上書き保存の恋




 夏にはまだ遠いころの晩飯時。
 俺は仕事を終えて、空きっ腹を抱えながらアカデミーの校門をくぐった。
 通りに向かいつつ「あ〜腹減った」なんてオヤジ臭く呟く。

 いやだってホント腹減った。
 夕方に受付に入ったとき、ナルトたちが報告所を持ってきてたのを思い出して、ラーメンが食べたくなってきた。ナルトの奴もけたたましく、ラーメンラーメン言ってたからなおさらだ。ラーメンより、任務に気ぃ向けろって説教したけど、わかってんのかなアイツ。もうちょっと落ち着きをもたんとなあ、なんて思いながら、通りに出る角を曲がろうとしたとき、何の前触れもなく、気配も無く、声がかけられた。

「イルカ先生」

 ――――――う、わぁ!?

 俺はおもわず、脇に抱えてた鞄を握り締めて硬直してしまった。叫びださなかっただけ、マシだ。
 角で、俺を待ってたのは、先日から俺の血圧を上げっぱなしの男だった。

 里のなかでそんなに綺麗に気配を消すな! と叫びたい気持ちをぐっと堪える。
 一度、もう言ったことがあるからだ。
 ちなみに返答は「そうですか?」と小首を傾げてまるで不思議そうな呟きで、まったく腹立たしいものだった。中忍なめるな、という文句も言えない。

「…なにか…御用でも」

 前に約束した夜は明後日で、俺は用心しながら訊いた。なにか急用か?
 はたけカカシは滑るように俺の横まできて、薄闇のなか、白く見える頭髪を傾けた。

「これから用事、ありますか」

 本当にナルトたちから聞く彼の様子とは、別人のようだ。端的に用件だけ言うし、にこやかに笑いながら話したりなどしない。ほぼ声も顔も無表情に近い。

「いえ…特にはありませんが…」

 腹減ってんだけどなあと思いながら、歯切れ悪く答えると、彼の気配が少しだけ浮き立った。ああ、忍びって嫌だよな。こんなこと、気づけなきゃいいのに。

「晩飯、は」
「まだ取っていませんが…」
「じゃあ、さ、イルカ先生さえ良ければ、飯、いきませんか。そんな大したところじゃないんだけど、きっと、アナタも好きだと思うんだけど」
「はあ」

 彼にしてはよく喋ってるな、と俺はあさってなことを感心していて、適当な返事をしたのだが、彼はそれを気にしたのかしてないのか、俺をさあと促した。
 まあ、予定外のゴチ飯が増えるんなら、苛つくが飯に罪はねえし、食いにいっても良いって気はする。アッチのほうを要求されるとさすがに身構えるが、休みは三日後で、俺は明日も仕事だ。

 それに、別に料亭で食いたいなどと思ったことも言ったこともないので、どこだろうと文句は無い。―――ただあんたと一緒に食うのに文句があるだけだ、と言ったらどんな顔をするんだろうな、この上忍は。
 いつもの無表情のままだろうか。
 なんとなく、泣きそうな顔をして黙り込むんじゃないだろうかという想像がうかんだ。
 それから、仕方ないというように笑うような気がする。

 腕を掴んで引くわけでもなく、前を歩く背中を見ながら、そんなことを考えた。
 俺にとって、そうであって欲しくない彼の像であるのに、簡単に想像できてしまって、げんなりだ。

 やがて、彼の背中が止まったのは、みなれた暖簾の前でだった。
 一楽。
 なんだ、まさに俺が食いたいって思ってたものじゃねーか。
 ちょっとぽかんとしていると、彼が俺を覗き込んで、

「どうしても食べたくて」

 と言い訳のように言う。俺が好きだろうっていうのは納得だけど、あんたの舌に合うかねと内心首を傾げた。
 なんせ、俺を飯に連れて行くさきが、長老方が接待で使うだろうってぐらいの料亭だ。
 いろいろとなんか大丈夫かな、と思ったが彼が先に暖簾を上げて椅子に座ったから、俺もちょっと躊躇いつつ、隣に座った。
 一つあけて座るのも変だもんな。
 料亭は、広い個室で向かい合わせだったし机もでかくて、こんなに近くなかったから、居心地わりぃけど仕方ない。

 勝手知ったる、って感じでオヤジさんが「なんにする」って声かけてきたから、俺もつい普段どおりに「味噌チャーシュー」って答えてから、そういやこの人一緒だったよ、って隣をみたら、「俺もそれお願い」だ。他にもメニューあるから悩むかと思ったけど、まるで食うもん決めてたかのように早かったな。
 ビールと餃子と炒飯も二人前追加して、なんだか常連のようだ。
 まさかな、と思いつつ、気に入りの店だけに気になって、我慢できずに訊いてみた。

