雪窓




 イルカがカカシの告白めいた命令をうけたのは、年も越えるかという忙しない頃合だった。
 年末は、依頼人も今年中にとおもわせる魔力でもあるのか、ただたんにすっきりしたいだけなのか、普段なら依頼されないようなことまで任務として受けなければいけないし、人の動きも慌ただしいだけ警備や見回りの人数も増える。
 アカデミー生が多少減ったからといって、年末に配っている中期の成績表も、手がかかる仕事にはかわりない。
 もうすぐ三十の声をきこうかという歳になろうかというのに、仕事仕事で、浮いた話もないとため息をつく間もおしいほど、やるべきことが多く。
 畢竟、イルカは他の忍び同様、多忙だった。

 そしてそれは、名の知れた上忍であるカカシにもあてはまることで、わざわざ中忍上忍合同忘年会に顔をみせたとき、イルカは内心、驚いていた。
 イルカはまとめ役として一枚かんでいたから出席は決まっていたが、カカシのほうは任務の都合によるときいていた。
 じっさい、時刻は宴もたけなわという頃を過ぎた時刻だった。
 その彼がわざわざ顔をだしてくれたのだ、いろいろ意見の食い違いもあったが薄からぬ縁には違いない。一言ぐらい挨拶しようとビール瓶片手にカカシへと近づいたのだ。

「カカシ先生、お疲れ様です」
「や、どうも遅れまして」
「いえ、任務お疲れ様でした」

 綺麗なグラスといっしょに瓶口をかたむけて差し出し、カカシがそれを受ける。かちり、と小さな音のあと、しゅわしゅわと白い泡と麦色の液体がグラスを満たしていく。

「最近は任務がたてこんでいて、受付もしている私としてはカカシ先生に申し訳ないです」
「まあそれは仕方ないんじゃないですか? 今の時期ですし。私もその分、報酬をもらってますしね」
「そういっていただけるとありがたいんですが」
「忙しいのはお互い様でしょう」

 いってニコリとしたカカシは文句なく上等な忍びで、イルカは内心感嘆した。
 たしか一歳年上ときいていたが、自分とくらべて一年の差でここまで人間できているものかと、思ってしまったほどだ。

「今年も一年、お疲れ様でした」
「カカシ先生も本当にお疲れ様です」
「いえいえ、年末最後に頑張りが報われそうです」

 任務報酬のことかな、と首をかしげるうちにカカシはイルカのついだグラスを、口布をさげて少しだけ飲んだ。
 ああ旨い、と零す。
 その唇の容が綺麗であったことと、柔らかく微笑んでいたことに、びっくりした。

「あ、その、カカシ先生」
「はい」
「食い物はご自由に頼んでくださってかまいませんので…その、最初は膳もあったんですが、もう今は誰がどの膳かも分からなくなっていますので」
「ああ、はい。そうですね、他のやつには悪いけど、新しいやつ頼もうかな」

 部屋の隅のお品書きをもってきて、カカシに渡した。渡すさいに、どうしたわけかカカシの指先が触れて、とても冷たく、外の寒さを思わせた。
 鍛えていても、寒いものは寒い。
 イルカは座敷の掛け時計をみあげて、時間を確かめた。まだ暖かいものも注文は通るはずだ。
 冷え切っているうえに、最初は綺麗だった箱膳もすでに食べかけのものかそうでないかの区別もつかなくなっている。
 これを勧めるのはさすがに酷い。

「カカシ先生、まだオーダーストップもしていませんし、お好きなもの頼んでください」
「はい、そうしようかな。ああ、イルカ先生は食べました?」

 気をつかわれるはずの人から反対に気を使われ、あわててイルカは首を縦にした。

「もちろん頂きました。すいません、お先に」
「いや俺が遅れてすいませんて話でね」
「それは任務で」
「まあ仕方ないって話で」

 時間が逆戻ったようなやりとりに、おもわずイルカは吹き出した。カカシも喉を鳴らしていて、みえている目も面白げに細められていた。しばらく、くつくつと笑いあう。

「いやイルカ先生忙しそうだし、一人だけ食べるのは気兼ねするとおもってね」
「いえお気遣いなく」
「じつはここへは飯くえるとおもって来たんですけどね」

 すこし照れくさそうに後頭部をかくカカシ。

「今から寒い部屋に帰って一人で飯食うよりは、まあ賑やかなところのほうが暖かいし、人も居るし。飯目当てってのもちょっといじましいかなっておもわないでもなかったんですけどね」
「い、いえ、そんな参加費もいただいていますからどうぞ」
「イルカ先生、そこに居てくださいね」
「は」
「俺、食い終わるまで付き合ってくださいよ。宴会場の隅で一人飯食ってる、って格好悪いじゃないですか」

