かわりになってよ





 走りつつ、気づいたのはそれが戦いのためのチャクラではないこと。
 刃を交える音もなく、殺気もない。
 辿り付いたイルカがみたのは、わずかばかりに開けた場所で立ち尽くすカカシの背中だった。
 とうに気配をあらわしていたイルカをカカシは気づいているだろうに、振り向きも気にかけた様子もない。ゆえにイルカは声をかけるかどうか、躊躇った。
 カカシの様子があまりに静かで、動かなかったから。カカシの両手は、鮮やかな鮮血に濡れて、さしこむ朝の光にあたって、まるでペンキのように白けてみえた。左手に、額宛。カカシの額宛ては、背中からでもしているのが分かって、それがカカシのものではないと分かる。そしてカカシのあたりにはチャクラの名残が漂っていた。
 言葉もなくそれだけをみて、しばらくしてからやっと、カカシが仲間の死体を処分したのだと思い当たった。気づくのが遅すぎる。しかも、カカシの様子からすれば、知り合いであった可能性がたかい。
 邪魔をしてはいけなかった。
 イルカは背を向けた。戻ろう、気配を殺して。
 どうかカカシがそれを許してくれることを思いながら、足を踏み出したとき、イルカの背に声が投げかけられた。

「出てきてよ」
「……」

 足をとめて逡巡した。
 だが二言目。

「水持ってる? 持ってたら頂戴。あとで返すから」
「…はい、持っています」

 気配を殺したまま、イルカはカカシへ歩み寄った。
 なるべくカカシを刺激しないようにだけ気をつけた。いまのカカシは、声音こそ平常のように聞こえるものの、まとう気配が違った。昨日見かけたような飄々としたものではなく、ピンと張り詰めた、殺気に似た気配。手負いの獣、それをイルカは思い浮かべた。
 手が震えないように気をつけながら、水筒を差し出すと、カカシのほうが両手を差し出してきた。何のことかと思えば、カカシの両手は朱に染まっていた。ようは洗い流せということかと、イルカは筒栓をあけて傾けた。
 細い流れが、カカシの白い手を伝い、朱をこそぎ落としていく。そしてそれは、カカシがもったままだった額宛てに、墨色の沁みをつくった。
 無言でその流れを見つめているとカカシがいった。

「アンタは手を洗わないの、それ」

 言われて、イルカは自分の手をみた。水筒におさめた清水とは違う、赤黒くまみれた自身の右手。

「いえ…」
「ふぅん」

 残り水も少ないことから否定を口にすれば、あいまいな相槌。もういいよ、といわれて筒を戻せば、唐突に手を捕られた。そして、カカシはどうでもよさげな顔をしながら、濡れそぼった額宛ての布で、イルカの手を拭いはじめた。

「え、そんな、けっこうです…っ」
「いいから。黙って」

 たぶんその額宛ては死した忍びのものであるのに。頓着していないカカシより、イルカのほうが身を竦ませてしまう。
 ぐいぐいと、こびりついた血糊をカカシは拭っていく。
 ぽつりとカカシが呟いた。声は穏やかに聞こえた。

「約束でね。自分が死んだら俺に処理して欲しいって言ってたから。バラすのはあんまり得意じゃないから手が汚れた」

 はい、と小さく返答した。カカシの額宛ては、いまは真横につけられ左目もみえるようになっていたが、カカシの顔は、覆うようにのびている銀髪にかくされてみえなかった。泣いているようには思えなかった。穏やかすぎるとも思えたが、それでもこうして人ひとり殺している自分が平然としているのだ。戦友を亡くしても平然とできるのかもしれない。
 イルカは左手を腰で拭った。
 温い体温が、どうしても気になった。その仕草が目にとまったのか。

「なに? そっちも手ェ出して」
「…いえ、こっちは」
「早く」

 有無をいわせないカカシのペースへ、左の掌をだせば「なんだ、汚れてないね」といった。それはそうだ、汚れているのは平然としているイルカ自身の心なのだから。
 黙然と手を拭い続けるカカシ。やがて、大方を拭い終えると、顔をあげた。

「ねぇ、悪いんだけど」
「はい」
「かわりになってよ」

 イルカは返事ができなかった。何のかわりなのか、それが分からなかった。
 返事をしないイルカの頬へ、なぜか黒く汚れた額宛があてられた。ひやりと、金属の冷たさが身を竦ませた。
 カカシの顔が近づく。右目は、明るさの中でみると青く透けてみえた。左目は――――――赤かった。

「あいつとはさ、ココにきてからずっとだった。隊のみんなはそれ知ってるし、他の女に頼むのも悪い。でも、…あいつの温度を忘れそうでさ、だから―――」

 死んだのは、夕刻にみた黒髪の女、だったのか。

「かわりになってよ」







 むしりとられた額宛。髪もついでに引っ張られて痛みが走った。樹に押し付けられた背中も痛い。息がつまったうえに、貪るように唇が押し付けられた。酸素を求めてあけられた歯列へ、遠慮もなく舌が進入し、かき回した。イルカの舌を撫で回し、唇を吸った。
 荒い息遣いが、イルカの喉から抜けていく。
 酸素を求めて鼻から息を吸い込めば、むっとした緑の香りが肺を満たした。
 カカシの掌がベストを脱がし、そのアンダーへ滑り込んでくる。胸の突起を、掌と指のさきで擦り上げられた。

