカに差しだし、もっと舐めるようにいいながら、女はイルカの腰へ両足を巻きつけた。イルカの半ば立ち上がったそれに、ぬるりと股ぐらが押し付けられる。

 久しぶりに感じる女は柔らかく、女の嬌声は興奮した。その自分をたしかにイルカは確認する。女の内部は熱くて、ぬるりとして、容易にイルカを飲み込んだ。蠢くように、全てが内壁に包まれて、女は喘ぐ。その暖かい乳房を、掌で押しつぶして感触を確かめれば、その柔らかさが気持ちよかった。白粉の匂いが、胸から香った。

 女の脚は、イルカの腰にしっかりと巻きつき、イルカを責めたてる。細い腰、白い腹、豊満な胸、柔らかい腕、しっとりとした肌、華奢な首、小作りな面立ち、そして銀色の髪。眼の中で、たしかに銀色の火花が散った気がして、イルカは瞼をぎゅっと閉じた。腰を女の律動に助けられて動かしていれば、女の内壁はイルカを締めつけてきた。
 心地よい酩酊がきて、抑えがたい射精感が襲ってきた。

 ぐんと大きくなったイルカを感じてか、女が嬌声の合間にいいわと叫び、蠢く内壁がイルカをぎゅっと奥へと誘った。それに叩きつけるように腰を押し付け、イルカは精を放った。女も、喘ぎを残して、体の力を抜いた。

 詰めた息を吐き出しながら、イルカは女のなかから自身を引き抜く。ぬめった感触に、体が震えた。女は薄目をあけて、笑った。


「体だけだって、寄り添えばあったかいね。けど、それでも寂しいんならさ、アンタのはりっぱな片思いだよ。寂しい、って相手に言ってあげなよ」


 諭すような声音に、目の奥がつんときた。やばい、とおもって思わず目頭を掌で覆った。
 女の指が、目を覆った手の甲へ、添えられた。すうっとなぞられる。

「言えないのかい?」

 言葉にすれば、声が震えそうで、イルカは首だけを動かした。
 やれやれ、と女がいったのが聞こえた。
 そして温もり。
 女の両腕が、イルカの頭部を包み込み、抱きしめてきた。
 白粉がまた、香った。



「しょうがない男だねぇ」



 女は笑ったようだった。



2003.6.11