「あの…よくいらっしゃるんですか」

 彼はあっさりとイイエと答えて、でも、と少し目を細めた。

「ナルトがね、ここのラーメンは木の葉イチだって、自慢するんです。今日もずっと言ってて、食いたくなったんです」

 あ、あいつ…任務中まで言ってたのか。
 喉元まで、すいませんという言葉が出そうになったけど、なんとかぐっと飲み込んだ。この男に謝るのは筋違いというか、なにか癪だった。あいつ、今度あったらきっちり分からしとかないといけないな。
 むう、と考え込んだ俺の前に、ビールと小皿、それから彼との間に、パリッと焼けた餃子の皿一つ。美味そうな匂いに喉がなって、彼が口布を下げるのを横目でみる。

 オヤジさんはラーメン作ってて、背中むけてるから見えてないだろうけど、ほんと、見惚れるぐらい顔がいいよなあ、と思いつつビールジョッキを掴んだ。彼も同じように持って、俺に「お疲れ様」といってから口をつける。俺もグイッとジョッキをあおった。
 ビールはたまらなく美味くて、餃子もあとからきた炒飯もラーメンも、もちろん美味かった。
 その日は、なんとなく予想していたとおりに、そのまま別れ、ナルトと会ったのは翌々日だった。

「イルカせんせー! 一楽いこーぜ!」

 仕事からの帰り道に突如、ドーン! とタックルしてきての挨拶がこれだ。
 俺は遠慮なく、そのふさふさ金髪頭に、軽い拳骨をくれてやった。
 いってぇ! と大げさな抗議の声。
 ったく、コイツは。

「毎度毎度一楽いこーぜじゃねえよお前は! 任務中でも言ってたんだって? そういうことは終って解散してから言えよ。気が弛んでると見られるんだからな!」
「えー! 今日はもう解散してっし! だいたいなんでイルカ先生がンなこと知ってんだってばよ!」

 うぐ、と一瞬言葉に詰まった。
 隠す必要はどこにもないのだが、あの男の顔を思い出しただけで、ナルトたちに顔向けできない気分になる。

「そ、それはまあ、先生には先生の情報網があんだよ。報告書も見てっし、ちゃーんと知ってんだぞ、気合いれろ、気合!」
「うわー、ウゼー!」

 叫んだひねくれ者に、また一個ゲンコをくれてやった。にししし、と痛いのに嬉しげなナルト。ったく、こいつは、と苦笑の俺。

「でさ、でさ、一楽いこーってばよ! 俺、もー、腹ベコ!」
「あー悪ぃな」

 苦笑いで金髪頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜてやった。俺も行きたいとは思うが、これから先約なんだ。
 そう言って断ると、えー!? という盛大なブーイングのあと、

「ちぇー、しょーがねーかー。一楽はまた今度だってばよ」

 と唇をアヒルのように尖らせながら諦めてくれた。いつもならもう少しゴネるのになあ、と成長を嬉しく思いつつ、ついつい小言をひとつ。

「一人で行きゃいーじゃねえか。俺の財布は薄いんだからな、路頭に迷ったらどうしてくれるんだ」
「えー! 俺ってばもう一人前の忍びだかんな、貧乏なイルカ先生にオゴってやるってばよ!」
「お、マジか。先生、覚えとくぞ?」
「へへー、覚えといてくれってばよ! ま! 一楽のラーメンはイルカ先生のオゴリがいっちばん美味いんだけどな!」

 こら。
 いまちょっと、オゴリの約束に密かに感動してたってのに、こいつは。
 俺のぐしゃぐしゃと頭を撫でる手から離れて、ナルトがじゃーなーと背中をみせたところで、ふと予感めいたものがよぎった。
 とっさに、声をかけていた。

「おい、もしかしていっつもンなこと言ってんじゃねえだろうな? オゴリがうめーとか、前ンときも…」

 歯切れ悪くかけた声に、ナルトは律儀に半身を振り返らせて、

「おー! 俺ってば嘘はつかねーの! イルカせんせーのオゴリで食う一楽のラーメンはとびっきり美味いってばよ! んじゃーなーせんせー!」

 いまいちはっきりしない返答だったが、予感が限りなく確信に近くなった。
 言葉尻だけじゃない、いつものナルトの行動パターンを考えれば、任務中にうるさいくらいにラーメンと騒いでいたのなら、言ったはずだ。
 イルカ先生のオゴリの一楽のラーメンは、と。

 ナルトの背中は弾丸のように、すぐに通りの向こうを走って見えなくなった。
 俺は無意識に歩を踏みしめて歩き出しながら、ぼんやりと胸にわだかまったものを感じていた。
 ラーメンひとつに拘るなんて下らないと思いつつも、あの日のカカシの行動や言葉、仕草が思い浮かんできて、それらが熱っぽいわだかまりに変わった。
 その熱が、先ごろから感じていた、もどかしい想いに混ざり合って、ついに俺は立ち止まって、勝手に滲んできた涙を乱暴に拭った。

 通行人に変に思われないように、今度は早足に変えて、行き先を急いだ。
 涙は拭っても、また滲んだ。
 くそ。
 嫌な予感は大当たりだ。
 俺の内側が、痛くてしょうがない。
 どうしてこんなことになんて分かりきってるから言いたくないけど。


 ああ。



 はたけカカシなんて、大嫌いだ!







2007.08.26