赤い実




 その年の花夜は、無事に済んだ。次の年の花夜は一五になる者同士で、里は大いに賑わった。
 それぞれの相手が、互いを指すとき、寿ぎの意味も大きくなるものだ。
 イルカの仕事も順調で、五年もたてば、やんちゃばかりの幼子が十をこして背も伸び始める。
 ましてや出会ったときに十に近ければ、花夜を迎える年にもなる。

 イルカの二度目の任期切れを待つ秋。
 その年の花夜は、カカシになっていた。

 里では年頃の娘をはじめ、浮き足立つものが多くなった。
 カカシは数年前からよく娘から想いを打ち明けられ、断るということを繰り返していた。それでもカカシに想いをよせる娘は絶えず、ずいぶんと前から話題になっていた。
 カカシと花夜を迎えるのは誰だろうと。

 春のくるまえから茶話のネタに上るほどで、イルカは他人事ながら大変だとカカシを眺めていた。
 本人は全く気にしていないように、相変わらず学舎では教師然としているし、娘からの求愛はことごとく断り続け、相変わらずイルカには素っ気ない。
 もうイルカも諦めた。
 カカシはああいう人となりなのだ。
 仲良くなれなくていい。
 会話も多くを望まない。
 つかずはなれず、それが一番いいのだと思うようになった。
 だから、カカシの話題になればイルカは同じ屋根の下の人間のことなのに、まるで遠くの人の話をきくように感じていた。
 それが180度ひっくり返ったのは、夏の終わりだった。










 今年こそは戻っておいでと学院からの書状もあり、秋の花夜の儀式が終われば、街へと一度戻ろうと借り家を掃除していたときに、長が珍しく厳しい顔をして、やってきた。

「イルカ、ちょっと…いいかな」
「はい…なんでしょう」

 いつも穏やかに微笑んでいる長がどうしたのだろうと驚き、とりあえず暑いから家のなかへ、というのに首を横に振る。

「四代目、どうされ…」
「イルカ先生」

 イルカの声に、素っ気ない声が重なった。
 みれば長の後ろに気配もなく、付き従う姿があった。
 すらりと伸びた背に、かわりのない涼やかな面。
 まだ十五手前だというのに、背丈はイルカより少し高い。
 顔もぐんと大人びた。
 里の娘が浮き足出すのが分かるほど、この暑いのに、カカシの立つ場所だけ涼しげにみえるほど、凛としている。

「カカシまでいったい―――」
「俺はこれを、あなたに渡しにきただけ」

 すっと前にでて、カカシがイルカの手をとる。ひやりとした指先が、イルカの手のひらに臙脂色の結い紐を落とした。指三本ほどの長さの紐の両端には、濃い珊瑚の飾り玉がついていた。
 一目見て、里では手に入らない大層なものだと分かる。

「カカシ…? これは…」
「知ってるよね? 花夜の相手に贈り物をすること。返事は四代目から聞くから。駄目だったら、そうだな…遅くなったけどハンカチのお礼だと思って」

 そんなことを勝手に言い、あっけにとられるイルカを置いて、さっさと姿を消してしまった。
 もう六年にもなる昔のことだ。
 第一、ハンカチは助けてもらったお礼だったのだから、そのお礼も変だ、という隙もなく。

「あー…」

 気まずげに長が後頭部を掻いている。
 言葉もなく、見つめるとしどろもどろに言い出した。

「実は、イルカに頼みごとがあるんだが…いや、私もあの子があんなに一途だとは思わなくて、人並みの恋もするのかと応援していたんだが、まさかここまでとは思わなかったんだ、止めなかった私も悪かった、本当にすまない、イルカ!」

 がばっと下がった頭に、慌ててイルカは長の体を起こした。
 イルカが里に来た当初は、若々しいばかりの長だったが、最近は貫禄も出てきて、見栄えも良い。
 そんな男に頭を下げられては、恐縮するばかりだ。

