雪窓
春は曙、とはきいことがあるが、掃除は晴れた日にしたほうがいいとおもう。
それもうららかで行動しやすい春が良い。
いましも雪片が舞い降りてきそうな曇天を、イルカは窓から見上げた。
春間近の冬の午後。
イルカたちアカデミーを担当する教員は、使われていなかった教室や実習室の掃除をしていた。
先ごろ木の葉をおそった災厄をすぎ、五代目が就任してからというもの、木の葉の忍びは不眠不休の勢いで働き、おかげでようやく復興といえる段階におちついたかにおもえた。
だがイルカたち教員にしてみれば、立ち直るにはまだまだこれからだった。
五代目が掲げる教育内容にしても、失った人的能力にしても、育成という仕事は一朝一夕にしてできるものではない。
減った生徒の数がようやく元に戻り始めた今、閉鎖されていた教室の掃除にも、力がはいるというものだった。
「イルカ、こっちの紙の山、どうする?」
「ずいぶんたくさんあるわね〜」
「ああ、それは資料室のやつから三階の端の部屋に移動してくれっていわれてるやつだ」
机の脚をふいていた手を休めて、顔をあげた。
同僚が指を指す先には、紐でまとめられただけの紙束の山が、横は教室の幅、縦はイルカの背の高さほどにもなって積み上げられていた。
あらかじめ伝達はされていたから、イルカは内心はともかく軽くいったが、同僚は初耳だったらしく、盛大に顔をしかめてみせた。女性の同僚は「嘘でしょ〜」と天井を仰いでいる。
「ここ一階だぜ?」
「空いてる部屋がそこしかねーんだと」
あとは使われていない実習室か教室になるが、そこへまた運び入れては本末転倒というものだ。
しかたがないだろうとイルカは苦笑を浮かべ、腰に手をやる。
「まあ机ももう少し運んでくる必要があるしな。先に運んじまうか」
「マジかよ!」
「おらちゃっちゃと働けよ」
「イルカは人使いが荒いんだよな〜」
「え〜。私も〜?」
「当たり前だろ、はい、働いてください」
ぼやく同僚たちを追い立てて、イルカもずっしりと重い括りを四つほど抱える。腰を痛めそうな重さに、すこし眉をしかめた。
イルカだとて、好んで重労働をしたいとは思わないが、仕事だからやらないわけにはいかない。
廊下を出た先から、ぼんやりとした空がみえた。
冬の凍えそうな灰色からは、青空や陽光は望めそうにない。
こりゃ一雨、いや雪が降るだろうな。
埃っぽい紙片にひとつ咳をして、イルカは廊下を急いだ。
指定された部屋は廊下突き当りにあり、他の部屋よりも大きい。だからこそ資料室として使われているのだが、最近は忙しさに手入れもされず、なかは物置状態だ。
扉をあける寸前、あれ、とイルカは手をとめた。
僅かに躊躇う。
一拍おいて、扉をあけた。
「すいません、失礼します」
「よお、イルカ」
「こんにちはイルカ先生」
なかにいたのはアスマとカカシだった。
いつもの咥え煙草はなく手をかるく上げたのはアスマで、カカシは軽く会釈をしたようだった。
遅れて入ってきた同僚たちも頭を下げつつ部屋にはいる。
「なんだ、時期遅れの大掃除か?」
イルカたちの手荷物をみて、アスマが笑った。
たしかにそのとおりで、イルカも頬を緩めた。アスマたちはこんな物置同然の部屋でなにをしているのかとみてみれば、彼らの手元には黄ばんで端もほつれている巻物が広げられていた。その足もとには、ふたの開いたダンボール。
「アスマ先生は探しものですか。見つかりそうですか?」
この部屋は奥がみえるよりずいぶん広く、物置同然だけあって、整理などされていない。
あちこちから集められた在庫品もあり、普段つかわない古い資料もあり、それらが渾然一体となって山をそこかしこにつくっている。
しかも思い出したように片付ける時期があるから、さらに古い資料などは、分類関係なしにひとつのダンボールにまとめられ収納されている。
「いやどうも見当がつかねえ、ここはいってえどこの部署の倉庫なんだっていうぐらい、なんでもありやがる」
「だよねえ、ちょっと多すぎかな、片付いてないのが。すぐに見つかると思ってたんだけど」
「じゃあ私たち、お手伝いしますよ!」
びっくりしたのは、イルカの後ろから聞こえた同僚の元気な声にだった。
おもわず肩がびくっとして、振り返ると、荷物をもったままの同僚が、頬をすこし染めて熱心にカカシをみていた。
「人手が多いほうが見つかりやすいですし、いいわよね、イルカ先生?」
「え? あー、まあ、そう、かな。でも教室の…」
「なんだよ、教室の掃除はまた後でいーじゃねーか、ああすいません猿飛上忍、こいつ生徒が増えるってやたら気合いれてて」
「そりゃ感心なことじゃねえか。まあ俺たちは手伝ってくれりゃ助かるが、いいのか? そっちは、本当に」
はいもちろんです、と答えたのはイルカではなく、同僚たちだった。
先ほどとは変わったそのはりきりようにイルカは内心、ため息をつきたいところだったが、名の知れた上忍に好意的な同僚たちの気持ちもわかる。
憧れだけでなく、アスマもカカシも表立って素行の悪い上忍ではないから、好感がもてる。
彼らがちょっとしたことで困っているなら手伝いたいとおもうのも、まあ自然だ。
だから手伝うことを口にだして反対するわけではないが、同僚たちの変容っぷりに、釈然としないのもまた自然だった。
そんなおもいが顔にでていたのか、ふと視線をかんじて顔をあげると、カカシがこちらをみていた。
一つしかみえていない目が、面白そうに細められていて、イルカは同僚たちに気づかれない程度に、ムッと口端をまげた。
「じゃあわりぃが、こっちの箱はいいからよ、むこうの隅にかためてあるでかい箱があるだろ? あんなかからまずは…」
指示しようと同僚たちに話しかけるアスマに、そのまま部屋の隅についていこうとすれば、すっとカカシがイルカの隣にたつ。
それが普通でないほど近く、おもわず身体を離そうとする耳元に、カカシの声が囁いた。
「そんなに警戒しないで? 俺、傷つくよ」
間近にあったカカシの目は、やっぱり面白そうに笑っていた。
2006.2.5