黄金の月





 女は翌朝までよく眠り、目が覚めてから、イルカに怯えたような目を向けてきた。
 暗に人殺し、と責められているような気がした。
 殺さなければ殺される、と説いても無駄なことは分かっていたのでイルカは何もいわず、出立を急がせた。
 夜、二度目の襲撃はなかった。だが峠を早く越えることが良いのに変わりはなく、ましてや盗賊のでる峠のこと。イルカとしては、これ以上危険な目にあわせるつもりはなかった。相手は、殺人を目撃して気絶できる人間なのだから。
 雨は夜のうちに大方を降りおとしてしまったのか、霧を残して止んでいた。朝靄のなかイルカと女は先を進んだ。
 目的地についたのはその日の夜。街の大門が閉まる寸前に滑り込んだ。
 女は朝早くからの歩きづめに、疲れ果てた顔をしていた。長い髪はほつれて、じっとりと濡れた肌に張り付いていた。イルカはそれから目を離し、声をかけた。

「契約は大門までとなっていますので、これで失礼します。それから、支度金ですが残金の半分をお返しすることになっていますので…―――」

 懐から、道中に分けておいた半金をとりだして差し出すと、女は首を振った。髪も揺れる。

「いりません。差し上げますのでお好きなようになさって下さい」
「それは…そういうわけにはいきません。契約のうちですから、どうぞ」

 しかし女は受け取らなかった。女の目が、イルカをみた。朝方と、同じ色の目。
 人を殺したのか、殺す必要があったのかと問う色だ。
 イルカが言葉をなくしていると、女は頭をゆっくりと下げた。

「それではありがとうございました。失礼いたします」
「お待ちください。これを―――」

 女はイルカに頓着せずに、背を返した。振り向く気はないようだった。
 その女の髪を、長い黒髪をイルカは重い気分で見送った。

 要らないというものを押しつける気にはなれなかった。イルカは大通りをあてもなく歩き出した。とりあえずは当座の宿だが…イルカは空を見上げる。朝方の霧もどこへやら、綺麗に晴れ上がって、欠けた月も見えた。
 通常、木の葉の里では、支度金の残金の半分は依頼人へ返し、その半分は任務を請負った者へ与えられる。任務報酬とは別の、ちょっとした小遣いのようなものだ。依頼人もそれを承知で、金銭に厳しい依頼人は最低必要額だけをだし、任務が終了したときにはなにも残っていなかったというときもある。
 だが今回の場合は少し違うようだ。

 イルカは肩を竦める。
 手元の残金は、纏めれば縦においても立つのではないかとおもうほど、残っていた。半分にしても、イルカの取り分はかなり多かった。それだけでも「いいんだろうか」と思っていたのに、全てやるといわれても、素直に喜べなかった。ましてや、あんな目で渡されて。
 人殺しの懐におさまっていた金など要らない、という意味だったのだろうかと、皮肉りたくなった。黒髪が濡れて、肌に張り付いている様を思い出した。


 ―――酷く、疲れている。


 急に自覚した。
 昨夜はよく眠っていないし、その前の夜も安眠したとは言い難い。疲れているのも道理だったが、今になって気がついたようだった。
 イルカは一人、苦笑した。
 懐の半金は、里へ預けよう。自分がもらうわけにはいかない。ただ、残りの半金については多少多かろうが気にせずもらっておくことにした。降ってわいた泡銭だ、この里で使って終いにするのも悪くない。
 イルカは宿街へ向かっていた足を、返した。
 大通りを突き当たり。
 花街へと向かった。




2003.6.11