てのひらのきおく




 場所は変わって、大通りから外れた、給水塔の上部でっぱり。
 一般人はこないが、忍びにはちょうどいい休憩場所だ。
 そこでカカシはイルカを後ろから抱きしめていた。

「ちょッ、離してください! 酷いですよ! ちょっと聞いてるんですか、カカシさん!?」

 あからさまに不機嫌なイルカの怒鳴り声も、カカシには可愛らしいネコの金切り声ぐらいになる。
 それでも文句の内容はちゃんと聞こえているが。

「聞いてますよ、イルカ先生」
「じゃあ離してください! どうして後ろから抱きしめられなきゃいけないんですか俺が!」
「俺がイルカ先生を好きだから」
「俺の気持ちは無視ですか!」
「そんなことないですよー。はい、『あとで』」

 あっさり答えて、カカシはイルカを解放した。充分、イルカの匂いと暖かさを補給したから、という理由もある。
 解放されたイルカはササッとカカシとの距離をつくって、戦闘態勢の構えまでしてカカシを威嚇した。
 カカシはちょっと悲しくなった。
 威嚇される理由は充分自覚があるが、やっぱり目の当たりにするとショックだ。

「あなたのせいで、俺は任務失敗です」

 イルカが眉間を険しくして言った。

「あー…すいません」

 内心、イルカが木の葉の忍びで、再び会えたことに内心、満面の笑みだったが、表面上、申し訳なさそうな顔をつくって、ぺこりと頭を下げた。
 それぐらいは当然できる。イルカに迷惑をかけたことは分かっていたし、案外、イルカは怒ると怖い。
 笑うとあんなに愛嬌がこぼれるのに。

「謝ったって、俺の任務失敗は変わりません!」
「ほんとにすいません。でもあれはイルカ先生があんまり誘惑するから…」
「し、してませんよ!」

 いや、した。
 断言できる。
 あのときのイルカの行為は、カカシにとって誘惑以外のなにものでもなかった。だからつい、あんな酷いことまでしてしまった。

「あ、あなたのせいで俺は痛い思いするし、恥かいたし、任務に失敗するし、散々なんです!」
「恥、って…ああ。あのカエデって子がばったり―――」
「ぎゃー!」

 真っ赤になったイルカが、カカシの口布の上から口を塞いだ。

「お、思い出さないでください!」
「でも俺、最近、夜になると思い出してましたよ。イルカ先生の夢みてたし。もー大変で…」
「ぎゃー! ぎゃー!」

 恥ずかしさのあまりか、イルカは耳どころか首まで真っ赤になって、カカシに抱きつかんばかりに、口を塞いでくる。
 あのときと随分、状況が違うが、イルカに触ってもらえて嬉しかった。
 頬が緩んでいる自分を自覚しながら、カカシはイルカの掌を捕って、キスをした。

「ぎゃ!」
「うわ、その反応、傷つきます」
「ううううるさいです! いしゃ、慰謝料、上乗せです!」

 その言葉に、カカシははたと思い出した。

「そう、イルカ先生、慰謝料って、覚えてるの? 今更だけど」

 あのときのことは、きつく記憶を封じたはずだ。
 イルカが他里の忍びである可能性も捨てきれなかったから、乱暴だとは思ったが、上書きする強制力の強い術で封じさせてもらった。写輪眼を使って。
 おかげで帰ってきてから、散々叱られた。

「俺、用心のためにって消していったはずですけど」

 覚えていてほしいと願いながらではあったが。
 すると苦々しげにイルカが噛み付く。

「それのせいですよっ、俺の任務が失敗したのは!」
「俺のせい? まあそうでしょうけど」
「じゃなくて! あなたが俺にかけてった術、あんとき俺がかかってた術と変な絡まり方して、おかげで俺、あのあと昏睡状態になったんですよ!」
「ウソ!? ごめんなさい!」
「ごめんですむか! であの村のみんなはオロオロするし、そのうち連絡が返ってこないって里から様子見の人がやってきて回収されて、術解いてもらって今に至るわけですよ!」
「はぁー…」
「目が覚めたら、任務は強制終了してるし、目の前、おたまじゃくしみたいなのが三つクルクル回るのがちらつくし! 俺を連れ帰ってくれた人が村の人がやたら心配してたっていうし、へ、変な意味でも心配してたっていうし…!」

 イルカの目には涙まで滲んできている。
 よほど身につまされたのだろう。
 可哀想に。
 カカシが原因だが。

「ごめんなさい…、イルカ先生の目が覚めてよかった…」

 おたまじゃくしとはいえカカシの写輪眼を覚えていてくれたことはカカシを嬉しがらせたが、こればかりは申し訳なさが先にたった。心底から言って、カカシは肩をいからせているイルカを思わず抱きしめた。

「もしイルカ先生になにかあったら、俺…怖いです…」
「俺に何かしたのはあなたでしょうが」
「ごめんなさい…」

 素直に謝る。イルカのいったとおり、ごめんですむ問題ではないが、言わずにはいられない。イルカを昏睡状態にしていたなどと、反省を通り越して、自己嫌悪すら沸いてきた。
 自分のせいでイルカの目が覚めないなど、血の気が引く想像だ。




2007