夜の先生




 アタフタしてるオレを置いてけぼりに、タヌ吉、もとい、三左衛門が叫ぶ。

「好きだ! オレは、イルカ先生が好きだー!」

 声だけきいてたら泣きそうな感じで、それがオレの姿でオレの声だったものだから、オレは一瞬、ぞわっとした。
 まるで本当にオレが、イルカ先生のことが好きで好きでたまらないんだって叫んでるみたいだった。
 悲しくて、切ない気持ちが、オレにも伝染しそうなぐらい。
 イルカ先生が、項垂れたオレの姿の三左衛門を、引き寄せて抱きしめた。
 うわ、うわ。
 なんでかオレは焦った。
 あれが本当のオレじゃなくて、タヌキの三左衛門だってオレもイルカ先生もしってるからいいのに、なんでかすごく焦ってしまって暗がりでアタフタしてしまった。
 しばらく抱きしめられてたオレの姿の三左衛門は、ふいに、イルカ先生を突き飛ばすと、

「イルカせんせ、イルカ先生なんか、大好きなんだからなー!」

 って叫び声を捨て台詞に、どろんと消えてしまったのだった。
 …え。
 おいおい、捨て台詞にしては、可愛らしいな。
 ていうかオレの姿でなんでそんな捨て台詞なんだよ。
 とかなんとかいうツッコミをついつい心の中でしてしまったのは、実際のところ、オレがらしくもなく焦っていたからだ。
 だって、三左衛門が消えたあと、イルカ先生の視線が、なぜか、オレの潜んでる暗がりにじっと据えられているのだ。

 うぅ…バレてる…?

 夏ということもあって、俺の額にたらりと汗が流れる。
 うわー…イルカ先生、こっち、じっとみてるよ。
 しかもけっこう怒ってるような気がする。
 眉がきりっとつりあがってるし。
 結論。
 イルカ先生はホケホケ笑ってるのが一番良い。

「―――いらっしゃるんでしょう、出てきてください」

 う。
 笑顔が良い、なんて現実逃避してもダメだった。
 ちょっと怖い声がオレを呼ぶ。
 う〜、嫌だな〜。
 べつにわざと盗み聞きしたんじゃないよ?
 たまたま通りがかっただけなんだし!
 ちょっとびっくりしてこっそり気配隠して暗がりに潜んじゃっただけなんだし!

「カカシ、先生」

 ……うぅ。

「はい…」

 オレは出たくないよ〜と思いつつ、そっと暗がりから月の光の下に出た。
 イルカ先生との距離は、だいたい呑み屋の店先五件分ほど。
 夜の月明かりの下じゃ、人影がわかって顔もなんとか分かるかな、って程度の距離なわけだけど、お互い忍びだ。
 声なんて囁き声だって大声で話してるのと同じように聞き取れる。
 オレは気まずくてイルカ先生の顔を見れなくて、俯き加減に橋のほうへと歩いていった。
 顔がはっきり見える、ぐらいまで近づいて、イルカ先生の顔をみれば、苦笑いしていた。

「…お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」

 え、あ、いやいや、勝手に見ちゃったのはオレのせいなので!
 と思いつつ、オレは適当にはあと返事をした。
 どうしてかイルカ先生の、苦しそうにしてる眉のあたりだとか、月の光に透けて見える髪の毛の先っちょだとか、そういうのがオレの目に入ってきて、視線を外せなくて困った。

「カカシ先生はこの先にお帰りですか」

 そういってイルカ先生は橋の向こうへ指をさすから、オレは素直に頷く。

「そうですか、オレもそっちなので…」

 帰り道がてら、よかったら話をきいてくれませんか、ってイルカ先生は言った。
 オレはやっぱり、イルカ先生のあれこれにぼんやりとしてしまっていて、はあ、なんて適当な返事をしたのだけれど、イルカ先生も負けずにぼんやりしていて、俺たちは月の下、並んで歩き出したのだった。













「最初は、演習場の隅で、怪我をした子どものタヌキを拾ったのが始まりなんです」

 少し前にみたホケホケした様子とは違って、すこし落ち込んだ感じのイルカ先生は、年相応に落ち着いてみえた。
 それはそれで、なぜかオレの胸がざわざわする。
 なんだろこれ。
 三左衛門の気持ちでもうつったのかな。

