夜の先生




 三左衛門が、ベソかきながら帰っていったあと、オレはどっと力がぬけて、は〜やれやれって、イルカ先生んちの床に座りこんでしまった。
 がっくり項垂れる。
 イルカ先生は反対に、シャキシャキしたものだ。
 お茶飲みますか、とか訊いてくる。
 次も三左衛門と会う約束もしてたし、意外とたくましい人なんだな…。

 座ってしまった俺に、冷たい麦茶が出された。
 オレは持って来てた酒ビンを、部屋に乱入したときに部屋の隅においておいたんだけど、さすがにそれを飲もうという気にはならなかった。
 大人しく、麦茶を啜る。
 イルカ先生も、ちゃぶ台なんか出して、オレの向かいで美味しそうにお茶を飲んでいる。
 ちょっと機嫌がよさそうにもみえるが、オレのほうといえば気疲れしていて、なんだか気まずかった。
 いつもならイルカ先生との沈黙なんて、それさえ楽しいものなんだけど、今は変な感じにドキドキする。
 三左衛門が、バラしてったことがあるから。

 呆れたかな。
 怒ったかな。
 イルカ先生を盗み見るのも怖くて、黙って茶を啜ってたら、ふいに、

「帰るときにね、三左衛門が…」

 ビクッとして顔を上げると、コップに目を落として嬉しそうに微笑むイルカ先生が。

「ごめんなさい、ありがとう、って言ったんです。俺に。ちっちゃい声で、イルカ先生、ごめんなさいありがとうって。なんか俺、嬉しくて…泣きべそかきながら、んなこと言う、あいつの器のおっきさに俺は驚きました。あいつはきっといい忍びと契約することができますよ、絶対」

 パチパチとオレは瞬きをして、イルカ先生の微笑を見る。
 うわ〜、ってしみじみ感動してから、ちょっと三左衛門が可哀想になった。
 心底、生徒としか見られてないなんて、ほんとに可哀想だ。
 あいつが知ったら、また顔真っ赤にして怒るだろうけど。
 オレはなんとも複雑な気持ちになって、そうですね、って相槌を打つだけにしておいた。
 オレも三左衛門と同じ穴のムジナかもしれないって思ったら、あいつの恋が破れたことを喜ぶ気にはなれなかった。
 あいつが生徒なら、オレはなんだ?
 ただの上司兼親しい友人程度じゃないか。
 告ってすらいないわけだから。
 はあ〜、って肩が落ちた。
 それをイルカ先生にみられた。
 まあ向かいに座ってるわけだし、二人きりなわけだから、当たり前に見えるんだけど。

「どうしたんですか、カカシさん?」
「え? あ、あ〜、いやいや、なんでも」
「そうですか? ああそうだ!」

 オレはまたもやビクッとした。
 なんだ?
 やっぱりオレは怒られるのか?
 イルカ先生は笑顔で、オレに言った。

「じつはちょっとどうしようかと思って困ってたんで、助けてくださってありがとうございました! …まあ、天井裏から入るのはどうかと思いますが、事情が事情でしたし」

 へへ、と照れくさげに頬をかいて笑うイルカ先生。
 オレは脱力…。
 がく…。
 それはオレの個人的な目論見があったからなので、礼には及びませんよ…と内心でいっておいて、口では「いえ、お役にたててよかったです」と言った。
 子どもの三左衛門を責められない、汚い大人だよオレは。
 ついでに天井裏に入ったことも謝っておく。
 普段は絶対にしてませんから、こんなこと! という点を強調しておいた。
 そのまま和やかに話しが終るかと思えば、再び、イルカ先生が

「そうそう」

 と切り出した。
 三度、ビクッとなるオレ。

「三左衛門がいってた、あれなんですが」

 ごくりと唾を飲み込んだオレに、あっさりとイルカ先生は言った。

「カカシさんが罰ゲームで告白したの、俺ちゃんときいてたんで、大丈夫でしたよ?」

 ――――――…。

「え?」
「聞いてたっていっても、あの日のずいぶんあとなんですけど、三左衛門からきいてもよく分からなかったし、みなさんが教えてくださって、ようやくすっきりしたんですが、カカシさんも早めに教えてくださってもいいのに…」
「あの、ちょっと、待って!」

 手のひらをイルカ先生に向けて突き出した。
 待って、ほんとに待って。

「あいつらって?」
「えぇと、たしかあのときいらっしゃったのはアンコさんと紅さんとアスマさんと…」

 いつものメンバーだ。

「いつ知ったの?」
「いつだったかなあ…夜にカカシさんと会ったときから、しばらくしてからだったと思います」
「三左衛門から聞いたのは?」
「あぁ、それはあいつの顔にハテナマークが出てたから、すぐに分かりました。でも聞いたとは言えないですね、聞いてもさっぱり分からなかったんで」

 言って、ニカッと笑ったイルカ先生は、間違いなく、教師であり、男前な人だった。
 がっくりとオレはちゃぶ台にうつぶせた。
 ひ、酷い。
 ビクついてたオレの立場って。
 悲しくてデコを板にくっつけて、ううう、と唸ってたら、オレの後頭部をあったかい何かが撫で撫でしてくる。
 くそう、気持ちいい。