「…ッ」

 血を流すのではない痛みが、じんと背筋に溜まった。は、と息継ぎが漏れ、イルカの脳に届く。赤い血が、脳に回る。赤い色が、目の裏にちらついた。ぎゅっと瞼を絞れば、カカシの赤い舌が、閉じるのを待っていたかのように瞼をねぶっていった。
 性急なカカシの手が、下衣に伸び、下着ごと股関節までずらしイルカの尻を掴んだ。指が、その谷に割り入って後腔を探る。その段になってやっと、イルカは我にかえった。

「え、ちょ…っ」

 どくどくと波打つ心臓で、イルカは身をよじった。手をカカシの肩にあて、つっぱってみる。だが、その手首を軽々と捕られて、樹に押し付けられた。そして抗議も許さないように、唇を塞がれた。その熱さに、心音がまた早くなった。
 後腔を探る指先がそれにたどり着き、おもむろに片足が抱え上げられた。なにをと思う間もなく、あてがわれたのはカカシの欲望。イルカからは見えないそれは、信じたいものならばただの棒かなにかだと思いたかった。尻にあたるそれは熱く、大きかった。
 さーっと血が引いていく。
 嘘だ、言いたくてカカシをみれば、カカシもその目でイルカを見つめ返してきた。その目の奥にはただ獣のような情欲があるだけで、言葉もなく、唇がイルカの唾液に濡れた唇を啄ばんだ。
 ぐ、と入り口を押し、言葉にならないほどの異物感が、イルカの下半身を支配した。

「ひ、あ…ッ、ああぁ…!」

 カカシに押さえ込まれた身体が、樹の幹を無意識にずり上がった。それをカカシに引き戻され、抱き込まれた。熱量が、体温が、尻の肉にあたり、ただ恐ろしかった。激痛に涙腺が緩む。背をしならせて、悲鳴を漏らせば、カカシが喉元に舌を這わせて、いっそう深く繋がってきた。
 入りきらない。
 囁かれたような気がした。だがイルカの耳には聞こえても、理解は出来ず、ただ痛みに堪えていた。身体が強張る。
 カカシの掌が、イルカの双尻を割る。そして繋がった部分へ、指先をなぞらせてきた。後腔のいまにも切れてしまいそうな箇所を無遠慮になぞられ、イルカは声を上げる。涙がこぼれた。カカシが身体を揺する。

「…っ、ぅ、あ、ぁ…っ、や、ぁ…」

 声は声にならず、まるで下半身の痛みが肺まで痛めつけているように、息だけが漏れる。ぎゅっとカカシがイルカを抱きこみ、痛みに声をあげるイルカを、なおも揺すり上げた。ぐ、ぐ、と異物感が増した。

「あ、ぁ…り…む、り…無理、だ…ッ」

 逃げたくて。
 カカシの腕から、この痛みから。
 うわ言のように言えば、

「手、俺の背中に回して。抱きしめて」

 カカシも苦しいのか、擦れた声が言った。イルカは考えることもなく、いわれたとおりに手を回し、抱きしめた。そうでもしないと、痛みが何もかもを圧倒してしまいそうだった。顔も、カカシの肩口にうずめ、唇をかみ締める。いまさら、カカシの体臭のようなものが鼻についた。けれどもそれは深緑のかおりに酷似していて、それよりもしがみついた己の指のあいだから香る血臭こそが、カカシの色と匂いであるような気がした。

「…そう、それでいいよ」

 カカシは笑ったようだった。しがみつき、震えるイルカに。そして、押し付けたイルカの身体を、樹と挟むようにして突き上げる。入らない、といった言葉が嘘だと思いたかった。それほどに、カカシが動けばイルカの下半身は大きなもので満たされ、引きずられれば何もかもが掻き出されるように思えた。悲鳴は、噛み締めた唇からも漏れた。
 カカシが黒髪に口付けた。
 慣れない行為と痛みに、聞く力もないイルカに、いっそ柔らかくカカシは告げた。

「ごめんね、今回だけだから」

 そうして突き入れられた熱に、イルカはとうとう意識を手放した。





 意識が戻ったとき、イルカは設営地の真ん中、樹の根元にいた。思わず時刻はいつかと、もたれていた樹から身を起こせば、激痛が背筋を走った。タギの声がした。

「もうすぐ出立する、支度はいいか」

 とっさに返事をできず、ぽかんと傍らにたったタギを見上げた。どうして自分が今ここに、しかも衣服も整えられて、毛布などはないとはいえ寝かせられていたのかが分からなかった。イルカのなかでは、最後に走った痛みはまだこの身にある。夢だと思えれば良いが、そうでないことぐらいは分かる。
 タギは苦笑した。

「―――…カカシがお前を運んでそこに置いていった。悪かったといっていた。…いったい何のことかはわからんがな」

 おそらく、分からないというのはタギの気遣いだっただろう。イルカの血の気のない顔、カカシの言葉、外傷もないのに起き上がれないほど疲労しているイルカの様子をみれば、容易に想像はつく。触れないのは思いやりであり、同時に慰めだった。

「はい…―――、ご迷惑をおかけしました。出立は可能です」

 イルカは軋む全身を、騙し騙し立ち上がった。よくあることと聞いていた。それがまさか、自分のような見栄えのしない男にふりかかる話だとは思わなかったが。カカシもたしか、今回だけだと言っていた。手近にいたから、自分を代用したのだろう。ちょっとした災難だったと思えばいい。
 ひとつで結い上げた髪を振り、気を取り直すためにイルカは水筒をとりだし、口をつけた。中身は、真新しい水で満たされていた。



2003.6.2