赤い実




赤い実 あげよ
あのこにあげよ
べにさし かんざし
あのこにあげよ
十五のはなよに
あのこにあげよ








 子どもたちの不揃いでいて元気な声が、夕暮れ近い里のあぜ道に聞こえていた。里長の屋敷へと、彼岸花の並ぶあぜを眺めながら歩いていたイルカは、足をとめる。
 柔らかなほおずき色の家畑の道むこう、ちんまりとした影が五つ、手を繋いでいるのがみえた。

 唄の意味はよくわからないものの、ほっとするほどのどかな景色。
 かぁ、と烏が鳴く。
 空は薄くのびたいわし雲が、山間に沈もうとする陽の色をうけて、向日葵色や枯葉やほおずき色に染まりつつあった。
 首をめぐらせば山は紅葉や広葉樹の暖かな色をたたえて、里の周囲に広がり、田畑を見守るようになだらかな谷を作っている。
 点在する家々は裕福そうにみえないまでも、しっかりとした木造で屋根には穂波がたっぷりとかかっていた。
 あぜ道はしっかりとふみしめられ、荒れた田畑はなく、今の季節、刈り取りをまだかと待ちわびるように重い穂が、夕風にそよいで見渡すかぎりの豊かな実りをみせていた。
 目の端にうつる、紅の彼岸花と穂波、夕暮れの空に子どもの唄声。

  夢にみるような、美しい里の景色。

 イルカは、街からの道のりで知らないうちに強張っていた肩を落として、ふう、と息をついた。
 肩とおなじように強張っていた顔を緩めて、屋敷まであとひといき、止めていた足を動かした。









 街から遠く離れた里へ、イルカは教員として派遣されてきた。
 将来、街の学院で教鞭をとることを志すものが、教習もかねて周辺の里村へ教員を派遣されることは珍しいことではなかったが、いざ里長の屋敷につき、顔合わせをしたとき、長は驚きを隠せなかったようだ。
 あんぐり、とまではいかないが、口元が言葉を発しかけて開いたままだ。
 イルカも内心、思わぬほど若い里長に驚いていたが、それは隠し、改めて口をひらいた。

「当年、二十と一つになりますイルカと申します。このたびご要望により三年、こちらの里でお世話になります。なにぶん若輩ゆえ、教えるより教わることのほうが多いかとおもいますが、精一杯頑張りますのでどうぞご指導よろしくお願いいたします」

 一月もかかった道中のあいだ、ずっとそらんじていた口上を、一気に言った。
 そして街の学院からの紹介状を、畳の上へすっと滑らせた。
 自分が、派遣教習員としては異例に若い部類に入るとわかっている。
 けれど、街の事務室でもめていた様子をみてしまったイルカとしては、若いからごめんこうむるといわれても、帰るに帰れないところではあった。
思わぬ事故で両親を無くしてから、学院に奨学生としておいてもらっていた。こんな辺鄙なところ、だれが行くものか、ともめていた職員から、ここぞとばかりイルカは紹介状をもぎとってきたのだから。

「こちらが学院よりの紹介状です。お確かめください」

 言葉とともにさらに前へと差しだした書状を、里長はイルカにいわれてはじめて気づいたかのように、目をせわしなく瞬かせて、二度三度と頷いた。

「あ、うん、あいわかった。こんな遠いところまでその若さで感心なこと。この里は見ての通り小さく、子どもの数も限られています。けれど教育は人と場所を選ばぬもののはず。幼心とはいえ、こんな場所に住んでいるから、とは思わせたくないという私の我侭、学院に聞き届けていただき、ありがたくおもっています。イルカ殿にも、まことに感謝する」

 深々と下げられた穂波色の頭に、イルカもあわせて頭を垂れた。
 そして上がった里長の顔は穏やかに微笑んでいた。

「さて、君がきてくれて本当に嬉しい。イルカ、と呼んでもいいかな?」

 イルカと十も離れていないだろう若い顔には、嘘の無い表情があって、イルカもこだわりなく頷いた。

「里長どのは…」
「私のことは四代目、と呼んでくれればいいよ。みんなそう呼んでいるから。イルカの住む家はこちらで用意させてもらったよ。うちの離れなんだが、ちいさな庭もついているし、ささやかなものだけどうちの蔵書があるんだが、その部屋にも近い。よかったかな?」
「ありがとうございます」
「よかった。そうそう、うちには息子が一人、ちいさいのがいてね。ナルトというんだが、また夕食のときに会えるとおもう。今日はお客人がくるから大人しくしていろといったんだが、いうことをきかない子でね…」

 長の顔がつかのま、父親の顔にかわり、イルカは頬を緩めた。もう時刻も夕食迫る頃だ。朝から待っていたのなら、それは待ちくたびれたのだろう。
 もしかすると来る際にみた唄歌う童たちがそれだったのかもしれない。