「…撫でないで下さい。オレは小動物じゃないです」

 でも天邪鬼なオレは捻くれたことをいってしまうのだった。
 嬉しいことにイルカ先生の手のひらは離れていかない。

「カカシさんは小動物というより、肉食獣というか、狼とか、そういう凛々しくてカッコいい動物っぽいですよね」
「…でも撫で方は小動物と同じじゃないですか」

 動物越しでも凛々しくてカッコいいといわれて嬉しかったオレだが、やっぱり憎まれ口。
 イルカ先生が知ってたのに、知ってたって教えてくれなかったってスネてんのは、カッコ悪いんだけどね。
 分かってるんだけど、イルカ先生のこと好きでアタフタしてた分だけ、悔しいんだよ。

「同じじゃないですよ」
「ウソばっかり」
「ウソなんかじゃないですよ。カカシさんは小動物になったことないのに、分かるんですか?」

 理路整然としたイルカ先生に、オレは板にくっつけたデコを外して、左頬をくっつける。そしたら右目でイルカ先生を見れるから。イルカ先生は、じっと見上げるオレに笑って、でも撫でるのをやめなかった。

「三左衛門がね、俺に撫でられるの好きだっていってました」

 あ〜そうでしょうね〜。だって、今だってこんなに気持ちいいもん。ふわふわする。ガックリしてちょっとささくれ立ってた気持ちが、まあるい何かに包まれるような感じがする。

「あいつ、最初のころ俺に唸ってましたから、あいつに触れるようになってからは、俺も必死な気持ちで撫でてたんですよ」

 必死で撫でる?
 なんか変じゃない?

「別に変じゃないですよ。俺が三左衛門のこと好きだっておもってるの伝わるように、伝わるようにって撫でてました」

 ふ〜ん、なんか犬の調教とも似てるかも。
 人間の感情を率直に表したほうが、動物って安心するし、懐いてくれるんだよね。
 撫で撫でと、イルカ先生の手のひらがオレの髪の毛を優しく梳く。

「撫でることで気持ちが伝染するなら、嬉しいんですけどね」

 え?
 オレの髪を梳いていった指先が遠のいて、イルカ先生が立ち上がった。
 ガバッとちゃぶ台から頭を上げるオレ。

「あれ? どうしたんですか、カカシさん」

 コップを片手ににっこり笑ったイルカ先生。
 …あれ?
 さっき感じた、イルカ先生の言葉からのなにか、って…気のせいだったのかな。
 オレは首を傾げて、後頭部を掻いた。
 あれえ?
 イルカ先生がコップを台所に片付けて、かわりに湯飲みと乾物と漬物を手に戻ってきた。

「せっかくですし、カカシさんの酒、呑みましょうか」

 首を捻りつつだったけど、オレは頷いた。
 やっぱり、酒の力を借りようかな。
 三左衛門のようなことはしないけど!
 なんか、告白ぐらいはしてもいいのかもしれない、って気になってきた!

「そうですね、せっかくですし、呑みましょうか」

 これって、撫でられて気持ちが伝染したってことなのかな?














「カカシ、イルカ先生にくっ付きすぎだよ、もっと離れろよ!」
「あ〜、オレお前みたいに毛皮ないから寒いんだよ、冬だし」
「毛皮関係ないし! 人間の格好してるし、オレ、今! 寒いんだったらマフラーでも着ればいいじゃないか!」
「ぶっぶー、マフラーは着るんじゃないの、巻くの〜」
「うぐぐぐぐ〜」

 イルカ先生んち。
 冬の一コマ。
 イルカ先生は台所でこんにゃく切ってる。
 三左衛門とオレの目の前には、ぐつぐついってるナベ一個。
 さっきまで白菜きってたイルカ先生の背中にオレがくっついてたわけなんだけど、それを三左衛門はグチグチいってくるのだ。
 も〜。
 いい加減、オレとイルカ先生が恋人同士だって認めて諦めればいいのに。

「お〜い、二人とも遊んでないで、皿とか野菜、運んでくれよ〜。こんにゃく切れたし、もう食えるぞ〜。腹減った〜」

 最後は独り言みたいで、オレたちは不本意ながらも揃って笑ってしまった。いいつけどおりに、皿と、箸と、コップと、野菜と、こんにゃくその他と、あとオレとイルカ先生には酒と。

「イルカ先生、オレ、野菜運んだよ」
「お〜、三左衛門、ありがとう」
「オレは酒と皿と運びましたよ〜」
「カカシさんもありがとうございます」

 二人して、イルカ先生のご褒美の取り合い、というわけじゃないが、張り合うようにしていたら、ナベを囲んで座ってから、イルカ先生のあったかい手のひらが、まず三左衛門の頭に、ぽふ。
 なでなで。

「えへへ…」

 三左衛門は嬉しそうだ。
 んで、次はオレの頭を、なでなでなで。
 オレももちろん嬉しい。

「あ〜! イルカ先生、オレよりカカシのほうがたくさん撫でてる! ずるい!」
「ん? じゃあ三左衛門にはもうちょっと」

 なでなで。

「ちょっとイルカ先生、今度はオレのほうが少ないよ」
「はいはい」

 バカみたいな取り合い。
 でも和むよね。
 オレの気持ちがイルカ先生に、イルカ先生の気持ちが三左衛門に、三左衛門の気持ちがイルカ先生にいって、イルカ先生の気持ちがオレに伝染する。
 気持ちの伝染と。
 そう。
 幸せも伝染するのかもしれないなあ、なんてオレは撫でられる幸せを噛み締めながら思ったんだよね。




2007.9.2  ありがとうございました!