「でも泣き声はちょっと変で、やけに大人しく怪我の手当てうけてるしで、もしかして言葉がわかるんじゃないかとカマをかけたんです。そしたら案の定、子どものようでも、ちゃんと話し出すからびっくりしました」

 いやあ、オレはタヌキにこっちから話しかけたアナタにびっくりです。
 とはいえ忍タヌもいないことはないし、イルカ先生の発想も充分アリなんだけど。

「話しをきいてみたら、あの子のおじいさんが、忍びと口寄せの契約をしているそうなんです。だからなんでしょうね、あの子は以前から演習場に忍びこんだり、みようみまねで化けたりしてたそうなんですよ」

 なんとなく、頭にあのアカデミーのやんちゃ坊主が浮かんだ。
 偉大な火影の孫だっていうことと、子どもらしい意地と誇らしさで、日々闘っている子どもだ。
 イルカ先生が、ちょっと笑って、木の葉丸みたいですよね、って首を傾げてオレを見た。
 途端に早くなるオレの心臓。
 ちょ、ちょっと落ち着けって、オレの心臓!

「それで人間にもイタズラなんかしてたそうなんです。それの仕返しをされて、逃げたところに出くわしたのが俺なんですが…最初は仕返しの仕返しをしにいくっていうアイツをなだめるのに苦労しました」

 あ〜、いっつも人間の子ども相手してても、苦労するのは苦労するんだね〜、なんて見当違いに感心する。

「イタズラはダメだってことや、人を化かすのもいけないこと、お金を木の葉で騙すのもダメ、壁にしょんべんで絵を描くのもダメ、ダメダメダメでアイツは最初、俺から逃げようとしたんですけど、俺が忍びで学校の先生だって分かってから、あんな風に懐いてくれるようになったんです」

 ははあ、なるほどね。
 おじいちゃんから話しでもきかされてたんだろうか。

「タヌキって人間より寿命が短いせいか、成長も早くて、最初はもっと幼かったんですが、最近じゃいっぱしの口きくようになって…」

 あれより幼かったのか、タヌ吉、もとい三左衛門…。

「せんせ、せんせって、懐いてくるのが年下の弟をもったみたいで嬉しくて、相手が野生動物だってことも忘れて、構いすぎてしまったんです。…アイツが、あんな勘違いするなんて、俺は…」

 項垂れたイルカ先生のうなじが、オレの目にうつる。
 心臓が、かつてない速さで走り出して、頬に血が上った。
 え、これってなんだ。
 どうしようオレ。
 慌てるオレの理性を尻目に、オレの本能が、勝手にイルカ先生の手をとって、ぎゅっと握っていた。
 イルカ先生は驚いて、身を引こうとしたけど、俺はぎゅっと握って離さなかった。イルカ先生の手は、この夏の夜にまけないぐらい熱かったけど、でもオレには気持ちよくて心臓がよけいに早くなった。

「大丈夫ですよ、あいつはまだ子どもなんでしょう? だったら、ハナやミーコや、えぇ、アキとかミツとかの良さをわかっていきますよ。だからそんなに落ち込まないで、ね?」

 ゴメン、正直にいおう。
 たんに手を握りたかっただけです。
 慰めたかったのもちょっとあるけど、考えるより先に口から言葉はでちゃってたし、オレの全意識はイルカ先生の手を握ってる部分に集中してた。
 イルカ先生はいきなり励ましてきたオレに、ちょっと唖然としてたけど、すぐにハッとなって、オレの手を振り解いて、ガバッと頭をさげた。
 あ〜、残念…。

「すいません、あ、ありがとうございます…! カカシ先生にそんな風にいってもらえるなんて、アイツ、なんて幸せものなんでしょう…!」

 え?
 いやいや、感動するトコ、そこ?
 ちょっと落ち着いてるとおもったら、やっぱりイルカ先生はボケてた。あ〜、まあいいか。なんか、もうイルカ先生はそれでいいって気がしてきた。
 なんだろ、この気持ちのでどころは。
 勝手に顔がニコニコしてくる、この幸せな気持ち。

「子どものことですからですね、気長にみていきましょうよ。オレでよければいつでも相談のりますよ」

 オレのその言葉で、イルカ先生はありがとうございますってまたおっきなお辞儀をしたけど、オレはさりげなく彼の肩や背中や腕を触りながら、相談にのるために参考までに教えてください、ってイルカ先生の自宅や帰り道を質問したのだった。




2007.9.2