「ど、どうされたんですか。というよりも、あの、話が見えないんですが…」

 確かに花夜に決めた相手に、贈り物をするというのは聞いたことがある。
 里のわらべ歌にもなっているほどだ。
 これからの人生を健やかに、との願いを南天の実にみたてた飾り物を送ると聞いた。

 イルカは手の中の結い紐をみる。
 色の濃い珊瑚は傷一つなく磨かれ、南天の赤とまではいかないが、充分に美しかった。
 だがこれをカカシがイルカに渡す意味が分からない。
 イルカは天涯孤独で、姉も妹も年近い叔母もいない。

「カカシはなにか勘違いをしているのではないですか? それを正さずに四代目は申し訳なく思っていらっしゃるんですか?」
「いや…」
「ではどうして…」

 本当に不可解で、いったいこの結い紐をどうすればいいのかと困っていると、長が突然、イルカの両手を握り締め、すまない、と言った。

「さきほどからすまないと仰いますが、いったい…」
「イルカ。この里の長として君に願う、どうかカカシの花夜の相手になってはくれないか」
「カカシの、花夜に…?」
「そうだ。カカシがどうしても君といってきかない。どころか、君でなければ花夜などせずとも良いと言っているんだ」
「よ、四代目、ちょっとご冗談が過ぎ…」
「冗談ではない。何度もカカシの意思を確かめた。他の長老の方々も、カカシの意思がゆるぎないというので承諾された。どうか受けて欲しい。あの子の願いを、できるなら叶えてやりたいんだ」
「え、ちょ、ちょっと待ってください…!」

 話についていけない。
 あのカカシが?
 自分を花夜に指名し、あまつさえ長や長老方にまで話を通した?

「そ、そんな馬鹿な話がありますか!」
「あるんだ! ここにあるんだから仕方が無い。イルカ、どうか考えて欲しい。あの子は里のためによく頑張ってくれた。君ももちろんそうだが、あの子がこんなにも強く望んだことは今まで無かったんだ。それを叶えてやりたい」
「で、ですが、俺は男ですよ!?」
「わかってる。カカシにも何度も確かめた」
「確かめて気が変わらないんですか? カカシも四代目も暑さで頭でも可笑しくなったんじゃないんですか」

 とうとうイルカは吐き捨てるように言った。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。可笑しいだろう。あのカカシが自分を、などと。
 あまりに可笑しくて、本当に笑ってしまいそうだった。
 だが長は真剣な眼差しで、手をイルカから離そうとしなかった。

「いや、本当なんだ。真剣に聞いてくれ」
「……」
「君に、カカシの花夜の相手役を頼みたい。もし受けてくれるなら里として君の意向にできるだけ沿うように事を運ぶようにする。約束しよう」
「そんな…」

 花夜の相手役は、断ろうと思えば、断れる。
 だが多くの場合断られることはない。長が、里を代表して願い、頭を下げるからだ。
 初花は特別だからね、といつだったか花夜に長が言っていた。
 若衆として里を巡り、返ってきたイルカを労ってくれ、酒を呑みながら話した。夜があけて、一緒に飯を食べるのは、望んだ相手一番いいにきまっているだろう? と。
 長としての責任と、暖かさの入り混じった言葉。

「…けど、けれど分かりません。カカシはどう見ても最初から俺を毛嫌いというか、あまり」
「それはカカシ君が悪い」
「…」

 長にまで肯定される無愛想、というのも呆れる話だ。
 イルカの脳裏に、いままでの素っ気ない声や横顔が思い出され、その合間に、山で助けてくれたときの水の美味さや、街へ戻らないときめたイルカを、馬鹿だといった背中が浮かぶ。

「自分でも分かっているようだけど、直せないんだろうね。ただ、あの子があんなに頑なにしていたのは君だけだった。…だからこそ、私が気づけた、というのもあるのだけど」

 たしかにいわれてみれば、カカシがあからさまに冷たく接していたのはイルカだけだった。
 だがそんなことで気づけといわれても困る。




2006.8