抱きしめて、キス
任務の終わりは唐突だった。
翌日、やはり遅めの朝食を取っているときに、終了の知らせはやってきた。
トントン、と軽く叩かれた玄関の扉。
気配はなかったが、忍びが多く住むアパートでは珍しくなかったから、不審には思わなかった。ただ階段を登ってくる足音が、自室の客だったことに少し驚いていた。
はい、と返事をしながらカカシをちらりと見たが、カカシはそ知らぬ顔で手製のオムライスを頬張っている。
食べている姿だけは、同じ男のイルカでさえ見惚れるほどだが食べているものが黄色い卵ののったケチャップライスのコントラストだから、つい頬が緩んだ。
スプーンを置いて、玄関へと立つ。
開けると、医療忍者の服装をした男が一人と、その横に忍び服の見知らぬ男が居た。
「すいません、うみのイルカさんの御宅はこちらですか」
やけに丸い目が印象的な男だと思いつつ、頷いた。
するとカカシ先輩はいますか、と訊いてきたから、さらに頷くと、やおらイルカの肩越しに大声を出した。
「カカシせんぱーい、悪いんですけど時間切れです。火影様から、働けってご命令がでてますよ、これ」
これ、といいながら男が取り出したのは巻物で、間違いでなければ任務書だ。しかもAランク以上を種別するために使われる色の。
しかし、とイルカは声を上げた。
「あの、カカ…はたけ上忍はまだ話すことが…」
言いかけて、隣の医療忍者がいることにいまさら思い当たる。
この場でかは分からないが、治す準備があるということなのだろう。
振り返ってカカシを呼ぼうと首をめぐらした、視界の横をぬっと腕が突き出て、男の巻物を取り上げた。
「ちなみにそれ、僕もまだ見てないんです。あとで返して下さいね」
カカシはイルカの後ろにきていて、半畳もない狭い玄関口を挟んで男四人はむさくるしい。無意識に半身をずらす。
男がとうとつにイルカに向けて、
「あ、カカシ先輩の私物とかあれば持って帰るようにいわれてるんで、お願いします」
まるで、カカシが帰りたがらないことは分かっているから無理に引き上げさせて来い、と命令を受けているかのような言い方で、呆気にとられた。
カカシが大きなため息をついた。
玄関口の壁に背を預けて、腕を組む。
ここ数日のうちで見たことがないほど、不機嫌な顔をしていた。眉間に深い皺までよっている。ただ、厳しい表情も巻物をみているからでなく、視線は丸い目の男のほうへだ。
男も少なからず気分を害したように、
「そんな目でみないでくださいよ。僕のせいじゃありませんし、三日も休んだってききましたよ」
そういって両手を軽く頭の横にあげて、降参している。
じっと睨んでいた顔が緩んで、ふぅ、と大きなため息がカカシから漏れた。
「カカシさん…」
上忍の忙しさは、受付も兼任しているから充分承知している。カカシほどの忍びが、この時期に三日も休めたのは確かに珍しいとは分かる。
けれど、この状態だからこそ一週間とはじめにいわれていたのに、三日になるのならば、無茶なように思えた。
三日も休めた、のではなく、三日しか休めなかった、と感じたから、眉をひそめてカカシを見る。
イルカの視線に気づいて、カカシは険しい顔をふっと和ませて微笑んだ。
そして玄関先の二人へ、待っていろ、というように顎で示して、返事も待たずに扉を勢い良く閉めたのだった。
「カ、カカシさん?」
にこやかにイルカの肩を叩いて、ベッドがある部屋のほうへと消える。
なんだろうと後姿を目で追えば、食卓が目に入った。カカシの昼食が綺麗に無くなり、洗い場をみると既に洗われていた。
もしかしてイルカが立ったわずかの間に、食べ終わったうえに洗ったのだろうか。まるで来客の用が分かっていたようで、なぜか置いていかれるような心地がした。
気重だった一週間の任務が早く終るのなら、これ以上嬉しいこともないはずなのに、いまさら寂しい。
カカシの不思議な行動と態度に、ようやく折り合いをつけることができ始めたからかもしれなかった。
カカシが消えた部屋を覗くと、後姿がベストをはおっていた。
ああ、行くのだなと思う。
「カカシさん、まだ体調は充分ではないのでは…」
あんなに睡眠をとっていたのだ。
思い出せば、最初に『ずっとねてます』と書いてよこしていたのだから、いらぬお世話かと思いつつも言ってみると、振り返ったカカシが困ったように笑って、首を横に振った。
音も無く歩み来て、イルカの手のひらをとる。
『大丈夫』
指でなぞられた文字を読んでも、イルカはその言葉を信じることはできなかった。勘でしかないが、カカシの笑顔に無理を感じていた。強がる子どもと同じだ。
イルカはその無理を、不調を隠すためだとおもった。
「ですが、昨日もずいぶんと寝ていらっしゃったでしょう。俺からみれば、まだ回復は充分ではないと考えます。俺から火影様に―――」
いいます、という言葉を最後までいえなかった。カカシの手のひらが、イルカの口を柔らかく塞いだからだ。
額宛をして、口布もしているカカシが、眉をすこし下げて笑っていた。
口布が、近くでみれば分かる程度の隆起で動く。大丈夫と言っていることは分かった。
「―――わかりました。…お気をつけて」
この言葉には、嬉しげに濃蒼の瞳を細めて、頷いている。
イルカの手のひらを、指がゆっくりと滑った。
『ありがとう』
これから任務にいく忍びに、当然のことをいっただけなのに、あらためて礼をいわれると面映かった。
「―――なにも世話らしいこともできませんでしたが…」
気まずさから呟くと、いいえ、とカカシは首を横にする。
そしてイルカを引き寄せ、けして強くない力で抱きしめた。
突然で驚いて反応もできないでいるうちに、カカシは抱擁をやめ、イルカの横をすり抜けていく。
カカシさん、とイルカが振り返ったときには、既にカカシはイルカの家から出て行ったあとだった。
2009.03.31