それ、お願い?




「うわー、可哀想。だいじょうぶ? 凄い音、したもんねえ」
「……」

 こいつの言う、カワイソウに、世間一般でいう可哀想の意味は爪の先ほども含まれちゃいねえ! 
 オレはそれを確信した。
 むしろ、そのウキウキした声。

 騙されねえぞ、オレは!
 面をつけてたってわかるんだ、ソレぐらい!
 ムカついて、頬に手を当てたまま睨みつけたら、テントからのったり出てきて小首を傾げやがった。

「なあに、その目」
「…なんで」

 ぼそりと呟くと、にたりと笑ったのが分かった。
 じわりと滲み出る気配が、浮き足立つような色にさえ感じた。
 きっと、仮面の下は、ムカつくぐらいのいい笑顔ってやつだ。

「さーあ? ちょーっと、神聖な職場で男漁りはどうかなあって思ったから釘さしただけだけど?」
「は…」

 はぁ!?
 なに言ってんだ、こいつ!
 彼女のどこが男漁りなんだよ!
 やっぱり追いかけよう! と身を翻しかけたオレの耳に、さらに浮かれた声が。

「そんでえ、アンタが迷惑してて困ってるって、言ってあげたの」

 駆け出そうとしたオレの動きが止まる。
 奴の面を見ると、面自体の様子なんて変わってないはずなのに、まるで嘲笑してるように見えた。

「そんでさ、アンタ使って俺に近づこうとしてんじゃない、とかちょっとからかっただけなのにいきなりキレてさあ。あれ、図星だったのかな?」

 彼女の去り際のセリフが頭に蘇った。
 なんて。
 酷い。
 オレのプライドとか、彼女自身の尊厳、とか。
 そういうのをせせら笑ってることがはっきりと感じられた。
 性格悪いとか…そういう問題じゃないだろ、コイツ!

「なん、で」
「ん? なんで、っていわれてもー、あー、邪魔だったから、かな」
「なんで、そんなことする必要あるんですか、オレの、ことなのに…っ」

「いいじゃない、別に」
「よくねえ! 別に全然よくねえよ!」

 頭からすっかり抜けた敬語に気づかずに俺はだんだん声を大きくしてた。
 周り全部が、忍びらしい横目でこっちを伺ってるってのも頭から消えてた。
 謝れ、って言葉が口から転がり出た。

 あんまりこいつが酷くて、許せなくて、勝手に口が叫んだ。
 オレに謝れって。

「謝れよ…っ」

 涙が滲みそうなぐらい気持ちが昂ぶってて、声が震えた。
 オレにも、そして彼女にも、謝ってほしかった。

 仮面が、ちょこんと傾げられる。
 能天気な声。

「えー? なんて謝れっていうのー?」

 あんまり無責任で罪の意識もないセリフに、オレは血管が切れる音を聞いた気がした。
 後先も考えず、言葉が頭に浮かぶ。
 感情のまま、叫んだ。



「このオレに頭下げて、土に顔擦り付けて、跪いてアンタ―――オレに、土下座しやがれ!!」



 ふーふーと威嚇するネコみたいに喚いたオレ。
 動くもの全てが止まった瞬間。
 静まりかえった広場。

 その中で、はたけカカシはゆっくりと面を外した。
 恐ろしく綺麗な顔だった。

 秀麗な目鼻立ちが、美しく笑んでいた。
 宝物を手に入れたかのように、至福の笑顔で。

 酷く、綺麗だった。
 呆気にとられたオレの口がぼんやり開く。
 いいよ、と囁いたのを聞いたのは、たぶんオレだけ。

 間近での囁きをオレの耳にだけのせて、はたけカカシは音ひとつ立てないしなやかな動きで、土に膝をついた。
 目を瞠るオレの前に両手をつき、頭を下げ、ジャリッと額が土にこすれる音が響く。
 固まった身体の先端、脚のつま先に感じたのは、濡れた温もり。

 それが、いつのまにか膝でいざりよって来たはたけカカシの唇と舌だと気づいた瞬間。
 オレは逃げるために身体をひるがえし、そしてあっけなく捕まった。
 あっというまに抱え上げられる身体。

 頭の中は、しまった、やられた、迂闊だった、どうしよう、の豪華な四重奏だ。
 だって、願いを言ったら、願いを叶えられてしまったら、危ないって自分で分かってたのに!
 なんて後悔しても後の祭りってやつだ。

 もう遅い。

 オレを抱え上げたはたけカカシは、ぽかんとする周囲を置き去りに、夜明け前の暗がりへと跳躍していた。




2008.6.8