抱きしめて、キス
カカシに何度か食事に誘われた。
そのたびに、仕事があるから、間に合いそうにないからと断っていた。
別にどうしても行きたくないわけではなく、本当に都合が合わなかっただけで、内心、カカシに誘われることが浮き足立つほど嬉しかった。
たとえ教え子の情報交換という名目でも、名が通っている上忍に話しかけてもらえるというのは光栄だ。
だから、申し訳なくおもいつつ断ったのだが、幾度目かの誘いのとき、アスマやガイも来るからどうかな、という誘いになった。
ちょうど早く帰れそうだという日だったことも幸いして、喜んでと返事をした。
なぜかカカシは、良かったと言いながらあまり良くなさそうな浮かない顔だった。
結局、宴席ではアスマたちと話が弾み、肝心のカカシは酒を呑むばかりで話もろくにできないまま。後日、なぜかごめんなさいと謝られて、冷や汗が出た。
指導について訊ねられたこともある。
自分よりも階級が上で、年嵩で経験も積んでいる男に、なにも有効なアドバスなど思いつかずに、普通でいいんじゃないでしょうか、と搾り出した。
すると男は困ったように、見えている右眉を下げて、
「普通って、なんですか?」
と訊いてきた。
思い出すのも嫌なほど、あのときの自分は愚かだった。恥ずかしさと居た堪れなさで背中一面に汗をかいて、なんとか答えたのは、またしても愚にもつかない言葉。
「カカシ先生が良いと思ってされることがそのまま普通だと思います。カカシ先生にはカカシ先生のやり方があると思います」
答えにもなっていない。
ただ責任をカカシになすりつけたような言葉だったのに、カカシは、それは嬉しげに笑って、ありがとうと言った。
その笑顔だけが、酷く目に鮮やかに残った。
夜道で出会ったこともある。
声だけが、頭上から降ってきた。
「こんばんは、イルカ先生。お疲れ様です」
深夜に近いころで、夜勤の帰りだった。夜風にのって、血臭が薫った。
「…カカシ先生もお疲れ様です。…お怪我はありませんか」
姿は見えず、声は頭上だが、やや後方のような気もする。振り向いてはいけないと思っていた。カカシが嫌がるだろうと感じた。
だから振り向きもせず、怪我の有無を訊いたが、しばらく待っても返答はなかった。差し出がましい口をきかれ気分を害したのかと危ぶむほど待ってから、ひっそりと囁きがきこえた。
「―――ないです、ありがとう」
そのまま去りそうな気配に、咄嗟に、おやすみなさいと挨拶をした。吐息のような笑いが聞こえた気がした。
「おやすみなさい、イルカ先生」
血臭が消え、気配も夜に融け去った。任務終了後の、通常でないときに、どうしてわざわざイルカに声をかけたのか分からなかったが、あの吐息のような笑い声をきけて、イルカは安心したのだった。
光が眩しく、目を覚ましたとき、今日もカカシがイルカにしがみ付いていた。
少し開けていた窓から、春の土の香りが風になって匂う。
布団がずれて、白っぽい頭髪が柔らかいタワシのように透間から飛び出ていた。
重い。
あとは、首元が肌寒い。
寝ぼけたまま布団を持ち上げて、カカシに充分かかるようにした。自分は身体をずらして布団に入り込む。このさい、カカシと顔がちょっとぐらい近くなろうが、心地よい眠りには代えがたい。
身体をずらすと、カカシもぐずるように寄り添ってきた。
室内で動物は飼ったことがないが、こんな感じだろうかと、なにも考えずにふわふわした頭髪を撫でた。
夢の余韻も手伝っていたのだろう。
心地よい春風の匂いと陽射しも、気持ちを緩やかにした。
湿った土と緑と花弁の香りがする。
桜はもう散ったろうか。
カカシは起きていないようで、撫でられるがままだ。案外、柔らかい手触りが心地よく、毛並みを整えるように撫でる。
いいこ良い子、と思う。
普通ってなんだと訊いたり仕事しかない奴だといってみたりしながら夜中まで忍びしてるあんたは良い子だよ、と思ってみたりする。
だから、ゆっくり眠って、ゆっくり休むといい。
それはあんたに許された休息だから。
撫でながら、またまどろんだ。
2009.03.31