雪窓
――――――…ダンッッッ!!
「うぉ!? な、なんだいきなり!? どうしたイルカ!?」
「やだ、イルカ先生、どうしたのよ!?」
「イルカ、おめえ顔が赤ぇぞ、どうした。具合わりぃのか」
激しく叩きつけた拳の衝撃で、備え付けの本棚の棚がひとつ、ガゴン! と音をたてて落ちた。
ついでに、乗っていたこぶりのダンボールの箱が、埃とともに雪崩落ちてきた。
床に、埃まみれの巻物や備品が広がる。
「い、いえ、なんでもなんです。ちょっと、埃でくしゃみがでそうになって」
同僚とアスマに言い訳をして俯き、あわてて転がる巻物などを拾い集めるためにしゃがんだ。
思い出したくもないことを思い出してしまった。
血も上っているが、頬もやけるように熱い。
あの夜の自分はまるで自分でないように従順だった。
不慣れであるという負い目で、カカシを満足させなければという使命感でいっぱいになっていた
けれどいまさらながら、恥ずかしい。
あの日から、なるべくカカシとは仕事以外で顔をあわせないように気をつけていたのに。
「くしゃみで箱落とすなよ〜、お前は〜。まあ拾うの後でもいーんじゃねえ? どうせ散らかってるんだしよ。コーヒー待ちの間ぐらい休憩しようぜ」
「そーよ。あのはたけ上忍が買いに行って下さってるんだから。やさし〜い!」
「まあ、あいつのはサボりてぇってやつだろうから、俺らもそう気張ることねえさ。イルカ、休んどけ」
「は、はあ…そうです、ね」
日が傾き、もう日暮れようとしている。
冬の日の入りは早いが、曇天の雲行きのうえ夕刻にはいった今では、この資料室も薄暗く、蛍光灯をつけていた。
目的の資料はまだ見つかっていない。
同僚たちはもう今日中の教室の掃除は諦めたようだ。
アスマが散らかった床と、まだ山積みのダンボールの箱をみやって、こきこきと首をならした。
「それにしても見つかんねえなあ。出しちまったやつ片付けて、今日は終わりにすっか?」
時計をみればもうすぐ昼勤と夜勤が交代する時間がこようとしていた。
手分けして散らかした箱の中身を入れなおし、気持ち程度整理して棚に戻していけば、いい頃合になるだろう。
イルカとしてはカカシと別れるのなら願っても無い話だ。
巻物を腕いっぱいに抱えながら、一も二も無く頷いた。
「そ、そうですね。もう日も落ちましたし、そろそろ」
アスマがちらりとイルカをみやって、なんともいえない間をつくった。
思うところのあるイルカにだけ感じられるような間で、内心汗をかいたが、不意に、
ぴと。
と頬に暖かいものが押し付けられて「ぎゃ!」とイルカは飛び上がった。バラバラッと集めた巻物がまたちらばる。
「お、カカシ、遅ぇじゃねえか」
「はたけ上忍、ありがとうございます!」
「お願いしちまってすいません」
叫んだイルカの手に暖かい缶を落としてから、カカシがそれぞれの手に缶を渡していく。
「や〜。どれがいいかな〜って悩んでさ。遅くなってごめんね」
手の中をみると「おしるこ」だった。
てっきり無難にコーヒーかと思っていたから、カカシがなぜか自分をみてニヤニヤしているのをいぶかしみつつ、缶をあけて口をつけてから思い当たった。
ほんのささいな心当たりに。
しばらく考えてから、イルカはいっきに汁粉を飲み干した。
隣にいた同僚が「うぉ!?」とまた驚いていた。
それに構わず、イルカは口の中のあまったるさに眉間を険しくする。
馬鹿みたいだ。
カカシはイルカをからかって遊んでいる。
傷つくと囁いてみたり、ちょっとした会話を覚えていてその缶を買ってきたり。
そのくせ面白そうにイルカをみている。
探し物をしている最中も、だれも見ていない隙をはかってイルカの背後から「荷物重そうだね」と手を伸ばしてきたり、耳に息を吹きかけたり。
物慣れないイルカをからかっている態度に、おもわず怒鳴りたい衝動を何度抑えたか。
「俺! 教室の窓閉めに行って来ます!」
だれも口を挟めない勢いでいいきり、イルカは部屋を飛び出した。ちらばったままの巻物たちを放り出し、廊下を足音高く歩く。
イルカの去ったあとには、同僚たちにアスマとカカシ。それから置き去りにされた空のお汁粉缶。
「あら〜」
カカシが呟き、アスマが横目で呆れたように視線をよこしたがなにも言わず、かわりにコーヒーを啜っている。
カカシは残された空き缶をとって、じゃあ、と言葉を続けた。
「俺もイルカ先生、手伝ってくるよ。こっちはよろしく。ね、アスマ」
「ね、とかいうな気色わりぃ」
「はたけ上忍、俺たちが行きますよ、そんなわざわざ…」
「はい、もとは私たちの仕事ですから…」
「あ〜。いいのいいの。それよりこっちのが大変だから。申し訳ないけどお願いします」
言って後ろ手に扉を閉め、カカシが行ってしまってから、アスマは面倒くせえなあ、と呟いた。
それは二人にむけての言葉半分、作業にたいしての言葉半分というところだったが、もちろん残されたイルカの同僚たちがそれを察するはずもなく、俺たちが頑張りますよ、とアスマにむけて気合をいれていた。
2006.2.5