 言ったカカシは、いつも見かける悠然とした雰囲気というよりは同年代の青年の空気をまとっていて、イルカは頬をほころばせてすぐに頷いた。
 挨拶だけすれば、カカシ目当てのくの一にも遠慮して退散しようかとおもっていたが、当人から要請がきたのではしかたない。
 減った分だけのビールをカカシについで、イルカはおもったよりも楽しくなりそうな上忍との会話を楽しむことにした。










 冷える夜道を、イルカはカカシと歩いていた。
 明日の仕事のために一次会でぬけたイルカに、カカシも一緒に腰をあげ、途中までと肩を並べたのだ。
 イルカとしてはなぜ家路のちがうカカシがわざわざ、とおもったが、考えれば知り合いの多いカカシのことだから、抜ける口実だろうかと思いなおした。

「それにしても、寒いですねえ」
「ええ、いつ雪が降るかと思ってました」

 カカシが空を見上げる。
 数時間前まではこの寒い空の下で任務をしていたのだ。雪が降らなければいいと思っていたのだろうか。
イルカもならうように見上げて、相槌にもならないことを言った。

「寒いときって缶のおしることか美味しいんです」
「イルカ先生は甘党ですか。俺は寒いとやっぱり熱燗がいいですねえ」

 けれどさっきカカシが頼んでいたのは、熱燗などではなく、腹にたまる丼ものだった。
 呑んでいなかったのに、と頬が緩む。

「年の瀬は冷えるし忙しいし、嫌なもんです」
「はは、やっぱりカカシ先生でもそう思われるんですね」
「俺も人の子ですからね」
「あはは」

 なんで笑うかな、とカカシがいって、また笑いがこみあげる。
 外はまるで切れそうなほどの寒風がふいていて、本当にいま雪がふっていないのが不思議なほどだった。吐き出す息は、笑いとともに丸く淡く吐き出される。
 カカシとの話は楽しかった。
 酒の高揚感も手伝っていつもより陽気になっていた。
 だからニコニコとカカシの話をきいていたのだが、次の言葉で動きが止まった。

「だから、長期任務のあとの処理をお願いしたいんですけど」

 ぴたりと足がとまって、肩をならべる距離の顔を見た。
 カカシは先ほどと変わりなく楽しげだ。うきうきとしている、といってもいい。

「ぜひ、イルカ先生に」
「え、ええと、それは…」
「やだなあ、はっきり言わないと分かりません? あ、冗談とかじゃないですよ」

 薄々ならわかる。
 長期任務のあとの処理、というなら人の三大欲のうちのひとつ、性欲の処理だろうということは察せられる。ほかの後処理なら、もっと分かりやすくいうはずだ。
 けれど悪い冗談としか思えない。

「カカシ先生、酔って…?」
「俺が飲んだのはせいぜい味噌汁がわりぐらいで、いたって素面ですよ」
「じゃあ気の迷いとか」
「ああ、それはあるかも」

 は? と返すまえに手首を捕られ、人通りのない道からさらに薄暗い路地へと引きずられた。

「正直にいうと、飯以外に最初に声をかけてきたのがあなただったから、ってあります。、まあどちらにしろ、やってもらいたいことは同じだから、あんまり嫌がると俺が無理にすることになるし、イルカ先生も痛くなると思いますよ」
「い、嫌がらなければ…?」
「あなたも俺も、両方幸せになれるかもね」

 壁を背にして押さえられ、耳元で囁かれた声は強請る響きをもっていた。
 低い美声と吐息が耳朶をくすぐる。
 自分と同じような体格であるのに妙な威圧感で身動きがとれないうえに、いきなり勝手なことを要求され、怒ってもいいはずなのに、どうしてか突っぱねることができない。
 馬鹿にするな、と拒絶できないことはない。
 ほかに選びようの無い場所ではない。
 里の中だ。

 触れ合っている肩口がほんのりと暖かく、人肌を思い出させる。
 息も凍るほどの寒さのなかで、見知った人間と、それも好意をもてる人間と温もりを分ち合うこと。
 それはとても気持ち良いことだろう。

 拒絶することはできる。
 けれど、カカシのいう「幸せ」という気持ち良さを分かる以上、拒絶することは酷く辛い仕打ちのように思えた。

「…不慣れですが、俺で務まるのなら」

 躊躇いのあとの返答に、カカシは弾んだ声で「もちろん」と囁いた。
 見上げた空から雪がおりてこないのかと、イルカは空を見上げた。
 降りさえすれば、人肌が恋しかったのだと、だれかに言い訳できるような気がした。  




2006.2.5