「楽しみです」
「また学校でも面倒をかけるとおもうが、よろしく頼むよ。きつーく叱るぐらいがちょうどいい子だから、手加減なしでやってくれ」
「それは…善処してみます」

 じつのところ、イルカは実習はこれが始めてであったから、生徒でいえば一年生も同然で、学院配布の指導書はもってきているが、ここでいう「きつく」がどの程度かはよく分からない。
 まあ、長の人柄をみるかぎりでは、そう緊張することもないように思えたから、イルカは頷いておいた。
 指導書の重要十項のなかには、指導員むやみにうろたえるべからず、とある。

「ではこれから学舎の場所を確かめに出たいと思うのですが」
「これから? もう日も暮れるよ。学舎とはいっても里の集会所だし、明日あの子と一緒に行けば良い」
「遠くなければすぐに戻ってきますが…」
「うーん、足元が暗いから街からの先生には危ないと思うんだけど…あ、そうだ。そうそう、うちにはもう一人、客分ではないけど、面倒をみている子がいてね。忘れてたわけじゃないんだが、先生が来るときいて最近拗ねていて、今日も紹介はしなくていいとそれはもう口うるさく」
「四代目」

 不意に、声が襖の向こうからした。
 四代目の口がぴたりと止まる。しまった、という風に笑みが張り付いている。

「失礼します」

 気配もなく、声がなければ襖がひとりでに動いたと思えるほどで、イルカは驚いてそちらをみた。
 先ほどまで誰もいなかったとおもったのに、音もせずに来たのだろうか。
 襖をあけた少年は、見たところ十を過ぎるかどうかの頃合。
 珍しい銀髪に、涼しげな顔立ちをしていた。
 一瞬、視線がかち合い、すぐに逸らされる。
 手には茶がふたつのった盆があり、しげしげとイルカが見るあいだに、小さな身体はそつなくイルカと四代目へと茶をだしていった。
 そして入ってきた襖のまえで居住まいを正して向き直った。

「はたけ、カカシ。遠路はるばるようこそお出でくださいましてありがたく存じます。わきまえも知らぬ田舎者でございますが、なにとぞご甘受くださいましてご教授くださいますようお願いいたします。では失礼します」

 一気に述べられた口上に、イルカは気おされて顎を引いていた。幼い声ながら、慇懃無礼、というのはこういう口調をいうのだろう。
 綺麗な顔をしている少年の目は、いまはまっすぐにイルカをみていたが、明らかな敵意が混じっている強さで、たじろぐほどだった。

「…カカシ君」

 わずかに硬くなった長の声が、襖のむこうへ下がろうとする少年へかけられたが、少年は気にする様子もなくそのまま襖は閉められた。

「あー…その、すまないね」
「いえ…」

 遠ざかる足音が消えるのをまって二人の口からこぼれたのはそんな言葉だった。
 唖然とする、というのかもしれない。
 諸手をあげて歓迎されるとまではいかないが、基本的に喜びとともにむかい入れてもらえるものとおもっていた。
 少年の態度はイルカにとって驚きとしかいいようがない。

「なにか…気に障ることでも」

 多少不安になって、恐る恐る聞いてみれば、長は決まり悪げに後頭部を掻いた。

「いや、君にはまったく非はないんだ。ただ」
「ただ…?」

 いいにくそうに四代目は口を開いた。

「みればわかると思うけれど、彼はまだ十にもなっていない。九つなんだ」

 やはり見た目どおりの年齢だったようだ。その年であのように難しい言葉をすらすらと言えるなど、大したものだと感心した。

「けれど、手前味噌な話に聞こえるだろうが、とても優秀でね。彼の父がまた教師をしていて、だからだろうか、年の割りに大人びているし、彼の年より下のものなら充分に教えることができそうだったんだ」

 続く言葉を予想できる話し振りだった。

「まあ…悪く思わないでくれれば嬉しいんだが、学院のほうからの派遣も期待できない様子だったからね」

 苦笑する四代目にあわせて、イルカもまた苦笑を漏らした。
 たしかに、そう思われても仕方なかっただろう。
 イルカがあのとき申し出なければ、学院の決定はさらに先延ばしになっていただろうし、もしかすると誰にも決まらなかったかもしれない。
 学院長の好々爺の顔を思い浮かべる。派遣のシステムを作り上げたのは彼だったが、その周囲の教授たちは、育てた学生を強いて連絡手段もままならない田舎にやりたい、とは本音では考えていないのだろうから。

「本当に面目ないが、そういうわけであの子にその、子どもたちを任せていたんだ。そして今回、君がきたということで晴れてお役御免、というわけになったんだが…」




2006.8