夜の先生




 オレは天井から滑り降りて、二人の枕元に仁王立ちした。

「う、うわあぁ!?」
「わああぁぁ!?」

 おいおい、驚き方も一緒かよ!
 という突っ込みは後回し!!

「おいこらタヌキ、いや三左衛門! お前なにしてんだ! イルカ先生に何してんだよ!」

 いや、大人気ないといわれても良い。
 オレは必死だった。
 子タヌキ相手に必死になって、叫んでいた。
 だってイルカ先生、抵抗らしい抵抗してねえんだもん!

「ずるいぞお前! イルカ先生が抵抗しないからって何でもしていいってわけじゃないぞ! ちゃんとイルカ先生もいいっていわないとしちゃダメなんだぞ、そういうことは!!」

 言ったあ!
 中身は激しくなにも考えてません的なものだが、こういうのは言ったもん勝ちなんだ!
 現に、青年こと三左衛門はすくっと立ち上がって、俺に言い返した。

「イルカ先生はダメって言わなかった! オレ、何回も好きっていったし、つがいになってって頼んだ! イルカ先生がオレ、意味わかってないからっていうから、分かってるって、イルカ先生にしてただけだ!」

 してただけ、じゃねえよ!
 大問題だよこっちは!

「イルカ先生がお前にダメっていわないのは、お前に気を使ってるからだよ! お前がまだまだ子どもだから傷つかないようにってしてるだけだ! それがわかんないからお前は子どもなの!」
「……!」

 いやほんとに大人気なくて申し訳ない。
 改めて正面からみた三左衛門は、茶色い目と茶色い髪の、なんとも平凡で、だけど好青年らしき風貌をしていた。その青年が、がーん、といった感じで顔を白くしている。
 ちょっと前まで三歳児だったとはとても思えない成長っぷりだ。変化だとしても、言動もちょっと変わってきてるから、やっぱり成長してるんだ。数ヶ月で一気に、心も身体も成人まで駆け上がったのか。
 オレはちょっと息を整えて、

「だからね、お前がやってることは、イルカ先生に酷いことしてるってことなんだよ」

 語りかけるように言うと、三左衛門が俯いた。
 こんなときだが、三左衛門の化けは確かに並以上に上手い。こうしてみていても、元がタヌキだってのを知らなければ、騙されても文句はないほどだ。
 いま、手を白くなるまで握り締めて、俯いている三左衛門は、本当に人間のようで、オレは気まずくなった。
 なんせ、三左衛門とイルカ先生の濡れ場ってことで後先見ずに仁王立ちしたわけだけど、よく考えりゃ、イルカ先生の相手が三左衛門以外の人間だった場合、オレは尻尾巻いて逃げてたに違いないからだ。

 オレは自分のしたことにいまさら反省のようなものを感じて、まだ畳に寝転がって呆然としてるイルカ先生に目をうつした。
 イルカ先生は、オレをただ見上げていて、服のすそがすこし捲れていた。頬もすこし赤くて、目が潤んでいる。
 うわ、ちょっとやばい。

 あわててオレは目を逸らして、でも膝を折ってイルカ先生の横に跪いた。
 手を伸ばして、服の乱れを直してやる。
 それで我に返ったのか、イルカ先生は焦ったようすで起き上がった。
 顔が真っ赤だ。
 躊躇いがちに、三左衛門へと手を伸ばす。

「三左衛門…」

 ほんとにこの人って教師なんだなあ、って思った。
 襲われてたのに、傷ついた子どもの心配、か。
 三左衛門は、イルカ先生の手を、一歩引いて避けた。
 パタッと水滴が、畳に落ちた。
 ずるい、と呟く声。

「―――ずるい、ずるい! カカシは間違いだって言った! イルカ先生のこと好きだっていったの、間違いだったって! 勘違いだったっていっただろ! なのに、今更、ずるい!」

 呆気にとられた。
 いまさらそんな話しが出てくるとは思わなかった。
 再び真っ白になったオレは、何も言えずに、口をパクパクさせる。だって、本当になにも言えなかった。

「カカシが間違いだったんだから、オレがイルカ先生に好きっていってもいいじゃないか! どうして邪魔するんだよ! 邪魔すんなよ! 今更好きだってずるいよ! カカシはずるい!」

 子どもの駄々だっていうのは簡単だけど、そうするには、ずるいって言われてるオレには負い目がありすぎて。
 イルカ先生のほうも見れず、オレは、ただ立ち尽くした。
 三左衛門は顔を真っ赤にして、泣きそうになって、オレを睨んでる。
 どうしたら。
 卑怯な大人のオレには、この期に及んで、どうしたら三左衛門を宥めて、イルカ先生の好意をいっそう得られるだろうという道を探していた。
 でも、難しくて。
 立ち尽くすしかなかったオレの横から、すっと手が伸びた。
 教師の、手。

「―――…三左衛門、もうやめろ」

 そして、イルカ先生が三左衛門を、抱きしめた。
 先生の仕草で、背中を抱きしめて、頭を抱きしめて、手のひらで柔らかく後頭部を撫でて、また抱きしめた。
 オレが嫉妬する余地もないぐらい、優しい仕草で、毒が抜かれるようなものだった。

「イルカせんせ…」
「ごめんな、三左衛門、たくさん悩んだろ? 俺が最初に言っておけばよかった。つがいになるには、特別の好きが、両方に要るんだよ」
「だから、オレはイルカせんせが好きだって…!」
「うん、知ってる。けど、俺の好きは特別の好きじゃなかったんだ。それを最初にお前に言っておくべきだったんだ、ごめんな」

 優しい笑顔で、イルカ先生は酷いことを言ってた。
 三左衛門の瞳から、涙が幾筋も伝う。

「だからお前とはつがいになれない。ごめんな」

 抱きしめられた三左衛門の腕が、イルカ先生の背中に回って、三左衛門はイルカ先生の肩口に顔を埋める。
 ふいに、うわあぁぁぁん、という泣き声が上がって。
 泣き止むまでの長い間、イルカ先生はただ三左衛門を抱きしめて、ゆっくりと撫でていた。




2007.9.2